いつもながら一足遅れて
新年おめでとうございます
皆様良い新年をお迎えの事とおよろこび申し上げます
遅ればせながら今年も宜しくお導きのほどお願いいたします。
今日は初詣に行って参りました。もしかして今日も来客?と気にしながら・・・・・。
やっぱり留守中来られていました。ごめんなさい。
四日ともなりましたので空いているかなと思いましたが
まだ賑わっていました。
板橋不動尊(清安山願成寺不動院)
大同3年(808年)弘法大師が創建したと伝えられます。
現在の建物は江戸時代中期の代表的なもので本堂,楼門,三重塔すべて県指定文化財に指定されている。
更に御本尊の不動明王・二童子立像は弘法大師が自ら彫刻したと伝えられており,国重要文化財となっている。
一言主神社
たった一言の願いでも応えてくれる万能神様!
大同4年、社殿周辺に奇しき光とともに雪の中から現れた筍が「三岐の竹」となり、
お祓いをしたところ御祭神の一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)が現れたといわれている。
御祭神は、一言だけの願いを言っても聞き逃さず応えてくれる神様といわれ、家内安全、縁結び、
病気平癒などあらゆるご利益をもたらす万能の神様。また、伝統芸能の「からくり綱火」は
県指定無形民俗文化財に、長録3年に建築された本殿は市の指定文化財に認定されている。
-大宝八幡宮 由緒書-
大宝元年(701)藤原時忠公が筑紫の宇佐神宮を勧請創建したのがはじまりである。
天台宗の古い経文の奥書に「治承三年(1179)己亥七月二十二日の未時書了於常陸州下津間八幡宮書了兼智」とあるから、
平安末期にはすでに八幡信仰が盛行していたことがわかる。
平将門公も戦勝祈願の為たびたび参拝し、当官の巫女によって新皇の位を授けられたと伝えられる。
「吾妻鏡」に下妻宮としるされ、文治五年(1189)、奥州征伐平定の日 源頼朝公が鎌倉の鶴岡八幡宮若宮を勧請し摂社若宮八幡宮を創建した。
寛政七年(1795)には光格天皇より額字及び御紋付幕を賜り、明治十九年には北白川宮より幣帛料が進納せられ、
徳川家からは社領115石が寄進され代々の朱印が付されて現存すると共に、代々の大宝城主、
下妻城主の崇敬がことのほか篤かったのは言うをまたない。
千古の連綿とした歴史の中で当宮から勧請された八幡宮は数え切れないが、東京深川の富岡八幡宮が著名である。
大宝の八幡さまに着いた頃は3時近くになっていましたので
お参りする方もまばらになってきました。
ただデイサービスを利用されている感じのおじいちゃんおばあちゃんたちと
今年も八幡様の前のお店でお見かけしました。遅い昼食をとっていた時、
施設の車、2台で来られ降りてきました。
どうぞどなた様にも良い1年となりますように。
ここ何年か何となく3か所お参りしていますが、神社の言われなど
検索してみました。