前回の徳山ダム訪問の続き
映画「水になった村」が公開されたのは2007年の暮れのこと
当時の私は30代前半
仕事の面では精神的に大変な時期でした
日々の業務に忙殺され
ほんの些細なことで職場の人間関係に亀裂が生じ 敵扱いされて完全アウェ一状態での戦いを強いられました
それだけならまだしも
何故か自分の担当外のことなのに 問題ある人物の面倒を押しつけられ 本来の担当者は格好つけた戯れ言をほざいて県外へ逃亡
後任の担当者は相談するたびに電話するがレスポンスはほぼ皆無
この担当者自体も問題行動を起こして クライアントからは責任者でもない私が非難を浴びせられる始末
この時期は毎日のように仕事の修羅場がありました
ある時 覚悟を決めて腹をくくって取り組んだら
状況が好転しました 最初は敵扱いされていた私も徐々に信頼を回復してきました
この時の修羅場の経験が 今も活きています
かなり物事に対して冷静に対処できるようになりました
例えキツイ状況になっても あの時に比べればと腹を決めて仕事ができるようになりました
日々の仕事は多忙を究めていましたが 映画をみたのは 一時期落ち着いた状況があった時に公開されたので ささやかな休息の意味合いも兼ねて観た記憶があります
「水になった村」
時は1992年 写真家でもあるこの映画の監督が村を訪ねたことから始まります
当時は閉村してから5年 村民の移転が完了してから3年の月日が経っていました
でこの映画の監督である大西さんがカメラを片手に徳山村のあちこちを撮影していたら
一度は村を出たものの 自分の「ふるさと」に戻ってきて自給自足の生活を送っている「おじい」「おばあ」に大西さんは出会います
それから試験堪水が始まる2006年までの10数年間 大西さんは時間を見つけては徳山に足を運び日常を撮り続けます
その日常が 彼らには当たり前なんですが私からみたら驚きの連続でした
山道を7~8キロかきわけながらひたすら歩き 確かわさびを取りに行くおばあちゃん
大西さんは慣れない山道を歩いていくので息はキレギレなのですが おばあちゃんは飄々と先を行きます
途中で大きなヘビと遭遇
大西さんは驚きますが おばあちゃんは淡々としています
で取れたわさびや山菜で おばあちゃんは料理を作り大西さんにご馳走するのですが
おばあちゃんも良く食べるんです
そりゃあ往復で10数キロ歩いていますから お腹も空くでしょうからね
お風呂は屋外に五右衛門風呂を焚いて
奇麗な空を見上げながら入浴
ある「おばあ」の言った言葉の中で
「塩さえあれば腹一杯 ごはんを食べさせる自信はあるよ」
とありましたが
うん
これは本当なんだろうなあと納得しました
そこには生かされた自然と共に日々をきちんと生きている村民たちの姿がありました
されど試験堪水が始まることとなり
おじい おばあたちに永遠の「ふるさと」との別れの日がやってきます
住み慣れた家を取り壊す映像を大西さんは収めていましたが
ファインダ一越しに見ていて涙が止まらなかったそうです
取り壊されている家をみながらおばあは大きく取り乱すのではなく 淡々と見つめていました
その背中を見ながら 私は映画館で胸がつぶれる思いがしたのを覚えています
この映画を見終わったあと 私は徳山へ行きたい思いが募ってきました
で翌年の初夏に訪れることが出来ました
ここまで何回か分けて書いていますが それほど私の人生の中で価値観を変える出来事だったのです
次は何年かぶりの「ふるさと」の訪問を書きたいと思います
今日はこんな感じです
映画「水になった村」が公開されたのは2007年の暮れのこと
当時の私は30代前半
仕事の面では精神的に大変な時期でした
日々の業務に忙殺され
ほんの些細なことで職場の人間関係に亀裂が生じ 敵扱いされて完全アウェ一状態での戦いを強いられました
それだけならまだしも
何故か自分の担当外のことなのに 問題ある人物の面倒を押しつけられ 本来の担当者は格好つけた戯れ言をほざいて県外へ逃亡
後任の担当者は相談するたびに電話するがレスポンスはほぼ皆無
この担当者自体も問題行動を起こして クライアントからは責任者でもない私が非難を浴びせられる始末
この時期は毎日のように仕事の修羅場がありました
ある時 覚悟を決めて腹をくくって取り組んだら
状況が好転しました 最初は敵扱いされていた私も徐々に信頼を回復してきました
この時の修羅場の経験が 今も活きています
かなり物事に対して冷静に対処できるようになりました
例えキツイ状況になっても あの時に比べればと腹を決めて仕事ができるようになりました
日々の仕事は多忙を究めていましたが 映画をみたのは 一時期落ち着いた状況があった時に公開されたので ささやかな休息の意味合いも兼ねて観た記憶があります
「水になった村」
時は1992年 写真家でもあるこの映画の監督が村を訪ねたことから始まります
当時は閉村してから5年 村民の移転が完了してから3年の月日が経っていました
でこの映画の監督である大西さんがカメラを片手に徳山村のあちこちを撮影していたら
一度は村を出たものの 自分の「ふるさと」に戻ってきて自給自足の生活を送っている「おじい」「おばあ」に大西さんは出会います
それから試験堪水が始まる2006年までの10数年間 大西さんは時間を見つけては徳山に足を運び日常を撮り続けます
その日常が 彼らには当たり前なんですが私からみたら驚きの連続でした
山道を7~8キロかきわけながらひたすら歩き 確かわさびを取りに行くおばあちゃん
大西さんは慣れない山道を歩いていくので息はキレギレなのですが おばあちゃんは飄々と先を行きます
途中で大きなヘビと遭遇
大西さんは驚きますが おばあちゃんは淡々としています
で取れたわさびや山菜で おばあちゃんは料理を作り大西さんにご馳走するのですが
おばあちゃんも良く食べるんです
そりゃあ往復で10数キロ歩いていますから お腹も空くでしょうからね
お風呂は屋外に五右衛門風呂を焚いて
奇麗な空を見上げながら入浴
ある「おばあ」の言った言葉の中で
「塩さえあれば腹一杯 ごはんを食べさせる自信はあるよ」
とありましたが
うん
これは本当なんだろうなあと納得しました
そこには生かされた自然と共に日々をきちんと生きている村民たちの姿がありました
されど試験堪水が始まることとなり
おじい おばあたちに永遠の「ふるさと」との別れの日がやってきます
住み慣れた家を取り壊す映像を大西さんは収めていましたが
ファインダ一越しに見ていて涙が止まらなかったそうです
取り壊されている家をみながらおばあは大きく取り乱すのではなく 淡々と見つめていました
その背中を見ながら 私は映画館で胸がつぶれる思いがしたのを覚えています
この映画を見終わったあと 私は徳山へ行きたい思いが募ってきました
で翌年の初夏に訪れることが出来ました
ここまで何回か分けて書いていますが それほど私の人生の中で価値観を変える出来事だったのです
次は何年かぶりの「ふるさと」の訪問を書きたいと思います
今日はこんな感じです