御縁起:越後三十三観音霊場 公式ホームページより引用
御本尊聖観世音は、聖徳太子御作と伝えられる。その昔、安倍貞任の残党、黒鳥兵衛征伐の為、京都より当地に下った、北畠中納言時定公の守り本尊であった。時定公は、戦いの途中武運つたなく戦死してしまったので、守り本尊の観世音は、この地に庵を建て、安置したのである。
この観世音を「このめ沢の観世音」という。今はこのめ沢の地名は、どこか不明であるが、以前観音堂は七曲りに有った。この七曲りを、昔は、「このめ沢」と言ったことからきているらしい。平成15年(2003年)に再建。
観音寺(かんのんじ)
(越後三十三観音霊場 第二十三番)
新潟県西蒲原郡弥彦村観音寺453
御本尊聖観世音は、聖徳太子御作と伝えられる。その昔、安倍貞任の残党、黒鳥兵衛征伐の為、京都より当地に下った、北畠中納言時定公の守り本尊であった。時定公は、戦いの途中武運つたなく戦死してしまったので、守り本尊の観世音は、この地に庵を建て、安置したのである。
この観世音を「このめ沢の観世音」という。今はこのめ沢の地名は、どこか不明であるが、以前観音堂は七曲りに有った。この七曲りを、昔は、「このめ沢」と言ったことからきているらしい。平成15年(2003年)に再建。
観音寺(かんのんじ)
(越後三十三観音霊場 第二十三番)
新潟県西蒲原郡弥彦村観音寺453