北国の自称カメラマン日記

北国、札幌で生活するカメラマンへの復活日記です。
日々思いついた事を書いてみます。

セルビア・モンテネグロって知ってる?

2004年05月31日 | Weblog
私は、かつてサッカーに試合を撮影していた事があります。
そこには、妖精がいました。
「ピクシー」こと「ストイコビッチ」選手です。
かれがピッチに上がった時の存在感は、圧倒的なものがありました。
彼の性格上、よく出場停止になる事がありましたが、彼が出場しない試合は特にそう感じました。

ピクシーの生まれた国が、ユーゴスラビアです。
現在、ユーゴスラビアと言う国は無く、セルビア・モンテネグロとなりました。私が撮影していた頃は、ちょうどNATOが空爆を開始した時で、ピクシーも不安を隠せないようでしたが、現在はなんとか多少、落ち着きを見せています。

かねてから、私はセルビア・モンテネグロに撮影に行きたいと思っていたのですが、ここまでズルズルと来ています。
また、国の情勢も必ずしも安全とは言えなく、コソボ地区ではいまだに住民同士の戦闘が続いています。

あと、私が躊躇する理由が、言葉の問題です。
セルビア語やモンテネグロ語やアルバニア語やクロアチア語など、新たに作られた言葉もあり、互いの地区では禁句の言語もあります。
即席ジャーナリストが調子に乗って現地の言葉を使うと、トラブルの元にもなりかねません。そもそも、スラブ系の言葉も英語もまともに話せる言葉は無く、日本語もかなり怪しい位ですから、言語以前の問題です。

行動を起こす難しさを、時々痛感します。


セルフ・ポートレート

2004年05月31日 | Weblog
今日は久しぶりにカメラを握りました。

セルフポートレートです。
「辺見えみり」のような物ではありません。
証明写真を自分で撮っただけです。
部屋に三脚をセットして、タイマーで撮影。
あとはフォトショップで切り抜いて一丁あがりです。

デジカメにクリップオンのストロボをセットして、バウンスで撮影。
これで500円浮きました。

昔、専門学校の時、友人がよく証明写真を焼いてくれました。
当時、友人の下宿先にいって何人もまとめて撮影して、真夜中にモノクロ現像を家で行うんです。専門学校は、よく試験の申請書とかいっぱいあったので、大変重宝しました。

セルフポートレートって意外と難しいことがわかりました。
自分で自分のフレームが見れないことが、こんなに手間だとは・・・

その後、アルバイトの面接。
時給650円だそうです。
一日8時間で5200円。
一月22日で114400円。
ここから所得税、その他を天引きしたら、10万切りますね。
なんだかなー

また、愚痴を言ってしまいました。

琢磨3度目の正直になるか?

2004年05月30日 | Weblog
F1の佐藤琢磨選手がとうとうフロントローを獲得した。

ここ数戦、今日こそはやるかもしらないと祝杯の準備をしてテレビの前に座ってきました。しかし・・・
かつてのHONDAを知ってる人は、こんなもんじゃない!って思っているかもしれない。どうしよう・・・

私が日本で佐藤琢磨選手を見たのは、SRSFのレースだと思う。当時、一般人には難関でベラボーに高い授業料だったので、ちょっと興味があって見てました。その時優勝したのが佐藤琢磨選手でした。その時、講師の佐藤浩二元選手にサインを貰いに行った時、やたら嬉しそうな顔だった記憶があります。はじめは親子なのかと思った位。

その後突然イギリスへ渡英。当時は、中野信二選手や高木虎之助選手がF1に挑戦していて、虎之助選手はまちがいなく表彰台に上がる男だと信じていました。鈴鹿のS字なんか、ひとりキレた走りをしてるんですよ。94年全日本F3000でトラが星野選手を抜いた時は、やっと実力でF1に行ける選手が久しぶりに出てきた、そう感じました。

94年、F1界では悲劇と激動の年ですが、その中でも希望をもって見る事が出来たのは、片山右京選手が居たからでしょう。片山選手は選手としてはぎりぎりの油の乗り加減でラルースからデビューしましたが、94年、あのティレル(タイレル)で予選上位グリットを獲得していました。中でも94年のドイツGPは一番印象に残っています。絶妙なスタートで、ヒルを交わし一時2位を走行したんです。その時のコメントが最高でした「遅かったから抜きました」。こんなに興奮したのは92年のモナコ以来って位です。自分の心臓の音が聞こえる程興奮してました。

今年のF1鈴鹿GPは10万人は軽く超えそうな気がします。

放送時間まで待てなくて、もうビールをあけてしまいました。
もう、やばいです。どうしましょう?

おい!国際映像。ちゃんと琢磨を映せよ!
ピットアウトの合流もちゃんとフォローしろ!

頼むよほんと。

ヨットに乗りたい

2004年05月30日 | Weblog
私の趣味はヨットです。

ヨットのイメージって一般的に「石原裕次郎のコンテッサ」のようなイメージかもしれませんが、私が乗っているのは14ft(フィート)約4.2mの一人乗りヨットです。ヤマハの「シーホッパー2」と言う船です。ヨット暦は中学1年から約15年ですが、知識やレベルは小学生レースセーラーにも劣るかもしれません。と言うのは、多くて1年に4~5回くらいしか乗って居なかったからですが、もう一つ、自分の船を持っていなかった事もあります。

ところが、今年念願の自分の船を手にいれました。
実は一昨年の冬に、バラバラに割れたホッパーを貰ったのですが、修復(レストア?)に1年掛かってしまいました。
普通、ここまで割れたら廃船って言う位ヒビだらけで、くれた本人も「よく直したね」と言う代物でした。勿論私が全部治せるはずも無く、お手伝いしてもらったのですが、8割修復してもらい、残りを自分でやりなさいと言われてからが長かった。
FRPの修復は見たことはあっても、やった事なんて一度も無く、ネットで検索しながら見様見真似でやりました。はじめは手袋をはめてやっていたのが、後半面倒臭くなって素手でペタペタ樹脂を塗っていました。症状は、複雑骨折のようなものだったので、作業用の穴が4つ開けられ、そこから手を入れての作業でした。その作業の大部分はヨットの代先輩にやってもらったのですが、仕上げの穴ふさぎと塗装は自分で担当しました。

蓋をすると言う事がこれほど面倒だとは・・・
まず、船から取り出した浮力体を戻しますが、作業用の穴からは全部入りません。なにか言い方法はないかとホームセンターをぶらぶらしていたら、よい物を発見しました。「発砲ウレタン」です。ヘアームースのような物が、数時間でカチカチに固まるのです。これしかないと思いました。早速1本1000円のものを2本購入し、穴から注入しました。どんどん膨らんでいきます。穴からはみ出す前に、あて紙をしてガラスマットとクロスを挟みこみます。そこに樹脂をペタペタ塗って、当て板して一丁上がりって感じです。

あとは、パテ盛りと研磨と塗装ですが、雪が降ってきた為一時中断。この春やっと塗装までこぎつけました。

春4月、一人で浸水式。
数日後初乗りです。北海道の4月は半端でなく冷たい。判っていても手足がしびれました。

続きはまた今度。

虚像を作り出す力

2004年05月29日 | Weblog
すいません、手抜き記事です。ほかのブログへのコメント記事です。


物の本質も見極める難しさを痛感しているこの頃です。
「小さな出来事」が「大きな出来事」のように世の中に出てきたり、またその逆もあったり。
ネット世界の普及によってあらゆる情報があふれ、その情報の信憑性を確認する暇もない位広がりを見せる。
意図的に情報をリークする人間もいれば、情報を改ざんしれ流す人間も存在する。

時が経って振り返れば、誇張された情報の虚像に自分も飲み込まれていた。そう気が付いた人も増えていると思います。(自分もそうです)

記者クラブと言う談合組織や、○○協会という排他的組織は、自分が報道の最先端にいて、情報の中心に居るという錯覚に陥っているような気がします。多すぎる情報は混乱を生み出すかもしれませんが、少なすぎる情報もまた虚像を作り出す。そう思います。

私は、「自衛隊(又は日本人)が人道支援に行く」というのは賛成ですが、その過程があまりにも自国の利益を追求して派遣されるようになったのは納得がいきません。
かつて「日の丸」を掲げたら友人だったのが、今は敵なんて・・・

日ごろ抑圧された不満が、変な形に噴出されてるきがします。

手抜き

橋田信介氏行方不明に訂正。

2004年05月29日 | Weblog
少なくても、ジャーナリストを目指す人間が、未確認の情報を信用して、推測でこのような媒体に投稿してしまった事を深く反省します。

自分でも書いたように、DNAの鑑定など確定的な情報が一切無いにもかかわらず、安易にテレビの情報や状況で判断してしまった。
以後、気を付けなくてはならない。
勝谷氏のブログを見て、気づきました。

「現場の苦労は現場に居た者しかワカラナイ」不詳!宮嶋大先生の言葉。
この言葉に共感を覚えて宮嶋氏のファンになり、マスメディアに報道されない事が多々あると言うことを学んだのが、生かされていない。
報道には、必ず裏取りが必要な事はわかっているつもりだけど、今、自分が得られる情報は、共同の情報が家のスピーカーから流れる訳でもなく、テレビやネットを頼らざるを得ない状況に甘えているのかもしれない。

深く反省します。

橋田信介氏逝く

2004年05月28日 | Weblog
橋田信介氏が亡くなったようだ。

DNAなどの鑑定は未だのようだが、状況的に間違いないようでる。
自分が、そう確信したのは昼のニュース番組を見て思った。
それは、あのジャーナリストの「勝谷誠彦」氏が黒いスーツで番組に出演していたのを見て、かなりまずい状況なんだろうと思ったのである。

勝谷氏のHPには断定出来ないような内容と、間違いであってくれと言う内容が書いてあったが、昼の時点で何か情報が入ったのかもしれない。
もう一人のゲストも濃紺系のスーツで居たので、ああやっぱりそうなのかと思った。

橋田氏は最近「朝まで生テレビ」にも出演して、ベテラン戦争ジャーナリストとして出演していたが、こんな事になるとは。

その後、橋田氏の家族がインタビューの答えてるのを見て、例の5人とはやっぱり違うなと思った。比べるのも失礼な位・・・


テレビ局の人間は、つねに自分のロッカーにスーツとネクタイが入っているそうだ。アナンサーは階段を使うとか色々社内ルールのようなものもあるそうです。今回、同じ報道に携わる者の道義として黒スーツを着ていたと思われる勝谷氏と、司会の草野氏の違いを感じてしまいました。(あくまで推測ですが)


死して尚多くを語る橋田信介氏の冥福をお祈り致します。

内地って使う?

2004年05月28日 | Weblog
自分の新着記事のそばに、内地と言う言葉に付いて書いてあるブログがあり、反応して書き込んだ内容をそのまま書きます。

自分は20代後半なのですが、内地ってたまに使います。生まれた時から聞いてた言葉なので反射的に使ってしまうのですが。

日本は、首都東京を中心に行く時、「上る」と言い、地方に行くに従って「下る」と言いますね。子供の頃、汽車(道民の一部は未だこう言ってます)に乗った時なんで南に行くのが「上り」で、何で北に行くのが「下り」なのだろう?って思っていました。

会社で東京に転勤は「栄転」で、地方に転勤は「左遷」。
東京=都(みやこ)=お上 的な風習なんでしょうか?

自分は、沖縄には修学旅行で1回しか行った事が無いのですが、また行きたい場所のひとつです。11月の頭に行って、半そでになるなんて思いませんでした。でも、沖縄の人は皮ジャンでしたけど。
その時に思ったのは、日本人なら一度は沖縄や広島や長崎に行くべきだと思いました。(長崎は小6の時行った)

北海道の場合、開拓されてせいぜい150年位なのですが、もうすでに開拓スピリットは無いですね。自分の親の世代でも殆どが北海道出身が多くなって、実家が内地って言う感覚も少なくなって来たせいもあると思いますが、最近、モー娘。に北海道出身者が多いせいか、北海道弁として「内地」って話していることも耳にします。

言葉にも歴史ありって事でしょうか?

内地

運動会で転ぶお父さん

2004年05月28日 | Weblog
我が札幌市の小学校は、今週末が運動会のようだ。

子供の頃、運動会の借り物競争や親子競争等の競技で、必ず転ぶお父さんがいる。大抵足が速くて驚かされるのだが、途中で転んでしまう。何故なのか?最近、その現象を実感してしましました。

普段の生活の中で、全速力で走る事なんて滅多に無い事なんだけど、最近運動不足な事もあって、ちょっと走ってみようなんて思ってしまって、走ってみたら、なんと!驚愕の事実が!「ガチンコ風」自覚してしまったんですよ。ホント・・・

自分はあんな風にはならないって思っていた。

なのに・・・


足は軽く感じるのに、前に倒れそうになるんです。
しかも、えらく時間が長く感じて、なかなか前に進まない。
中学時代、毎日何本もダッシュや走り込みや筋トレしてたのに・・・

ショックでした。

私は原因を考えました。自分は昔かなり意識して肉体を使っていました。そして、すべての感覚が無意識のうちに手足を動かしていました。ダッシュの時、コンマ3秒の違いも走っていてわかりました。

多分、脳に昔の肉体の記憶が残っているのではないか?
そう言う結論に達しました。

運動会で転ぶお父さんを見かけたら、昔きっとハードな運動していたんだなって思ってあげて下さい。

月末恐怖症

2004年05月27日 | Weblog
「月末恐怖症」
一人暮らしをはじめてからかかった病気。

主に会社経営者によく感染するようだ。

毎月、10日を過ぎると月末カウントダウンがはじまる。
このブログも、現実逃避の行為としてはじめたのかもしれない。
電気・電話・ガス・水道・携帯・その他あらゆるものと戦って来ました。

中でも一番辛いのは家賃と水道でしょうか。
うちの大家さんは寛大な方ですが、もう限界です。
水道が止められた時はかなり困りました。飲み水はなんとかなりますが、風呂に入れない。つらいです。
銭湯が360円くらいですが、これってかなりの贅沢ですよね。きっと
その時は、本気で生活保護の相談に行きましたが、はっきり言って生活保護者の方が、私より贅沢な暮らしが出来ます。

取り立てで思い出したのですが、子供の頃よく借金取りが家まで来てました。
ドアをがんがん叩いて、貼り紙をして行くんです。
最近はあまり派手にやらないようですが、ア○フルなんかは一番ひどかったですね。

こんな経験を重ねると、並大抵のトラブルでは動揺しません。

最近、架空請求の葉書が家に来ました。
でも、過去の債権も怪しいので断定できませんが・・・
そうそう、武○士なんかの取り立ても、架空請求業者そっくりでした。

で、今月の課題は家賃です。
仏の顔も三度まで、まずいです。
歪んだ請求には対処出来ますが、正当な請求には従うしかないのです。
なんとかせねば・・・