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ひきこもりの40代男性が、父の介護を担うまで回復した道のり。必要なのは「正論」でなく「傾聴」

2021-10-28 15:30:00 | 日記

下記の記事は婦人公論.jからの借用(コピー)です。

ひきこもり状態にある40〜64歳の中高年は全国で60万人以上いると推計され、「80」代の親が「50」代の子どもの生活を支える「8050問題」という言葉もよく聞くようになりました。一方、ひきこもった本人やその家族と接してきた精神科医の最上悠先生によれば、年を取れば取るほど克服するチャンスが失われて深刻化する可能性があると言います。またその原因はさまざまでも「背景」には共通する点があるそうで――。
「原因」はそれぞれでも「背景」には共通する点が
ひきこもり自体は医学的に正式な病名ではなく、状態を指す言葉であり、社会的ひきこもりとも呼ばれます。しかし、さまざまな精神疾患が関係していることも少なくないうえ、そもそもひきこもり自体は決して健康的なことではなく、私自身は精神疾患の生まれる背景と共通する部分も多いと思っています。
では、子どもはどんなことが原因で自立に向かうことから目を背ける(心理的ひきこもり)ようになり、ときには社会的ひきこもりにまで至るのでしょうか。
ひきこもりのきっかけや原因は人それぞれで多様なのですが、背景には共通する点もあるように思います。
それについて述べるのは、精神科医である私としては非常に勇気が要るのですが、日頃診療に当たってきた患者さんたちのケースを見ると、ひきこもりや問題行動など、子どもの心の行き詰まりの背景には、深刻なケースやこじらせているケースほど、親との確執や葛藤を抱えていることが少なくないという印象を抱かざるを得ません。
病名はさまざまであっても、長くひきこもり生活などに苦しむ患者さんたちに、初診時に私が、「心の行き詰まりは、本音の感情を押し殺し続けた結果生じてくる現象とも考えられています。あなたも小さい頃からこれまでずっと、自分の心を殺して我慢してきたのではないでしょうか?」と聞くと、ほぼ大半のかたがいきなり目を真っ赤にし、なかには涙が止まらないかたもいるほどです。
感情を押し殺してきた対象の大半は「親」
では、誰に対して感情を押し殺してきたのでしょうか? その大半は、もちろん親に対してです。
でも多くの親は、「こんなに好き勝手なことを言い、やっているのに、この子のどこが我慢しているのか?」と言います。実は、親が未だに気づいていない、信じられないとさえ思っている、この行き違いの原因こそが、問題の核心なのです。
問題の核心は「親子の行き違い」
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ここで誤解していただきたくないのですが、私は親にすべての原因があると言うつもりはありません。そう決めつけるのは大きな誤りだとさえ思っています。
どこにかわいい我が子をひきこもりや病気にしようと思って育てる親がいるでしょうか。どんな親も我が子には立派な人間になってほしいと願って一生懸命に育てたはずだと私は信じたいと思っています。
それでうまくいったケースも世の中には数え切れないほど存在しているのも事実でしょう。ただ、なかにはそのやり方では、心に行き詰まりを抱えてしまう繊細な子どもがいることも事実なのです。そのような心の行き詰まりを抱えた子どもや家族と接して感じるのが、多くの場合、子どもは親が思うよりはるかに繊細な感受性を持っているということです。
一方、立ち直ったすべてのケースで、ターニングポイントになっているのは、親による子どもへの「傾聴と共感」です。
「傾聴」とは、我が子の話を真剣に聴くこと。「共感」とは、話を受け止め、我が子の心の奥底にあるつらさや悲しさといった感情を理解し同じ気持ちになろうと努めることです。親がただひたすら子どもの話に耳を傾けるだけで子どもは大きく変わります。
著者が新刊で紹介した傾聴・共感の方法は「家族療法」と呼ばれる治療法の一環として行われたものです。ケースによっては心の悩みに苦しむ成人の子ども本人ではなく、親だけに指導されることで、たとえ精神疾患であっても、そして診察に一度も来ないお子さんまでもが回復することもまれではありません。 
ここで「傾聴と共感」の一例として、親が我が子への考え方を見つめ直し、接し方を変えたことで、子どもが心の行き詰まりから立ち直った例をご紹介しましょう。
行き詰まり具合としてはかなり重い部類に入りますが、こんな厳しい状況からでも子どもは立ち直れるのだということを示す好例だと思います。
「父親の重圧から解放されて立ち直ったSさん」の例
【子ども】
男性Sさん:40代前半。ひきこもり、複数回にわたって自殺未遂を起こす

【両親】
父親:70代後半。母親:70代前半

※子どもと親の年齢は、「家族療法」開始時点のものです。
* * *
Sさんは、二人姉弟の長男で、父親はある地方都市で自ら創業した会社を経営していました。父親は会社だけでなく、家庭の中でも絶対的な存在で、Sさんの母親も夫には絶対に逆らいません。
父親がSさんに望んだのは、他人様に自慢できる立派な大学を出て、自分の跡を継がせること。幼い頃から帝王学を学ばされたSさんは、父親に反論したり、自分の意見を言ったりすることなど想像もできませんでした。
大学はなんとか自分の志望する東京の学校に進んだSさん。そして、大学4年になり、本当は就きたい仕事があったものの、それを父親に切り出すことができないまま、父親の経営する会社に入社します。
Sさんは、入社してからの1年はなんとか仕事をこなしていました。ですが、同僚や取引先など、周囲の人々とのコミュニケーションがうまくいかず、入社2年目には会社を休みがちになり、自室にひきこもるようになりました。

「お前にいくらかけたと思っているんだ!」
そんなSさんに、父親は、「お前にいくら金をかけたと思っているんだ!」「**家の跡取りがそんなだらしないことでどうする!」と激しい言葉を浴びせます。母親も、見て見ぬふりをして、救いの手を差し伸べようとはしませんでした。
追い詰められたSさんは自殺未遂を図ります。幸い命に別状はなく、一度はすすめられて精神科を受診しましたが、担当医からは「あなたは病気ではないから」とあまり有用なアドバイスも得られなかったために、長続きしません。それを何度か繰り返すうちに、Sさんは40歳を過ぎていました。
そんな状況に我慢できなくなったのか、このときすでに80歳近くなっていた父親はある日、Sさんにこんな厳しい言葉をぶつけました。
「もう、お前なんか必要ない!」
この言葉に打ちのめされたSさんは再び自殺を図りました。今回もなんとか一命をとりとめましたがSさんの度重なる自殺未遂は一家に大きな衝撃を与え、ついに母親の目を覚まさせました。
「ひきこもりのまま、後の半生を過ごさせるのはあまりにも不憫だ」
そう考えた母親は、家族全員でSさんの治療に臨むことを決意したのです。
ひたすら話に耳を傾ける
家族療法による治療は、Sさん自身ではなく、母親と姉が、ある家族会(家族だけが集まる形式)に参加し、セラピストのアドバイスを受けるところからスタートしました。
『8050 親の「傾聴」が子どもを救う』(著:最上悠/マキノ出版)
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Sさんが何度も自殺を図ったのはなぜでしょうか?
「誰も僕の本当の気持ちや苦しみをわかってくれようとはしない。僕が死ねば、少しは僕の死後に何かをわかってくれるかもしれない」
これは後になって、Sさん本人が話したことです。
Sさんは、この年になるまで、自分の本心を両親に打ち明けたことがありませんでした。正確には、幼少期にそれが叶わないと諦めてしまったと言えます。言いたいことは心の底にため込まれてきて、その処理ができなかった苦悩の蓄積が、究極的には自殺未遂という極端な形になって表れたのです。
セラピストは母親と姉に、「とにもかくにも、まずはSさんの言いたいことや気持ちのすべてに、丁寧に耳を傾けて聴いていただけませんか?」と提案しました。大切なSさんを失いかけた母親と姉は、「Sの話すことは、何でも聴くようにします」と答えました。助言されたことを忠実に実践すべく、二人はSさんの話に耳を傾けることを開始し、続けました。
母親にすれば、それまでそんなことをしたことがなかったので、どうしてよいか戸惑い、ときには苦痛も伴ったはずです。でも子どもは、親が自分の話に耳を傾けてくれることで親の「愛情」を感じるのです。 
一方、父親は当初、セラピーに加わるのを大の男のやることではないと嫌がっていました。しかし、妻から家族療法やSさんへの接し方に関するアドバイスを聞くうちに、頑なだった態度が少しずつ変化していったのでした。
以前はSさんの言うことに全く耳を貸そうとしなかったのが、息子を死なせかけたことがよほど心に響いたのか、妻や娘と同じように、Sさんの話に耳を傾けるようになっていったのです。
父親の一言が転機に
母親と姉が家族療法を学び始めてから1年後、Sさん自身に大きな変化が表れていました。両親が自分のことを理解しようと努力しているのがわかったことで、少しずつですが、両親に対して口を開くことが増えていったのです。
少しずつ心を開いていったSさん(写真提供:写真AC)
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両親も、子どもが少しずつ心を自分たちに開いてくれていることが実感できるのでうれしくなり、さらにSさんの話に耳を傾けるようになりました。そして、Sさん自身にもなんとかしたいという前向きな気持ちが育まれ、自ら希望してカウンセリングに通うようになりました。
転機となったのは、父親がSさんにかけたこんな言葉でした。
「会社は姉さんに継がせる。もうお前は好きにしていい」
その言葉で、Sさんは長年の胸のつかえが取れたそうです。それからはまるで別の家族のように互いに満たされた時間が経過していきました。
しかし数年後、父親は認知症を発症していることがわかり、自宅で療養することになりました。このときなんとSさんは、父親の身の回りの世話を買って出ます。食事の世話や入浴、そしてオムツの交換までしたそうです。
ある日、お風呂でSさんが父親の背中を洗っているとき、父親が涙を流して感謝している姿を見て、Sさんは「親父がしたことのすべてを許そう」と心の底から思えたのだそうです。
数年後、父親は亡くなりました。そのとき、Sさんはこう言いました。
「僕も親不孝をしたけど、親父がわかってくれて、最後に親父の面倒を見ることができて、本当によかったと思います」
父親が亡くなった後、Sさんは家業である会社の仕事を少しずつ手伝うようになりました。その後、母親も80歳を過ぎて認知症になってしまったものの、Sさんは家で仕事をする傍ら、母親の面倒を見ながら二人で仲よく暮らしています。
「親の正論」は一発逆転どころか四面楚歌を招く
ひきこもった子どもが未成年や20歳そこそこであれば、親子の問題の所在もわかりやすいことが多く、常識的にも親が子への関わりを受け入れやすく、親もまだ若いので子の問題に向き合うエネルギーもあります。
しかし、子どもの苦悩やひきこもりが長引いて自立できないまま中年を迎えると、親は我が子を支えることに疲れ果て、「もうどうすることもできない」「成人しているのだから、この子は自分の力で立ち上がるしかない」「親の努めは、もう終わっているのだから……」とあきらめてしまいがちです。
ときに親が自分の不安解消にしか目がいかず、一発逆転を狙った言動の典型が「お前なんていらない」とか「家を出ていけ」といきなり罵倒するパターンです。
親としては正論を吐くことで「愛のムチ」を振るってやった、などと自身の責めを負うことから目を背けることができても、言われた子どもは、中年になって追い出されるとなると、四面楚歌の状況に一気に追い込まれます。
その際、衝動が内側に向けばSさんのように自傷行為に及びますし、「親のお前のせいでこうなったのに」と恨みが外に向けばときに他害となります。「ひきこもりの中年息子が、自立を促した老親を金属バットで傷害を与えた」と、警察沙汰になり報道される事件の背景にはこのような経緯が多々あります。
それでも、Sさんのように親が自分のことをわかってくれたというだけで、子どもは大きな苦しみから抜け出すきっかけがつかめ、長く苦しんだぶんだけ、かえって親に対して深い感謝の気持ちが生まれることさえ珍しくはないのです。
とりわけ親のことでこれほどにとらわれて苦しむ子どもというのは、本当は親が大好きでたまらず、大好きな親に認めてほしいという気持ちが人一倍強く潜在しているから、このように苦しむのだと理解してあげたいものです。
※本稿は、『8050「親の傾聴」が子どもを救う』(マキノ出版)の一部を再編集したものです。 


睡眠障害での受診タイミングは?睡眠薬の服用はOK?

2021-10-28 13:30:00 | 日記

下記の記事はハルメクWebからの借用(コピー)です。

生活習慣を見直してもどうしても眠れない……そんな状態が続くようなら病院を受診した方がいいでしょう。でも、どんなタイミングで、どの病院を受診すればいいのでしょうか?また、市販の睡眠薬は飲んでもいいのか? 専門科医に聞いてみました。
目次
    1. 「睡眠障害?」と疑ったときに病院にかかるべき?
    2. 睡眠障害は、どの病院にかかるべき?
    3. 睡眠薬は飲んでもいいもの?
    4. 服用を続けてもいい睡眠薬と駄目な睡眠薬は? 
    5. 睡眠サプリの効果は?
    6. 取材先・監修「睡眠障害?」と疑ったときに病院にかかるべき?
睡眠障害を疑ったときには、どのタイミングで病院にかかるべきなのでしょうか? 睡眠の専門医である医師、白濱龍太郎さんは次のように話します。
「眠りに対して悩んでいる人は大勢いらっしゃいます。不眠だと思い始めてすぐに病院を受診する必要はありません。だからといって、放っておいて本物の不眠症になっていく場合もありますから、まずは睡眠習慣を整え、深睡眠ストレッチを行い、セルフケアを行ってみましょう。そして睡眠障害だと思う症状が“1か月続く場合”は、病院での受診を考えてみてください」
 睡眠障害は、どの病院にかかるべき?
睡眠障害は、睡眠時無呼吸症候群や更年期による諸症状である更年期障害、うつ病など、さまざまな原因が複合的に関係している場合があります。では、どの病院にかかるのが適切なのでしょうか?
「睡眠障害で病院にかかるなら、まずは『睡眠外来』に足を運ぶといいでしょう」と白濱さん。日本睡眠学会のホームページには、「日本睡眠学会専門医」と「日本睡眠学会専門医療機関」が掲載されています。病院を探すときは、そこで最寄りの病院を探すことをおすすめします。
「ただし、ご自宅の近くに睡眠外来があるとは限らないと思います。そのときは内科の病院にかかるといいでしょう」(白濱さん)。
他にも、気分の落ち込みなら心療内科、いびき・睡眠時無呼吸症候群なら、いびき外来、耳鼻咽喉科、呼吸器内科、閉経前後10年の更年期にあたるなら婦人科にかかるという手もあるそう。
睡眠外来で受診をした際は、どのような処置が行われるのでしょうか?
「睡眠習慣の可視化と改善からスタートします。そして睡眠の状況を見ることで、不眠の原因を探ります。他に基礎疾患や睡眠時無呼吸症候群の鑑別を行っています」と白濱さん。
睡眠習慣を正す指導を受けることと同時に、睡眠障害の原因として疑わしき病気がある場合は、各専門医と連携を取り治療にあたることになるそうです。
 睡眠薬は飲んでもいいもの?
睡眠をもたらす薬は、ドラッグストアや薬局でも手に入れることができます。ドラッグストアや薬局で購入できる薬は「睡眠改善薬」と呼ばれています。また睡眠外来でなくても、どの医療機関でも「睡眠薬」を処方することができます。
眠れないときは、薬局で販売されている睡眠改善薬や処方された睡眠薬を使ってもいいのでしょうか。
「一般薬として、安易に睡眠改善薬が買えるようになりました。しかし、薬局で買えるような睡眠改善薬に頼るのは得策ではありません。花粉症の薬を飲んだときに眠たくなるのと同様の仕組みで、眠りをもたらすようにできているため、自然な眠りをもたらすものではないからです。
また睡眠時無呼吸症候群で熟睡感が得られていない場合に、睡眠改善薬や睡眠薬で無理やり寝ようとしても不眠は改善されません。不眠感があると、さらに強い薬を服用するようになって悪循環に陥るだけです」と白濱さん。
一般的には、睡眠薬や睡眠改善薬は、寝られない人がぐっすり寝るために服用するものというイメージがありますが、医師としては「ゴールを考えてから飲むべきもの」として考えてほしいそう。
「睡眠の専門医が睡眠薬を処方する際のゴールは、睡眠習慣を身に着けて自然と眠れるようになることです。そうなるように考えて処方をしています。薬局の睡眠改善薬に頼るときは、どうしても眠らないといけない場合の一時的な対処方法と考えた方がいいでしょう」服用を続けてもいい睡眠薬と駄目な睡眠薬は? 
では、飲んでもいい睡眠薬と飲んではいけない睡眠薬はあるのでしょうか?
「治療方針に沿った正しい処方が行われていれば問題はありません。病院で処方される睡眠薬の成分は時代とともに進化しており、睡眠の質の改善を目指して睡眠薬も開発されているため、すべてが問題あるわけではありません。1950年から睡眠薬は存在していますが、2000年代に入ってからも副作用が少ない睡眠薬が生まれています。
先ほどもお伝えしましたが、睡眠薬の服用は、ゴール設定が肝心です。昔ながらの依存性が高く、副作用も出るような睡眠薬を長期間で処方される場合は、望ましくありません。かかりつけ医に、いつまで飲むかと治療方針を聞いた方がいいでしょう」
また、睡眠薬を服用するときはアルコールを摂取してはいけないことは必ず覚えておきましょう。
■主な睡眠薬
睡眠薬は、次の3つに分けられます。
    * ・ベンゾジアゼピン系「ハルシオン」「レンドルミン」「サイレース」「ソメリン」など
昔ながらの睡眠薬。強制的に脳の活動を抑制し、「眠る」ポイントを切り替えるように作用します。記憶障害、運動障害、依存性、持ち越し効果など、副作用があることも。持ち越し効果とは、翌朝まで眠気が続いてしまうことです。

    * 非ベンゾジアゼピン系「アモバン」「マイスリー」「ルネスタ」など
ベンゾジアゼピン系と同じ仕組みで作用し、強制的に脳の活動を抑制します。ベンゾジアゼピン系よりも依存性や副作用が軽減されています。

    * ホルモン作動系「ロゼレム」「ベルソムラ」「デエビゴ」など
眠りをもたらすホルモン「メラトニン」の受容体に作用する薬や、覚醒をもたらすホルモン「オレキシン」受容体に拮抗し、自然睡眠に近い生理的睡眠をもたらす薬。「ロゼレム」は2010年、「ベルソムラ」は2014年、「デエビゴ」は2020年に認可されたもので、比較的新しい薬。ベンゾジアゼピン系・非ベンゾジアゼピン系の睡眠薬が持つ副作用が出にくく、睡眠時無呼吸症候群の患者や高齢者も安心して服用できる睡眠薬。
 睡眠サプリの効果は?
睡眠薬だけでなく、昨今は睡眠の質を高めることを目的にしたサプリが多く販売されています。睡眠サプリの効果は、どのように考えるべきなのでしょうか?
「眠りに必要な栄養素を摂取する、という仕組みのものがほとんどだと思います。科学的・理論的には合っていると思いますが、効果があるとは言い切れません」と白濱さんは注意を促します。
「眠れないときに気持ちを落ち着かせるためにハーブティーを飲むように、睡眠習慣の一つとして取り入れるのはいいですが、睡眠障害の原因は、栄養だけではない場合がほとんどです。そのサプリを飲んでいるからといって、そもそもの眠りをもたらすメカニズムをおざなりにしてしまうのは本末転倒。頼り過ぎないようにしましょう」
次へ▷次回「閉経後の女性は要注意!睡眠時無呼吸症候群の対策は」を読む取材先・監修
RESM新横浜 睡眠・呼吸メディカルケアクリニック 院長 白濱龍太郎さん

しらはま・りゅうたろう 2002年、筑波大学医学群医学類卒業。東京医科歯科大学大学院統合呼吸器病学修了。東京共済病院、東京医科歯科大学附属病院を経て、13年にクリニックを開設。日本睡眠学会専門医。   


《皇室のいちばん長い日》「小室さんは何から何まで逃げる人だった」眞子さんの“結婚記念日”の東京ルポ 日比谷では反対デモ、小室さんの地元では…

2021-10-28 11:00:00 | 日記

下記の記事は文春オンラインからの借用(コピー)です。

2021年10月26日は、日本の皇室にとって大きな転換点となった。
 秋篠宮家の長女・眞子さまと小室圭さん、今月30歳になった2人は婚姻届を自治体に提出して入籍を果たした。眞子さまは小室眞子さんとなり、2人揃っての結婚会見が都内ホテルで開かれた。
 当初は会見で質疑応答を行う予定だったが、前日19時過ぎに質問への回答が文書になること、2人が冒頭のあいさつのみで退席することが発表された。25日の眞子さんは、オレンジ色のワンピースに身を包み、上皇上皇后陛下に結婚の挨拶を行っている。沿道に集まった人や報道陣にも手を振って応えていた。
 国民的な祝い事になるはずだった内親王の結婚記念日は、そのスタートから不穏な空気に包まれていた。前代未聞の日、日本の長い1日をルポする。)
沿道からは「バンザーイ」
 午前10時、水色のワンピースに長い黒髪をまとめた眞子さんが、チューリップの花束を手に赤坂御用地にあるお住まいの玄関から姿を現した。続いて秋篠宮さまと紀子さま、佳子さまが外に出られ、最後の挨拶を交わす。佳子さまは眞子さんを抱きしめ、目を合わせて頷く場面も見られた。御用地の家を出発する眞子さんと抱き合う佳子さま 
 眞子さんは報道陣に一礼して車に乗り込むと、秋篠宮ご夫妻と佳子さま、そして職員に見送られながら住み慣れた赤坂御用地を後にした。
 赤坂御用地付近は多くの警察車両が厳戒態勢で警備を敷いていた。その中を眞子さんを乗せた車が走ると、テレビや新聞など数十社の報道陣が一斉にフラッシュを光らせる。沿道からは「バンザーイ!」という掛け声が上がり、眞子さんは窓を開けて笑顔で沿道に手を振っていた。
 結婚会見の会場となったホテルグランドアーク半蔵門の周辺は警察と報道陣が100人近くごった返し、「今日は朝の9時からお祝いに来ました」という一般の人も。70代の女性は「歌舞伎を観に近くまで来たんですけど、こんなこと一生ないと思い、もう眞子さまにお目にかかれないかなと思って初めて来ました。お2人には幸せになってほしいです」と心配そうに様子を見守っていた。
「茶番会見やめて」「皇室特権の氾濫を許すな」
 一方その頃、日比谷では結婚に対する抗議デモがスタートしようとしていた。午前11時に日比谷公園に集まった約120人のデモ隊は、日比谷から銀座までの1.7キロを40分かけて行進した。
 デモ隊は「茶番会見やめて」「皇室特権の氾濫を許すな」「NO KOMURO 皇室利用を許さない」「皇室は私達のよりどころ」など様々なメッセージカードを掲げて歩き、沿道では怪訝な視線を向ける人がいる一方で、拍手があがることも少なくなかった。デモの主催者だという男性は、狙いをこう語る。
「9月12日から新宿を皮切りにデモを始めて、今回で12回目になります。国民は眞子さまの結婚に反対しているわけではなくて、小室家に対して誠実な対応をしてもらいたいと願っている。眞子さまは結婚に反対していることが誹謗中傷という認識を持たれているようで、それを聞いて個人的には落胆しました。小室さんに対しては最後くらいは自分が矢面に立って、責任を果たすのが夫としての役割じゃないかなと思います」
 参加者は50~60代の女性を中心に年齢も性別も幅広い層が参加していた。横浜から1歳の子供を連れてデモに駆けつけた20代の女性は「皇室に対するイメージはだいぶ変わってしまいました。以前まで皇室は自分たちとは住む世界が違うやんごとなき方たちで、日本のために色々がんばってくださると思っていたんですけど。ネットでの厳しい意見は自業自得としか思えません。眞子さまの身から出た錆だと思います」と厳しい口調で語った。新宿アルタの巨大モニターにも表示されていたが、足を止める人はすくなかった
 14時に眞子さんと小室圭さんの会見がスタートすると、半蔵門のホテル前に集まった人々は各自がスマートフォンを開いて中継を見守った。新宿でもアルタ前の大型ビジョンで会見の速報が流れていたが、足を止める人はいなかった。
 会場のホテル前で会見を見守った80代の女性は感動した様子でこう話す。
「私は28年来の眞子さまファンで、会見を見てジンときました。眞子さまもしっかりしているし、小室さんも前の会見とは少し違った。眞子さまには結婚おめでとう。これからもお幸せにと言うしかないですよね」
 会見から約3時間後の17時40分ごろ。眞子さんを一目見ようと集まった人で再び会場付近は埋め尽くされていた。
 会場に入る際は窓を開けて会釈した眞子さんが、帰りは小室さんと後部座席に並んで座り、窓を開けずに会釈をしながら通り過ぎ、眞子さんが帰ったことに気づかない人々が多数だった。「ウソ、もう行っちゃったの?」と落胆する女性の声も聞かれた。
 眞子さんが渡米するまで生活する渋谷区のマンション前では、会見中から30人ほどの報道陣が待機しており、17時近くになると近隣住民も集まって100名ほどが眞子さんと小室さんの到着をいまかいまかと待ちわびていた。
 4年前に眞子さんと小室圭さんの婚約内定会見が行われた時は、商店街をあげてのお祭り騒ぎだった。
 しかし26日は商店街に祝賀の垂れ幕や張り紙は一切なく、4年前の祝祭感はどこにもなかった。
 商店街の人も、「4年前は駅前で商店街の振興組合が地元の梅酒を1000人以上に振る舞って、和菓子屋さんでもお赤飯が売られていました。でも今日は静かですね……」と寂しそうだ。
 近くに住んでいるという男性は残念そうな表情でこう話す。
「駅前でお祝いのメッセージを掲げていた人もいたみたいですよ。小室さんはちゃんとアメリカで自分の道を切り開いて諦めずにやってきたんだから私は立派なもんだと思いますけどね。一時金も受け取って幸せになって欲しかった」
 大倉山商店街のレストランで学生時代にアルバイトをしていた当時の小室さんを知る女性は、懐かしそうに顔をほころばせた。
「今は男らしい感じですけど、当時はかわいらしい印象でした。小室さんがアルバイトしていたレストランにはよく家族で行っていましたが、きちんとナイフとフォークをテーブルに並べてくれてね。今日の会見も立派だったと思います。このあたりの人は心からおめでとうと思ってますよ」
1日ではがされたお祝いメッセージ
 とはいえ、4年前は祝福一色だった商店街では先月、ある“事件”が起きていた。眞子さんと小室さんの結婚へのお祝いのメッセージとともに2種類の饅頭を発売した老舗の和菓子屋に無言電話や「もう二度とお店には行かない」という抗議の電話がひっきりなしに鳴ったという。お祝いメッセージは1日ではがされてしまったという。
 秋篠宮さまと紀子さまは眞子さんの結婚について「今回、皇室としては類例を見ない結婚となりました」とコメントを発表。小室さんは来月中にもアメリカへ戻る予定だが、眞子さんの渡米日程はまだ決まっていない。今後お2人はどのような道を進むのだろうか。
 警察官が大声で交通誘導する中、上空にはドローンも出現。17時55分頃に眞子さんと小室さんを乗せた送迎車が到着し、2人が車の中から窓を開けずに会釈すると、「結婚おめでとうございますー!!」という祝福の声が挙がった。
「眞子さまが小室さんに依存しているようにしか見えませんでした」
 眞子さんと小室さんの結婚、そして会見は国民の目にどう映ったのだろうか。サラリーマンの聖地・新橋で仕事を終えて帰宅途中の人々に話を聞くと、厳しい反応が多く返ってきた。
「(会見で質問を受け付けなかったことについて)悔しい。小室さんは何から何まで逃げる人だった」(男性・30代)
「『私にとって圭さんはかけがえのない存在です』とか、国民はそんなことを聞きたいわけじゃないですよね。2人の惚気話を聞かされただけでした。一方的に自分たちの意見だけ押しつけて、国民の代表であるメディアの質問には答えない。そんな身勝手なことを30歳になった大人でやっていいのでしょうか。これから社会に出てやっていけるのか疑問です。眞子さまが小室さんに依存しているようにしか見えませんでした」(女性・30代)
 そんな賑わいをみせる都内と対照的だったのが、小室さんの実家がある横浜市大倉山だ。朝は小室さんの出発姿を見ようとする報道陣が多くいたが、会見終了後には10名弱になっていた。


小室眞子さんの笑顔なき結婚会見に「かわいそう」国民感情を二分した“雑誌協会質問”

2021-10-28 10:30:00 | 日記

下記の記事は週間女性プライムからの借用(コピー)です。

「少しでも印象よく見せようとしたのか、時折笑みを浮かべて原稿を読み上げる圭さんの一方で、真っ直ぐ前を見据えて淡々と、時に強い口調になっていた眞子さん。それでも自分が読み終えると、“次はアナタの番よ!”とばかりに隣の夫に目配せする姿に、夫婦の力関係が垣間見えた気がします(苦笑)。
 それにしても違和感アリアリだったのが、これが本当に結婚会見だったのかということ。幸せ絶頂にいるはずの新婦にあまりにも笑顔がなかった……」
 10月26日、婚姻届が受理された後に都内のホテルで結婚記者会見を開いた小室圭さんと眞子さん。しかし、冒頭で情報番組ディレクターが感想を述べたように、おめでたい雰囲気は感じられずにピリピリした空気に包まれていた様子は、テレビ画面を通しても十分すぎるほどに伝わってきた。
 この日の午前中、長年暮らした赤坂御用地の秋篠宮邸を発つ前に、秋篠宮ご夫妻と佳子さまに見送られた眞子さん。最後に姉妹がハグする姿に心打たれた国民も多かったことだろう。
「皇族としてでなく、ありのままの姉妹の姿にネット上では“泣ける”“切ない”などの声とともに、“おめでとう”“お幸せに”と祝福する声も多く見受けられました。小室家の“借金問題”が表面化して以降は、結婚反対や破談を声高に叫ぶ“反対派”ばかりが目立っていましたが、実際には眞子さんの“味方”もいたということでしょう」(ネットニュース編集者)
結婚賛成が6割を超える現状
 結婚直前に実施されたANN(テレビ朝日系グループ)の世論調査によると、結婚を「お祝いしたいと思う」が61%に上り、「思わない」の24%を大きく上回ったとしている。他媒体の調査でも同様に、眞子さんらを応援する肯定派が反対派を上回っている現状がある。
 前出のディレクターは「局としてこれを無視するわけにはいかない」と、番組制作における事情を明かす。
「言い換えれば、“大多数の視聴者が2人の結婚を認めている”とも言えるわけで、ならば応援する内容に傾くのは自然のこと。その方がより視聴率が見込めます。
 もちろん、週刊誌で報じられてきた佳代さんの遺族年金不正受給疑惑などの金銭トラブルはインパクトが強く、視聴者の興味を引きやすい案件です。でも、佳代さんの元婚約者が訴えた“借金問題”とは違い、それ以外はあくまでも疑惑止まりでおいそれと放送するわけにはいきませんよ」
 10月6日、フリージャーナリストが遺族年金や傷病手当金等を不正受給したとして、佳代さんを詐欺容疑で刑事告発したことが一部ネットニュースで報じられたが、東京地検は“証拠不十分”として告発状を返送している。やはり、この顛末もテレビで放送されずじまいだった。
 皇室事情に詳しいジャーナリストは「ネットの意見が国民の総意ではない」と警鐘を鳴らす。
「すべての国民、視聴者が逐一、小室さんに関するニュースを率先してチェックしているわけではなく、彼らが抱えているとされるトラブルや疑惑をすべて把握しているわけでもありません。極端な話をすれば、“なぜ、そこまで結婚を反対しているのか”と疑問に思っている人も少なくはないのです。
 片や、反対派の人たちは小室さんに関する記事を隈なく探しては、積極的にコメント欄に否定的な意見を書き込むので、結局、それが大きく目立ってしまう。故に“皆が結婚に反対しているのに”と思い込んでしまう節があります。
 そんな肯定派と反対派の感情の乖離が大きく伺えたのが、記者会見での“日本雑誌協会質問”だったように思います」
 (一般社団法人)日本雑誌協会とは、雑誌・出版業界の発展を目的として結成された業界団体で、現在88社が会員社として加盟している。今回のような皇室や政治、国会関連における記者会見、またオリンピックなどの国際的行事などの際には代表社が取材にあたっている。もちろん『週刊女性』を発行する主婦と生活社も会員社だ。
 本来ならば、この日本雑誌協会、「宮内庁記者」「在日外国報道協会」による質疑応答の機会が設けられていた結婚記者会見だったが、直前になって眞子さんらが読み上げる“お気持ち”だけに変更。代わりに“3者”から提出された質問への回答書面が会見場で配布されたのだ。
眞子さんを怒らせた代表質問
 圭さんと眞子さんに対する日本雑誌協会の“代表質問”というのが《(1)小室さんの母親の金銭トラブルが解決されていないこと、(2)小室さんの経歴に”皇室利用”と受けとめられかねない事柄があること》の2つ。
 (1)は、元婚約者との金銭トラブル、佳代さんにかけられた遺族年金不正受給疑惑が現在どうなっているか。(2)は、圭さんがアメリカ・フォーダム大学に入学する際に「フィアンセ」として特別待遇を受けたのではないか、それぞれに説明を求めたものだった。
 これらの日本雑誌協会の質問に対して2人は回答前に、
《この質問は、誤った情報が事実であるかのような印象を与えかねない質問であると思います。このような質問に会場で口頭でお答えすることを想像すると、恐怖心が再燃し心の傷が更に広がりそうで、口頭で質問にお答えすることは不可能であると思いました。誤った情報が事実であるかのような印象を与えかねない質問をいただいたことは、誠に残念に思います。》
 と、強い怒りと不快感を示すような言葉を添えた。
「“複雑性PTSD”を患っていることを公表した眞子さんだけに、《恐怖心が再燃し心の傷が更に広がりそう》と拒否反応を起こしたような文面からは、質疑応答の機会を撤回したのは“この代表質問のせい”と訴えているようにも受け取れます。
 そして結婚会見の場にそぐわないとされたのか、質問を向けた雑誌協会に対して“ゲスすぎ”“不敬だ”“眞子さまが怒るのも当然”とネット上で炎上。眞子さまに同情する声が多く見受けられました」(前出・ジャーナリスト)
結婚前に説明責任を果たしていれば
結婚会見に臨んだ小室圭さんと小室眞子さん('21年10月26日)
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 たしかに一聞すると、お祝いの場に投げかけられるべき質問ではないのだろう。結婚を素直に祝いたい立場であれば、“不敬”に受け取れる内容だ。が、圭さんや佳代さんも疑惑に対して誠意を持って対応してきたとは言えず、記者会見ではそれが眞子さん自身の意向でもあったことを明かした。
「これでは結婚後も、説明に納得できない国民からの批判が収まるわけもなく……。本当ならば、追及する役割を担うのはテレビや新聞のはずなのに“忖度”をしているのか。皇族問題に限ったことではなく、政財界人の不正やスキャンダルにも言えることですが、テレビや新聞は週刊誌のスクープに乗っかっているのが現状です。
《誤った情報が事実であるかのような印象》を国民にもたらされたのであれば、何が事実で何が事実と異なるのか結婚会見前にクリアにすべきだった。国民が納得できる説明をせずに逃れ続けた圭さんですから、あの場は最後の質問機会だったとも言えます。そう思うと、雑誌協会の質問は至極当然ではないでしょうか」(前出・ジャーナリスト)
 日本雑誌協会に“苦言”を呈した後、元婚約者に対しては《解決に向けて、私が出来る限り対応したいと思います。解決金を受け取っていただきたい》。佳代さんの不正受給については《そのような事実はありません》。そして特別待遇については《私が皇室利用をしたという事実はありません》と回答してみせた圭さん。
 弁護士を志す身であれば、眞子さんのためにも、国民感情が分断される前に堂々と自らの口で説明してほしかったが……。


小室圭さん、眞子さん祖父が重体でも結婚延期しなかったのは「仕事の都合」

2021-10-28 10:00:00 | 日記

下記の記事はNEWSポストセブンオンラインからの借用(コピー)です。

 秋篠宮家の長女・眞子さんと小室圭さんが10月26日に結婚し、同日午後には記者会見が行われた。「誤った情報」「誹謗中傷」──“被害者”だと強調された結婚会見。秋篠宮ご夫妻はもとより、天皇皇后両陛下ほか皇族方には一切触れないという不自然さが際立ったが、結婚についてはもう1つ、不可解な点があった。
 眞子さんの結婚1週間前の10月19日、紀子さまの父で、学習院大学名誉教授の川嶋辰彦さん(81才)が都内の大学病院に緊急入院した。
「紀子さまは顔を真っ青にされていたそうです。“なぜつらいことがこうも重なるのか”と呆然とされるお気持ちもわかります」
 ある宮内庁関係者はこうおもんぱかった。
「高齢ですが、まだまだアクティブに研究を続け、最近も元気な様子でした。それが突然倒れて、直ちに運ばれたそうです」(川嶋家の知人)
 すぐに紀子さまに連絡があったが、紀子さまはオンラインでの公務を控えられていたので、先に眞子さんと佳子さまが病院に急行したという。
「川嶋さんは集中治療室に入り、予断を許さない重体だったそうです。公務を終えられた紀子さまも駆けつけましたが、コロナ禍ということもあり、ガラス越しでの面会しか許されなかったといいます」(前出・宮内庁関係者)
 10月22日、眞子さんはお別れの挨拶のために天皇皇后両陛下と会った。その後、再び祖父を見舞うために病院に向かったという。
 川嶋さんは長女を皇室に嫁がせたが、皇室との交際には一線を画してきた。
「皇室と民間との“世界の違い”を強く認識している方です。娘や孫に会いに秋篠宮邸に行くことは控えていましたし、皇族とその親族が出席する『菊栄親睦会』などの会合にもほとんど出席しなかったと聞いています。ただし、もともと大の子供好きだった川嶋さんは、いつも孫の眞子さん、佳子さま、悠仁さまのことを気にかけ、幼い頃は折に触れて絵本などを贈っていたそうです」(前出・川嶋家の知人)
アメリカに早く帰らなくては
 そんな川嶋さんの心配の尽きない状況に、宮内庁内部でも「結婚は延期すべきでは」という意見もあったという。
「祖父が集中治療室に入っている状況です。一般の家庭でも、“大変な状況だから結婚は少し様子をみよう”となるのは当然のことです。ましてや、家族の絆を大切にされる皇族方であればなおさらです。紀子さま、秋篠宮さま、そして眞子さんも、“家族の一大事に、このまま結婚に突き進んでいいのか”と相当に悩まれたのは想像に難くありません」(別の宮内庁関係者)
 たしかに通常の女性皇族の結婚に伴う儀式もなく、披露宴もない。ただ皇籍離脱に伴う手続きがあるだけなので、ふたりの意思で「いまは少し見送ろう」と決めれば、多くの人を巻き込むこともなく、延期は可能だろう。しかし結局、結婚は平然と行われた。複雑性PTSDと「質問」が理由で会見らしい会見ができなくても、祖父の厳しい状況があっても、なぜ結婚は止まらなかったのか。
「小室さんが日本にいられるのはあとわずか。すぐにアメリカに戻らなければならないからです」と言うのは、前出の皇室ジャーナリストだ。
「小室さんは就職先の米ニューヨークの法律事務所から『早くアメリカに帰ってきて仕事に復帰してほしい』と再三要請されているといいます。オンラインでできる業務にも限界がありますからね。いくらプリンセスの結婚相手で、“将来の天皇の義兄”だったとしても、新入社員の立場では、プライベートな休暇を取り続けるわけにいきません。
 だから、このタイミングで結婚しないと、次はいつチャンスがあるかわからない。平たく言えば、小室さんの仕事の都合です」
 4年前、婚約内定会見を開いたのも、小室さんの仕事の都合で日曜日だった。その日は両陛下のお出ましが注目されていたのに、なぜその日にしたのかと疑問の声が上がったことが思い起こされる。
「そもそもの結婚延期の原因となった小室家の金銭トラブルは、まだ解決に至っていません。しかも次々にほかの疑惑が湧いて出てくる。もしここで再度延期するようなことがあれば、また破談論が巻き起こることは避けられません。何がなんでもこの機会に、という執念の結婚を実現するための計算しつくされた会見だったのでしょう」(前出・宮内庁関係者)
 最後まで、小室さんの都合だったのだ。