黄昏時になんとなく

I live my life my way

背番号0

2010-04-09 11:54:36 | 日記
久々に投稿します

何処か心が乱れていましたが少し気持ちが落ち着きました


一昨日勤務中に夜会議があるので場所を調べようとYahoo!ケータイを開けたとき

一瞬息が詰まりました そしてしばらく放心状態になりました


そこには巨人の木村コーチの訃報の記事

偉大なるユーティリティープレーヤー 木村拓也さんが亡くなりました


前回のブログで 回復を願う文を書いたのですが 願いは届きませんでした

享年37 あまりにも突然でした まだ新任コーチでこれから指導者として活躍が期待されたのに一野球ファンとして残念でなりません


私が木村さんの名前を最初に覚えたのは 日ハム時代

SMAPの木村拓哉さんと同姓同名なんだなあと選手名鑑を見て記憶していました


当時は 広島の緒方孝市 巨人の緒方耕一 の同姓同名の選手がいましたので何気に関心は持っていたのですが

カープに移籍した後も一軍ではなかなかレギュラーは取れなかったので
当時このままではSMAPのキムタクさんと同じ名前だけで… 実績はどうなのかという印象が強くなるのではと思いました


しかし当時のカープは 他球団ならレギュラーを取れそうな町田・浅井選手などが控えだったので選手層が厚かったのもまた事実

今はヤクルトの主力である福地選手も広島時代は代走がメイン 西武移籍で徐々に頭角を表し ヤクルトで盗塁王を獲得しました


そんな中で 捕手として入団したけど ポジションを求めて外野、内野どこでも守り スイッチヒッターにも転向した木村さん


90年代後半は スーパーサブでしたが2000年にレギュラーを獲得してからはオールスター戦にも出場しました

2000年代の木村・東出の1・2番コンビの印象はとても強いです


2006年に巨人に移籍した後も スーパーサブからいつの間にか セカンドのレギュラーを奪っていました

そして去年の新聞の一面を飾った キャッチャー・キムタク


10年ぶりに公式戦で守ったとはいえ 150km/hのストレートをそう簡単には取れないでしょう

アテネ五輪の時には 裏方仕事も率先してやっていて ブルペン捕手も努めたので
普段から見えない所での努力を積み重ねてきたのでしょう

あらゆる意味でも 野球小僧であった木村さん


ユーティリティープレーヤー=便利屋 とも言われてますが
華のある仕事だけでなく 新人の時に一時期支配下選手から外れ 移籍後になかなか結果が出なくても 練習を積み重ねて

着々と試合で結果を出し続けていました


選手として実働19年

とても厳しいプロ野球の世界でユーティリティープレーヤーとして歩んできた道のりは称賛に値するものです


偉大なる背番号0
木村拓也さん


あなたのひたむきにそして一生懸命野球に取り組む姿勢
与えられた環境の中で最高のプレーをするために常に全力を出していた姿はいつまでも野球ファンの記憶に残ることでしょう


合掌

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