北国の自称カメラマン日記

北国、札幌で生活するカメラマンへの復活日記です。
日々思いついた事を書いてみます。

近鉄のライブドア買収拒否に思う

2004年07月01日 | Weblog
不思議ですねー
何故、拒否するのか、よくわかりません。
プロ野球よ、いったいドコニ行きたいのか?

どんなジャンルの世界にも言える事なのですが、プロと名の付く商売は大抵ピラミット構造だと思うんです。その頂点が「プロ」
頂点が大きい物は底辺も大きいですが、底辺が大きい物が頂点が大きいとは限りません。

なぜ、頂点であるプロを減らすのか?
何の為の1リーグ制なのか?
ファンの存在はどこに消えたのか?

頂点の拡張が必ずしも良い結果を生むとは限りません。
Jリーグは頂点の拡張工事をして、確かに底辺も大きくなりました。ただ、無理な拡張工事は地盤の弱い部分で崩落しはじめました。

プロスポーツが成り立っている基本的な所が判っていない人はかなり居ます。それは「客」が居ること。競技場でも新聞でもテレビでも、そのスポーツに関心を持った人はすべて「お客様」です。

今、瀕死の重傷になっているプロスポーツがあります。
「モータースポーツ」です。
勘違いしている連中が特に多いスポーツでしょう。
自分達が活動出来るのは、スポンサーのお陰。そう思っているのかもしれません。スポンサーは何故金を出すのか?それは、そこにお客さんがいるからでしょう。現在、日本のトップフォーミュラはかなり深刻な状況のようで、優勝争いをしていたチームや小規模ながらもコツコツファンサービスをしてきたチームが撤退しました。野球で言えば「阪神」と「日ハム」が撤退したようなもんです。

96年「Fポン」元年、自分は鈴鹿に通っていました。通常レース前の昼に「ピットウォーク」といって有料でピットレーンに入れるチケットが販売されるのですが、そこには熱心なファンが沢山いました。当時、首位を走っていたあるチームの前には、いつも沢山の人がサインを欲しくて待っていました。しかし、その日は一度もファンの前には出て来ませんでした。しかも、ピットの奥で遊んでいるのにです。言い訳はなんとでも出来るでしょうが、未だに信じられません。ファンの人たちは、貴重な1時間をピットの奥で遊ぶドライバーを眺めるだけで終わりました。
その秋鈴鹿に、日本に初めてアメリカの「NASCAR」がやってきました。そこで見た光景は今でも忘れません。ピットクルーが本物のレースカーに子供を乗せているのです。しかも、トップドライバーも含めて、全員外に出てサインをしているのです。かなり感動してしまいました。アメリカは嫌いですが、プロスポーツ大国として成り立っている理由がはっきりわかった気がします。

それから数年、現在はどうなっているのでしょう?
貴重な交流を生かしているとは思えません。
アメリカと日本のプロ意識の違いに気づいている選手は、今回の事についてちゃんと提言をしています。

プロと言う特権にあぐらをかいている連中は、心を入れ替えないと、プロスポーツのシステム事態が崩壊するぞ!

慣れって恐ろしい?

2004年06月06日 | Weblog
人間、慣れると何事も平気なもので、現金が無くてもなんとか生活しています。相変わらず各種請求が交戦して来ますが、間一髪で交わしている状況です。金曜日、電気会社が宣戦布告して来ました。開戦は月曜日です。さてどうなることやら・・・

そう言えば、水道局も宣戦布告してたな。
大家とはすでに交戦中だし・・・

備蓄食料がいつまで持つか。

「パラサイト」景気に悪影響

2004年06月05日 | Weblog
「パラサイト」景気に悪影響
Yahooニュースに書いてありました。
前に、フリーターを作りだす物で書いたのですが、社会がパートタイムの労働を重視して、安い労働力無しでは成り立たない社会になってしまった。賃金が安ければ世帯を持つのは大変で、親元を離れずに実家暮らしが多くなる。余力のある企業が、会社の利幅を出しすぎるのもいかがなものか?それが従業員や関連会社の人件費削減によってもたらされたものなら、一時的にお金が回って来たに過ぎない。

金は天下の回り物

お金は滞っていては何の利益も生み出さない。

仕事道具への思い

2004年06月04日 | Weblog
「その道を極めるにはまず道具をそろえよ」孔子

私は、数々の仕事道具を手放して来ました。その殆どが、意に反して仕方なく手放してきました。カメラマンと言う仕事は、道具が無ければただの人で、何の役にも立ちません。苦労して手に入れた道具は、手放す時は二束三文で引き取られて行きます。

魂のレンズ328や伝家の宝刀428、家庭の包丁の様に使い倒した70-200f2.8、手の汗の染み込んだカメラ。(写真やってないとわかりません)

スポーツカメラマンとしてやり直すには、かなりの金額が掛かります。
「後悔先に立たず」ですが、やっぱり道具が無いと自分を売り込む事も困難な状況です。

仕事道具に感謝!

アフィリエイトに挑戦

2004年06月03日 | Weblog
アフィリエイトと言う仕組みをご存知でしょうか?
自分のサイトを経由(クリック)して買い物をするとポイントが溜まる仕組みで、ポイントは買い物した額面の1%が貰える仕組み。

とりあえず、自称カメラマンの私が喉から手が出るほど欲しい写真関連の物をリンクしてみました。かなり私的な嗜好の強い物が厳選してます。
http://plaza.rakuten.co.jp/photodaisuki/

多少でも興味があればどうぞ。
ただ、まだ作りかけですが。

カメラマンになりたい

2004年06月02日 | Weblog
私は自称カメラマンです。
何故、自称かと言うと、カメラマンとしての収入が無くなったからです。自分の撮影機材も殆ど手放して生活費にあててしまいました。

でも、やっぱりカメラマンと言う職業が好きなんです。
特にスポーツカメラマンにもう一度なりたいんです。
年齢的に、新聞社や雑誌社には入れませんが、それでも成りたいです。
「日本のスポーツの地位向上」これが私のカメラマンとしての目標です。しかし、現実には一地方カメラマンが急激に世の中を変える事なんて出来ませんが、スポーツをより身近に、そして生活に密着したものだと言う事を表現出来たら良いと思っています。

と、思い続けて約9年経ちました。スポーツカメラマンの世界では、デジカメが普及して、撮影スタイルも変化した事と思います。
数年前までは、銀塩フィルムが主力で、1コマ1コマ、一発秘中のつもりで撮影してきました。また、1コマの重みもありました。ミスショット一発で数十円をばら撒いている様な物でしたから・・・私はキャノンのカメラでしたので、フィルム1本で36枚きっちりにしか取れません。だから、残りの弾数を把握してないと、チャンスを逃す事にもなります。なので、フィルムチェンジも3秒位で出来るように練習しました。(過去にあせって巻き上げ途中であけた事もありました)だから、連射と言う行為には消極的だったのですが、連射でしか表現出来ない事もあります。

連射といえば、最近、フィルム消費を気にしなくて良いのか、やたら連射しまくっているカメラマンも見かけます。ただ、今度はバッファメモリの残量を意識しないと駄目かもしれませんが、撮影方法も変わってるのかもしれません。沢山撮ってその中からピックアップするやりかたです。

私が最近のスポーツ写真を見て、ジェラシーや感嘆や感動を感じるのはほんの一部しかありません。それは、カメラマンの意図なのか編集の意図なのか判りませんが、それでスポーツの魅力や感動が伝わるのかな?と疑問に思う時があります。

私は、表面的な事実だけでなく、被写体の心情や背景や何かを見る人に想像させる写真を撮って行きたいです。スポーツ写真が報道の流れで派生したジャンルなのか、記録的な写真が多く、また、見る人も先入観を持っているのか、決定的な瞬間ばかりが世に多く出ているように思えます。カメラマンの中には、「自分の撮りたいのは、こんな写真じゃ無いんだ」と思っているスポーツカメラマンも沢山いるでしょう。

たまに、そんな写真を見ると、ジェラシーが沸き起ります。
「やっぱりカメラマンになりたい」

セルビア・モンテネグロって知ってる?

2004年05月31日 | Weblog
私は、かつてサッカーに試合を撮影していた事があります。
そこには、妖精がいました。
「ピクシー」こと「ストイコビッチ」選手です。
かれがピッチに上がった時の存在感は、圧倒的なものがありました。
彼の性格上、よく出場停止になる事がありましたが、彼が出場しない試合は特にそう感じました。

ピクシーの生まれた国が、ユーゴスラビアです。
現在、ユーゴスラビアと言う国は無く、セルビア・モンテネグロとなりました。私が撮影していた頃は、ちょうどNATOが空爆を開始した時で、ピクシーも不安を隠せないようでしたが、現在はなんとか多少、落ち着きを見せています。

かねてから、私はセルビア・モンテネグロに撮影に行きたいと思っていたのですが、ここまでズルズルと来ています。
また、国の情勢も必ずしも安全とは言えなく、コソボ地区ではいまだに住民同士の戦闘が続いています。

あと、私が躊躇する理由が、言葉の問題です。
セルビア語やモンテネグロ語やアルバニア語やクロアチア語など、新たに作られた言葉もあり、互いの地区では禁句の言語もあります。
即席ジャーナリストが調子に乗って現地の言葉を使うと、トラブルの元にもなりかねません。そもそも、スラブ系の言葉も英語もまともに話せる言葉は無く、日本語もかなり怪しい位ですから、言語以前の問題です。

行動を起こす難しさを、時々痛感します。


セルフ・ポートレート

2004年05月31日 | Weblog
今日は久しぶりにカメラを握りました。

セルフポートレートです。
「辺見えみり」のような物ではありません。
証明写真を自分で撮っただけです。
部屋に三脚をセットして、タイマーで撮影。
あとはフォトショップで切り抜いて一丁あがりです。

デジカメにクリップオンのストロボをセットして、バウンスで撮影。
これで500円浮きました。

昔、専門学校の時、友人がよく証明写真を焼いてくれました。
当時、友人の下宿先にいって何人もまとめて撮影して、真夜中にモノクロ現像を家で行うんです。専門学校は、よく試験の申請書とかいっぱいあったので、大変重宝しました。

セルフポートレートって意外と難しいことがわかりました。
自分で自分のフレームが見れないことが、こんなに手間だとは・・・

その後、アルバイトの面接。
時給650円だそうです。
一日8時間で5200円。
一月22日で114400円。
ここから所得税、その他を天引きしたら、10万切りますね。
なんだかなー

また、愚痴を言ってしまいました。

琢磨3度目の正直になるか?

2004年05月30日 | Weblog
F1の佐藤琢磨選手がとうとうフロントローを獲得した。

ここ数戦、今日こそはやるかもしらないと祝杯の準備をしてテレビの前に座ってきました。しかし・・・
かつてのHONDAを知ってる人は、こんなもんじゃない!って思っているかもしれない。どうしよう・・・

私が日本で佐藤琢磨選手を見たのは、SRSFのレースだと思う。当時、一般人には難関でベラボーに高い授業料だったので、ちょっと興味があって見てました。その時優勝したのが佐藤琢磨選手でした。その時、講師の佐藤浩二元選手にサインを貰いに行った時、やたら嬉しそうな顔だった記憶があります。はじめは親子なのかと思った位。

その後突然イギリスへ渡英。当時は、中野信二選手や高木虎之助選手がF1に挑戦していて、虎之助選手はまちがいなく表彰台に上がる男だと信じていました。鈴鹿のS字なんか、ひとりキレた走りをしてるんですよ。94年全日本F3000でトラが星野選手を抜いた時は、やっと実力でF1に行ける選手が久しぶりに出てきた、そう感じました。

94年、F1界では悲劇と激動の年ですが、その中でも希望をもって見る事が出来たのは、片山右京選手が居たからでしょう。片山選手は選手としてはぎりぎりの油の乗り加減でラルースからデビューしましたが、94年、あのティレル(タイレル)で予選上位グリットを獲得していました。中でも94年のドイツGPは一番印象に残っています。絶妙なスタートで、ヒルを交わし一時2位を走行したんです。その時のコメントが最高でした「遅かったから抜きました」。こんなに興奮したのは92年のモナコ以来って位です。自分の心臓の音が聞こえる程興奮してました。

今年のF1鈴鹿GPは10万人は軽く超えそうな気がします。

放送時間まで待てなくて、もうビールをあけてしまいました。
もう、やばいです。どうしましょう?

おい!国際映像。ちゃんと琢磨を映せよ!
ピットアウトの合流もちゃんとフォローしろ!

頼むよほんと。

ヨットに乗りたい

2004年05月30日 | Weblog
私の趣味はヨットです。

ヨットのイメージって一般的に「石原裕次郎のコンテッサ」のようなイメージかもしれませんが、私が乗っているのは14ft(フィート)約4.2mの一人乗りヨットです。ヤマハの「シーホッパー2」と言う船です。ヨット暦は中学1年から約15年ですが、知識やレベルは小学生レースセーラーにも劣るかもしれません。と言うのは、多くて1年に4~5回くらいしか乗って居なかったからですが、もう一つ、自分の船を持っていなかった事もあります。

ところが、今年念願の自分の船を手にいれました。
実は一昨年の冬に、バラバラに割れたホッパーを貰ったのですが、修復(レストア?)に1年掛かってしまいました。
普通、ここまで割れたら廃船って言う位ヒビだらけで、くれた本人も「よく直したね」と言う代物でした。勿論私が全部治せるはずも無く、お手伝いしてもらったのですが、8割修復してもらい、残りを自分でやりなさいと言われてからが長かった。
FRPの修復は見たことはあっても、やった事なんて一度も無く、ネットで検索しながら見様見真似でやりました。はじめは手袋をはめてやっていたのが、後半面倒臭くなって素手でペタペタ樹脂を塗っていました。症状は、複雑骨折のようなものだったので、作業用の穴が4つ開けられ、そこから手を入れての作業でした。その作業の大部分はヨットの代先輩にやってもらったのですが、仕上げの穴ふさぎと塗装は自分で担当しました。

蓋をすると言う事がこれほど面倒だとは・・・
まず、船から取り出した浮力体を戻しますが、作業用の穴からは全部入りません。なにか言い方法はないかとホームセンターをぶらぶらしていたら、よい物を発見しました。「発砲ウレタン」です。ヘアームースのような物が、数時間でカチカチに固まるのです。これしかないと思いました。早速1本1000円のものを2本購入し、穴から注入しました。どんどん膨らんでいきます。穴からはみ出す前に、あて紙をしてガラスマットとクロスを挟みこみます。そこに樹脂をペタペタ塗って、当て板して一丁上がりって感じです。

あとは、パテ盛りと研磨と塗装ですが、雪が降ってきた為一時中断。この春やっと塗装までこぎつけました。

春4月、一人で浸水式。
数日後初乗りです。北海道の4月は半端でなく冷たい。判っていても手足がしびれました。

続きはまた今度。