マンション管理士綾さんのブログ

マンション管理士は「正義の味方・月光仮面」?

一本松(陸前高田市)に会ってきました

2013-05-05 11:15:27 | 旅行記

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2011年3月11日、東日本大震災、福島原発メルトダウン事故の1ヵ月後、
陸前高田市を勝手に応援する会として、バス2台で、陸前高田市にでかけ、
半日のボランテア活動と周辺での消費活動での支援を含めて、旅をしまし
た。

以来、富士見市陸前高田市を勝手に応援する会としても行動し、
これまで6回の東北の旅を続けています。

当初の思いは、ボランテア活動募集の記事は、全てが、身体強健、体力
に自信のある人との要件があり、私どものように、身体、体力に自信が
ない者は、気持ちがあっても支援活動に参加できないとの思いがありました。

第1回支援の旅に、参加した5名が、今度は自分たちでやろうと計画、
コンセプトは、身体強健でなくても、体力に自信がなくとも、支援をした
い気持ちがある人は誰でも支援できるデス。
3本足でも大丈夫かとの問い合わせがあり、大丈夫行きましょうと参加
した3本足の高齢者の働きは見事なものでした。

第2回めは、海辺の畑5枚をバス1台の人数で、瓦礫を片付け、トラク
ターなどが畑に入れるようにする活動でした。数時間の活動でしたが、
3本足の老人には旗を立てた集積所に椅子を出して待機してもらい、
そこを目指した元気なものが瓦礫を運搬、集積することにしました。
彼は、集積場所で待機し、瓦礫の持参者に選別集積を指示、鉄物
はここ、ガラス物はここ、木材はここ、個人の名前の判別できるもの
はここ、といった具合に指示、後から現地のボラセンターから、大きく
評価され感謝の言葉がかけられました。

彼は、この経験から、その後の支援の旅に数回参加しました。

3月には、福島原発20キロのJビレッジまで足を伸ばし、それまで
立ち入り禁止区域だったところに、入れるようになったところまで、
入りましたが、放射能線量が高く、2年間放置されたままの、1ヵ月
後の陸前高田市の現状がよみがえる光景でした。

4月には、一本松にあってきました。 大槌町、花巻温泉、石巻ま
で行きました。高田市では、瓦礫はほぼ片付き、何もない更地に
近い状態になり、市役所も千昌男の立てたホテルも解体され、保
存することが決まった被災建物と、現在通信基地として活動してい
るアンテナの維持のために、電話局舎のみが残された状態で、
各地に山を崩して8mの盛り土をする準備のため、というより、
おくところがないので、盛り土のために近くの山を崩した土の堆積
所となった各地の公有地の盛り土の山がいくつも見える状態と
なっていました。

一本松は作業用の枠に覆われて、一応レプリカで戻ってきていま
したが、現地の藤倉議員の説明では、枝振りが違っているとかで、
再度調整のため作業枠の撤去がされていないままであるとのこと。
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ひょうたん島に会ってきました。
ひょっこりひょうたん島のモデルの島ですが、大槌町の宝来島
です。報道される陸前高田市の復興は、地元の議員たちの奮闘
もあり、一定度進んで見えますが、少し離れた、小さな町、大槌町
では、ほとんど2年前の状態にあり、復興は手付かずの印象です。


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