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世界怪魚釣行記

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2000年の過去旅 その3

2019-06-17 12:52:00 | 海外99~04(15ヵ国過去旅)
 デジカメがまだ無かった時代の、バカチョンカメラのフィルムがたくさん眠っているのだ…。ということで、デジタル化を試みた、第三弾!

 2000年12月、ネパールのカトマンズから、タイのバンコクに飛んだ! ラジャダムナンスタジアムでムエタイを観戦すると、「武田幸三」が参戦してた! この翌年にはムエタイ史上4人目となる外国人王者となったんだよ…。

 チャオプラヤー川で吸い込み釣り。コイ科や鯰の類いがたくさん釣れた(^^)v。当時はまだ旅にルアーを導入する前…。

 メコンオオナマズの釣り堀にて…。

 この旅4カ国目、ミャンマーへ。写真は、まだ自宅軟禁されていたアウンサンスーチーさん宅への道中。検問で追い返されました…(^_^;)。

 ヤンゴン市内で、ミャンマー人の釣り人と交流。

 カンボジアのアンコール・ワット、インドネシアのボロブドゥールとともに、世界三大仏教遺跡のひとつとされる世界遺産、パガンへ。

 平野部に3000を超えるとされる仏塔が建ち並び、とても素敵な遺産でした。

 イワラジ川、現地民と延べ竿で小物釣り。やっぱり魚の写真で使えるのが少ない…(^_^;)。

 中国→チベット→ネパール→タイ→ミャンマー→タイと、二ヶ月半に渡る長旅は終わりました。続く…。

2000年の過去旅 その2

2019-06-05 14:30:00 | 海外99~04(15ヵ国過去旅)
 デジカメがまだ無かった時代の、バカチョンカメラのフィルムがたくさん眠っているのだ…。ということで、デジタル化を試みた、第二弾!

 2000年11月、陸路でチベットからネパールへ入った。今はどうだか知らないけれど、ヒマラヤ越えの道が負゚ぎた…。車が一台しか通れないような未舗装路、ガードレールはもちろんなく、「300mはあるんじゃない?」と思われる断崖の途中には落下したトラックが引っ鰍ゥってる…汗。
 写真は、「よくこんな所に建てたよな…」って感じの国境の村。 

 とある村に滞在し、子供達と釣りをする。標高1000m雷魚。種類が特定できるよう、もっとちゃんと撮ればよかった…。当時の釣りは「釣りを通しての人々との交流」がメインテーマだったため、ちゃんたとした魚の写真が残ってない…汗。

 釣れたての雷魚は、すぐに子供達が焼いてくれます…(^_^;)。

 ネパール人のお宅にお邪魔して、記念撮影(^^)。

 その後、ヒマラヤ山脈の南サイドの小さな町でのんびりと休養し、1年ぶりに再会した釣り友達と共にアンナプルナを目指し、トレッキングに出発! しかし山岳民族である彼ら、そのトレッキングスタイルは小走り…。チベットで高度順応してたから良かったけど、ついていくのがやっとで風景を楽しむ余裕皆無…(-_-;)。

 途中、「マチャプチャレ(6993m)」脇を通過。

 そして、3日目に標高4130mのアンナプルナBCに到着! こっから先は登山隊でなければ無理。ちょっと登ったけど、遊び半分で登ると死にます…(というか、許可書が高過ぎて買えないと思われ…)。

 背後に写るのが「アンナプルナ南峰7219m」。

 装備が3シーズン・シュラフ一つだけという、素人トレッキングでも、とりあえず「雪が積もってる部分には頑張って到達する」というのが当時の目標…笑。



 魚の写真も何枚かあったけど、当時は普通に食料だったので、釣りブログには使えないものばかりだ…(^_^;)。

 続く…。

※まだフィルムが100本ぐらいあるので、全部デジタル化したら5万円以上鰍ゥります…。1週間に1回ぐらい、のんびりとデジタル化していこうかなと…。

2000年の過去旅

2019-05-31 16:48:00 | 海外99~04(15ヵ国過去旅)
 デジカメがまだ無かった時代の、旅のフィルムがたくさん眠っているのだ…。ということで、デジタル化を試みた! お試しに、三本やってみたけど、さすがに1万円ちょいのバカチョンカメラ、画質が悪いね…(ちなみにデジタル化はフィルム一本540円)。
 2000年10月「ひとり、中国からチベットの旅」。先ずは中国の北京から入って、西安→蘭洲→敦煌と北上する。写真は世界遺産「兵馬俑」。

 ゴビ砂漠での一枚。

 ラクダにも乗ったよ(^_^;)。

 中国三大石窟、世界遺産「莫高窟(ばっこうくつ)」。

 中国からチベットへは密入域を試みた。パーミットを持たずに、バスの座席を剥がして潜り込み、潜入を試みるが、検問所で公安につかまり、賄賂を手渡してすり抜けた…。手引きをしたバスの運転手は公安にぶん殴られていたけど…(^_^;)。道中、標高5200mの峠越えがあり、呼吸が苦しく辛い旅でした…。
 チベットの古都ラサにたどり着き(標高3650m)、世界遺産「ャ^ラ宮」にて。

 釣りの方はスノートラウトというウグイに似た小魚が2匹釣れただけだったが…(^_^;)。でも、標高4000mフィッシュだよ(^^)v

 山中では「鳥葬」が行われてた…。三体の遺体が運ばれてきて、それを斧でグチャグチャにぶった切る(鳥が食べやすいように…)。やがてハゲワシが無茶苦茶集まって来て、人が離れた瞬間遺体に群がる。近くで見てたので、血肉が服に飛び散る…。そして、あっという間に人間は自然へと帰っていった。グロいので写真は自粛…。
 でも、狭い国土に無駄にお墓を建てる日本より「合理的でいいな」と思った…。

 東南アジアを流れるメコン川の源流はチベットにある。母なる大河の「初めの一滴」を目指して彷徨う。

 公共の交通機関は無く、移動は運転手を雇う。ランクルが大活躍!

 酸素の薄さにだいぶ慣れてきたのでトレッキング。

 画質は悪いけど、ネガフィルム、雰囲気があっていいね!

 標高5154m。世界最高峰に位置する寺院「ロンボク寺」。後ろに見えるのがエベレストだよ。月に照らされたエベレストを見ながら飲むダンヒル(スコッチウィスキー)は美味かった! でも、空気が薄過ぎて、トイレでウンコするだけで「ぜぇーぜぇー」いってた…(-_-;)。

 登山とはいかないまでも、Everest BC(標高約5150m)からトレッキング。世界最高峰のエベレスト山を臨む。

 意味不明なセルフタイマー自撮り(^_^;)。

 続く…。

※まだフィルムが100本ぐらいあるので、全部デジタル化したら5万円以上鰍ゥります…。1週間に1回ぐらい、のんびりとデジタル化していこうかなと…。

中国の釣魚台国賓館

2006-01-17 02:23:00 | 海外99~04(15ヵ国過去旅)
 本日のニュースによると、訪中している北朝鮮の金正日総書記が北京の「釣魚台国賓館」に到着したとのことだった。

 政治的なことはこのブログでは語りたくはないが、「釣魚台国賓館」という名を見て思わず「うおっ!」と反応してしまった。北京を旅している時、地図を片手にバスに乗って色々な所に行ってみた。見知らぬ街の地図を買い、デタラメに歩きまわるのが大好きなのだ。
 北京はとにかく大きな街だ。地図を広げて見てもどこに行ったら良いものやらさっぱり見当がつかないのだ。しかし、地図の中で「妖気を感じた鬼太郎の髪の毛」のように即座に反応してしまった場所がある。「釣魚台公園!? こんな大都会で釣りができるのか?」、早速釣り竿を持って行ってみた!
 しかし、それはヤケに整備された退屈な公園で、そこを流れるドブのような川で、吸い込み釣りで小さな「鯉」と「カマツカ」だか「ツキフキ」だか分らぬ魚を釣っただけに終わった。「釣魚台国賓館」はその公園に隣接しているのだ。
 それから1年後、2度目のモンゴル遠征を終えた俺は国際列車で北京にやって来た。ちょうどその時、俺の母さんが団体旅行で北京に滞在していて、俺は宿代を浮かすためにホテルを尋ねた。釣魚台にあるホテルに泊まってるとのメールが入ったので、地図を見て「釣魚台国賓館」かなと適当に判断し、門を潜ろうと思ったら即座に公安に取り押さえられてしまった。「俺の母さんがここに泊まっているから!!」と言っても信じてもらえず、追い出されてしまった・・。
 それもそのはず「釣魚台国賓館」は各国の要人のみが泊まることができる、いわば「迎賓館」みたいなもの。当時それを知らずに「俺の母さん出せよ!」と必死に交渉する俺を、公安は「お前の親父は小泉か?こらっ(笑)。」と思ったに違いない。おまけに、モンゴルで狩ったタイメン110cmの頭やら山羊の頭骨を持参してたので怪し過ぎ!! 
 ちなみに俺の母が泊まっていたのは「釣魚台大酒店」だったそうです。あぁ・・(苦笑)。

カオレムダム スネークヘッド編

2004-09-23 19:49:00 | 海外99~04(15ヵ国過去旅)
 モンゴルで気力・体力共に使い果たした俺はカオレムに向かった。アジア最強のゲームフィッシュ「シャドー」と闘うことで「失われた釣欲」を取り戻すためだ! 今回は「ャCント選択」による釣りとは全く違う「稚魚ボール狙い」。呼吸のため水面に浮いてくる稚魚の群れにルアーを投げ込み、親魚を怒らせてバイトに持ちこむタイ特有の釣り方。この釣法で釣れるシャドーは大型でボディカラーが非常に綺麗(明確な白黒模様に、背中がエメラルドグリーン)、一度は釣ってみたかったのだ!
 到着したその夜、「ミソンパンラフトハウス」でK君と合流。そこで早速驚くべき話を聞かされた! 「7kgをばらしちゃった…」、思いっきり悔しそうな顔をするT君。詳しく聞くと、マリアのミノーに食いついたそのママシャドーは信じられないほど暴れ、クラッチを切りながら応戦。なんとか寄せたそいつの頭はまるでフットボールの様、ネットに入りきらずに逃げていったそうだ。おまけにこの日、ミソンパンにはタイ人釣り客によって釣られた83.5cm(目測5.5kg)のシャドーがキープされていた。「これは凄いことになってるぞぉ~!」、タイに来てからのダラダラ気分は吹っ飛び、深夜まで翌日の準備が続いた。

 そして向かえた初日、ボートマンはタイ国最強のガイドとしてその名を轟かす「ワンチャイ」。恐るべき眼力で早朝から次々と稚魚ボールを発見していった(風で湖面が波立っていようが、ボートが走っていようが、約50m先のボールを発見する能力は脅威)。しかし、である。この日18個の稚魚ボールをみつけてもらいながら二人ともボウズ…。ルアーに反応があったのは2ボールのみ、それもショボい単発アタックばかり。「話が違うじゃん!」、あまりの活性の低さに「稚魚ボール狙い」に疑心暗鬼になる俺、「ホントにママって釣れるの~?」
 二日目、「これは簡単じゃないぞ!」と少々厳しい顔つきで出撃。この日は朝から相当暑い。おまけに連日の出撃で疲れきっていたのかワンチャイの「ボール発見力」が低下、夕方まで6ボールあたり3回のみと惨敗ムード。あまりの「渋さ」と「暑さ」に耐えられなくなった俺はビールをあおり、「酔拳釣法」に切替えた。「飲まなきゃやってらんないよ~」という訳…。そして、夕暮れ間際に見つけた水草の中の稚魚ボール。半分諦め加減でキャストするがバックラッシュ…。すかさずK君がキャストしたのは「Tサーフ」、するとイキナリ追って来て「ドォ~ン」、70cmの良型ママが釣れちゃった。やっと出会えた「高活性ボール」、よりによってバックラッシュとは…。これが若者と老いた者の勢いの差か?「このままじゃK君の引きたて役じゃん…」
 三日目、午前中はOさんと共に出撃。前日からカオレム入りしていたOさんだったが、この日バンコクで仕事が入ったとのこと。11時には帰港しなくてはならず、チャンスは限りなく少ない。しかし、疲労がピークに達したのかワンチャイはまるでやる気なし。朝一でいきなりドンワイ、続いてルンティー川、漁師の網がいたるところにある激シブエリアを流してゆく。そして、1つのボールも発見せずに午前の部終了…。
 ワンチャイの疲労度を考慮し、休憩をたっぷりとって午後はゆっくり出撃。相変わらず暑さ、2日半にわたるボウズ、この時俺もまるでやる気なし…。 この日ママが釣れなかったら、翌日から一人で「ャCント選択」の釣りに切替えようと思っていた。しかし、開始からリッチア地区を流すこと2時間、発見したのはラッキーなことに「高活性ボール」。2投目のキャストが呼吸のタイミングにばっちり合て「ドォ~ン」とママが飛び出した! これまでの鬱憤を晴らすかのようにガンガン巻いて40秒ぐらいでランディング。初めて釣ったママシャドーは74.5cmのグットサイズ、背中のエメラルドグリーンが眩しかった。その後、ハチに襲撃に遭うというアクシデントがあったけど、2匹目(62cm)を追加。この日は美味しい酒が飲めたよ! 「釣れて良かった。心の底からそう思えたよ…」。


 四日目、初日のように「気合入りまくり」の出撃! 前日念願のママを釣ったことで、「確信」をもってキャストとリーリングを繰り返すことができた。この日は朝早くから「高活性ボール」を発見。俺の投げた「ゲン+ぺラ」にママが追って来るが、ルアーがK君のラインに絡まりママはボート際でUターン、貴重な一匹を逃す。しかし、その後に発見した2ボールを執拗に攻撃し56cmと62cmをGET。どちらも20分近い攻撃だったため、親魚の怒りも凄まじく、もの凄い突き上げバイトであった。


 「稚魚の出現を待ちじっと水面を見つめ続ける。そして浮上と同じに一斉にキャスト。ボール上をズババババァー、ルアーを超高速で通すだけ」の釣り。釣り始めた当初、正直これが「釣り」であるかどうかさえ俺には分からなかった。しかし、この方法でママが釣れることが分った時、その緊張感が堪らなく楽しいものに思えた。この釣り方では「稚魚の浮上場所を読む能力」「浮上に合わせ即座にキャストする反射神経、そしてキャスト性能」が究極に問われる。これは「釣り」なのか?「ゲーム」なのか?、はたまた「狩り」なのか? そんなことはどうでもよい! そして雷魚マンのモラルなんかもどうでもよい! 「稚魚ボール狙い」はもの凄く熱いぞ!

 そして向かえた最終日、俺・K君共に狙うは80cmオーバーのみ! この旅を締め括る「最後の1匹」が欲しかった。しかし、俺達は苦戦を強いられていた。朝一、本湖筋のワンドで見つた「高活性ボール」でK君が60cmをGETするが、その後はさっぱり。灼熱の太陽・テンションの高さに反比例するママの活性の低さ、稚魚採取に熱中する漁師もチラホラ。この日最後に見つけたボールでは二人で50投近いキャストを繰り返すが湖面は沈黙…。「ワンチャイの辿った経路」を「俺の作った地図」と照らし合わせてみると、五日間でリッチア・本湖筋・カオレムのほぼ全域を周る釣行だった。今回はこれが限界かな…。この釣りは「広大なフィールドでボールを発見する能力」と「ボールの移動経路を予測してボートを動かす能力」、それがないと成り立たない釣りだったと思う。ワンチャイがいなかったら俺は何もできなかったに違いない。「ワンチャイ、お疲れ様でした! そしてコップンカッ!」。
 カオレムの5日間が終わった。ふと空を見上げると、ビルマに沈む夕日はとても綺麗だった。「稚魚を保護するママを狙った釣り」、日本の雷魚マンには到底受け入れられない釣り方かもしれない。しかし、こんなに美しい光景に最後まで気づかないほど熱い闘いだったのは確か、またいつの日にか再び戻ってくるよ!