たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

我が背子 大津皇子 43

2019-02-21 23:00:01 | 日記
大津、大伯、大伯の乳母、道作で道作が海の民から献上された貝が作る宝石のような白い珠について談笑していた。

「噂には聞いていたけれど美しい珠ね。」大伯は驚いていた。

「大津さまの仕えのものだと言うと先の地震の時は助けていただいたと…貝が作る珠は虹のように光る貝殻に置くと美しいと、また繋げて首にかけるのが美しいと…また貝殻を鏡に見立て飾るのも美しいと。どうぞ大津さまに奉りたいとのことでございました。」と道作が言った。

大津が「姉上にはこの首飾りを。後のふたつは道作、お前の妻に捧げよ。」というと道作はとんでもないと恐縮して「大津さまのものでございます。」と言った。
「うん、確かに受け取った。しかし我がどうするかは承知の上でと思う。明日、その海の民に礼を申そう。道作、姉上と二人で話したい。道作、10日後にこの伊勢に戻ってこい。」と大津は言った。道作がどうしたものかと思案していると「土岐の妻にこれを渡してこい。名残惜しいであろうがまた伊勢に戻って来てくれ。姉上それでよろしいか。」と大津は言った。

「道作、大津の申すがままでよいではないか。久しぶりにそなたの家族に会ってくるが良い。たまには妻の機嫌もとっておかぬと。放って置くと女は怖いと思うぞ。」と大伯が言うと「姉上は、そうなのですか。」と大津がすかさず言うと「乳母に聞いたのじゃ。」と大伯は美しい顔を紅くして答えた。
乳母も「世の女子は誰でもそうではないかと。好いた男にはだけに、ございますが。」と大伯に助け舟を出した。

大伯は大津以外この世で男という物差しがわからない。そんな大伯を乳母は助けたかっただけだ。

次の朝大津は海の民にお礼を言いに、道作は土岐へと旅立った。

大津が海の民に礼を言うと「次の天皇さまは大津さま。私たちは大津さまとともにこの和の国があるのだと思っております。どうぞ、これまで以上に善政を施してくださいませ。」と大津に希望を託した。
大津は戸惑っていたが「そなたらとともにある国ということは一瞬たりとも忘れないつもりだ。」と皆に伝えた。

夕刻に大津は渡会の斎宮に帰り、大伯は嬉しさを隠しきれない表情で大津を迎えた。
大津もそのような大伯を見て本当に幸せものだと思っていた。

我が背子 大津皇子42

2019-02-18 22:59:09 | 日記
大津は天皇の勅命である伊勢神宮の社殿の修理に取りかかった。

大津が兄のように信頼する舎人の礪杵道作から見て大津はいつもより溌剌とし笑顔が多いように見えた。
側には大伯がいた。

礪杵道作は近江朝からこの姉弟を知っている。特別な姉弟なのだとも思う。
母がいない弟をこよなく愛し慈しみ、大津もその姉の気持ちを大切に育った。
同じ父、母を持ちながら憎しみあって競争相手と勝手に決めつけ完膚無きまで蹴落とす兄弟もいるこの権力争いもある王族で、天武が皇位を名乗ってから争いがないのだ。

何よりの奇跡としか言いようがない。

皇后も大津皇子さまの才能を愛し慈しんでおられる。もちろん、草壁皇子さまの存在そのものを愛し慈しんでおられる。
皇后さまあっての絶妙な均衡とも思うし、皇后さまあっての天武朝の安定と言って良いであろう。

唐があるかの大陸にはいくつもの王朝があったが傾国には必ず女の存在があったという。

しかし、道作はその一歩先を読む。もし仮に天武天皇さまがお隠れになっても構わないであろう。もちろん皇后さまでも。だが、万が一にもあってはほしくないがおふたりが同時にお隠れになったその時も大津さまに何もないと言えるだろうか。最近、草壁皇子さまのそばに不比等が侍るという。

「道作!」と大津のおおらかな声がした。

「皇子さま、如何なさいましたか。」

「この山の向こうに海が広がっておる。海には白い宝石のような玉を産む貝がおるそうな。そなたの郷里の妻が喜ぶかもしれぬ。馬も退屈しておろう。そなたは行ってくるが良い。」

「皇子さまを置いて行くには無理というものでございます。」

「ついでに海の幸も頼む。姉上も喜ばせたい。」と大津はにっこり笑って言った。
そうやって道作の普段からの役目を労わり自由に行ってこいとの大津の配慮なのだ。
道作はその配慮に応えないわけにいかなかった。

我が背子 大津皇子 41

2019-02-17 16:55:58 | 日記
渡会の斎宮に大津は道作らを伴って到着した。

西風が大津を遠くの記憶を招いた。
山、川、入江の風景に近江の湖の畔で大伯とともに歩いたり、道作に剣の稽古をしていたことをふと思い出した。

「大津、この世でたった二人の姉弟なのよ。強くあらねば。」と幼かった頃姉上はしきりに仰言っておられた…我が母恋しくこらえていた日も「遠慮しないで。私の前では自由にお泣きなさい。」と姉上にはなぐさめていただいた。

斎宮となられる数年前に幼さを残した顔の姉上が「大津、大きくなったら私をあなたの妃にして。大津がいいの。大津以外は誰も嫌よ。大津は誰か想う人がいるの。」と真剣に言ってくれたことも浮かんできた。
あの頃のように今も姉上、貴女以外誰も愛してはおりませぬ、と言えたらどんなにいいだろう。何も知らない子どものような無邪気で純粋な思いで。
山辺、大名児への愛情とは違う、この想いをどう伝えればこの気持ちを真実と受けとってくださるのだろう。

宮の一室に進められ部屋に入るとまた一段と美しくなられた姉上が目の前に現れた。
しかし悲しい表情をされ、「斎王と言いながらこの国難…天皇皇后両陛下、民らに申し訳ないわ。」と言い瞳を潤ませていた。

大津は「斎王が仰言っておられることはおかしゅうございます。この国難は皇祖神、ひいては天皇が招いたものではございません。いくら祈っても祀ってもそれ以上のことが起こるのでございます。自然の摂理です。民を守る天皇の祈り以上のことが起きただけでございます。姉上がどれほどの思いで皇祖神を祀っておられるかはこの大津わかっておるつもりです。」と堂々としつつも慈しむように斎王である姉を諭した。

「大津…あなたに最近は救われることばかりね。」と大伯は大津の顔を見つめた。

「幼き頃は姉上にはなぐさめられ、励まされながら大きゅうなりました。」大津も大伯の顔を見つめた。

このまま、時間が止まって欲しいと大伯は思い、大津はこのまま奪い去り遠い唐の国より遠い場所へ逃げたいとも思っていた。




我が背子 大津皇子 40

2019-02-14 06:40:03 | 日記
年末になり災害の復旧も落ち着き始めたと思いきや今度は隕石が雨のように降り注ぎまた人々や家屋を襲った。
大津は「何事だと言うのか。」と流石に思わずにはおれなかった。

また天皇、皇后、高市、川嶋、忍壁らと話し合い調、庸と言った民衆の税の負担を減じた。災害で荒れすさんだ民衆の蜂起を見越した処置であった。
こんな時に「冗談ではありませぬぞ。宮中でも金、銀、貢物が不足しているのでございますぞ。」と反対した人物がいた。草壁だった。
「控えよ。草壁、今は国難で誰もが疲労しておる。天皇皇后両陛下の御考えである。」と大津は静かに言った。

「こんな時だからこそ、東国の豪族の力を奪ってしまえばいいのです。今、ここ飛鳥浄御原以外なんの権力がないことを知らしめるのです。」草壁は続けた。

「こんな時だからこそ民、百姓(おおみたから)を守らなければならぬ。これは政敵への争いではないのだぞ。誰からの押し売りの意見を述べているのか知らぬが、そんなことをすれば人心が離れこの国が荒れるのだぞ。そのくらいわきまえよ。下がれ。」と天武は中央主権をこんな風に誤解している草壁に失望しつつ答えた。皇后は不比等が焚きつけたのかと疑っていた。

草壁は黙って下がった。しばらくして体調を崩したとの理由で朝参しなくなった。

伊勢では大伯が「斎王として我は力不足なのでは。国難を招いたのは我の想いのせいか。」と苛まれていた。

天武から大津に「伊勢神宮の社殿の傷みを修理し皇祖神を丁重に祀らえよ。」との命令が降った。
本格的に人身も落ち着き、着実に復旧がされていた。他を優先し、最後に自分らの皇祖神をという豪族や庶民への配慮だった。
「大津さまは災害の時も我らを第一にと情けをかけてくださった。あの方は我らを大切に思ってくださる。しかし、聞いたぞ、草壁さまは不比等の入れ知恵で我らを蔑ろにしようとした。そんな方に絶対権力を握らせてはならぬ。」と噂が広がり始めた。草壁、不比等にとってもありがたくない噂であった。

しかし、不比等にはあの場にいたのは天皇皇后、大津、高市皇子だけでなく川嶋皇子もいたらしいな。川嶋を上手く利用してやろうではないか、何せ大津と莫逆の友と聞くしな…国難でさえいろんな思案を巡らせる一計でしかなかった。

我が背子 大津皇子 39

2019-02-12 18:10:17 | 日記
大名児と過ごしたある夏の夜、長いまことに長い彗星が西北の夜空に現れた。
ほうき星、彗星はいにしえの昔から不吉な兆しであった。

「大津皇子さまがが私のそばにいてくださると不吉と言われるこのような光景も美しく見えますわ。」と嬉々として言った。しかし、大名児は大津の表情が空を見つめてはいるものの心ここにあらずと言うのがわかった。
大名児は「大津皇子さま、香久山の方を見に行かれては如何でしょう。私は大丈夫と確信出来ましたから。」と山辺皇女が住まう方向を見て言った。

大名児を抱きしめ「すまない、大名児。」と言いながら山辺のことも心配であったが伊勢の方向も気がかりであった。すぐに香久山の方向に馬を走らせた。

山辺皇女の住まう香久山も特に問題はなかった。
「大津さま、駆けつけてくださりとても嬉しゅうございます。心強うございましたわ。」
「良かった、心配した。」
山辺は一瞬躊躇いながら「伊勢も何事もなければよろしいのですが。」山辺にも大名児にも伊勢を心配する気持ちを見透かされたようで「彗星だから、今後を心配せねばならぬであろうな。それに何かあれば報告が入るであろうよ。」と大津は自分に言い聞かせるように言った。

皆が不安に思っていた通り秋になると大地に立つ生けるものにめがけ地響きが鳴ったかと思うと恐ろしい揺れが襲った。

柱にすがるもの、家屋に押しつぶされたもの阿鼻叫喚の世界が一瞬にして起こり飛鳥浄御原は壊滅的な被害を被った。
宮中がこの有様であったから民達の被害は甚大であった。
田は地割れし、河、海から波が押し寄せ民、家が一瞬にしてのまれていった場所もあったらしい。
田畑そのものが埋没して海になった場所もあったらしい。

日にちが経つにつれ地方から深刻な報告が飛鳥浄御原に届く。大津は救済、復旧の対応に追われていた。
国難である。
大津は災害の対応に多くの官人を派遣をし、早急な対応を求めた。
また大津の自邸では身の拠り所がなかった児たちが張り切って被災者に寝床、粥などを与える協力をした。昼間は少しでも通常の生活に戻れるよう家屋の修理、田畑の整備を手伝った。山辺も大名児も協力を惜しまなかった。

いつもは多くの官人でごった返している宮中も天皇、皇后、大津、高市らと主だった官人数人で報告伝達を繰り返していた。