たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

我が背子 大津皇子63

2019-04-27 22:20:34 | 日記
シラサギは「翌朝、皇居からの兵に取り囲まれ大津さまを勝手に捕縛しようとした兵に斬りかかってしまいました。そのことの責任を取らされました。大津さまは逆賊の誹りを受けても皇族として堂々とせねばあらぬ、なんのやましいこともないのだ。なおさら堂々とすべきであると仰言せになられ…大津さまの師であった僧行心殿が草壁皇子さまを激しい口調でお諌めいたしましたことに面白くなく飛騨の寺に忍びないが移すと決められたそうにございます。
大伯さま、大津さまの名誉回復とともに道作殿、行心殿の名誉も回復なさってください。」と言い伏せた。
大伯は「皇太后に参内致します。」と答えた。
邸の門辺りが騒がしくなった。

大津を慕う民が駆けつけてきたらしい。
大伯は横たわる大津に「そなたは民に慕われていたのじゃな。そなたが民を慈しんだように。」と声をかけた。なんの反応もないことが大津はもうこの世にいないとあらためて知らされたように思ったと途端に
伊勢から戻る際何度か聞こえてきた大津の声がした。

ー愛おしい大伯。私の元を訪ねてくださりありがとう。私なりに悩みました。私が愛したのは大伯だけです。しかし天皇であるために気持ちを確かめぬまま妻を娶らばならぬことは正直不本意でした。山辺もかわいそうです。私の皇位継承のため誰も咎められることがないようよろしくお願いいたします。ただ争乱にならず皇太后に譲位出来たことお褒めの言葉を頂きたく存じます。また、謀反人の不名誉を着せられても民は褥を用意してくれました。姉上からもお礼を申し上げて下るよう切にお願い申し上げます。ー

「大津…」と再び声をかけると聞いたことのない女人の声で
ー大津さまはあなたさまだけを愛しておられたのは存じております。それでも私は大津さまの妃になれたことは幸せなことでございました。和子は私だけが感じる命であり、結果大津さまを追い詰めたと思うと申し訳なく思います。川嶋の兄上は、和子と大津さまを思ったための行動でございます。私は大津さまを追い、磐余の池で自死した身。大津さまのそばで葬ってはいただけないでしょうが…大津さまの名誉をお守りください。あと哀れに思った民らが私を引き揚げ大津さまのそばに置いてくれました。私からの感謝を伝えてくだされば幸せに思います。ー
山辺皇女…そなたが大津を愛してくれありがとう。そして子まで成してくれた。その命も大切に弔うから安心されよ。

門の前が一層騒がしくなった。
皇太后…持統天皇が参られたのである。
民にとっては一生に一度お見かけできるかどうかの御方である。
しかし、大津を処刑したと民は思い込んでいるため冷ややかな視線を持統天皇に送った。
持統も民の心がわかり、邸に入る手前で踵を返し、民に頭を垂れた。
頭を挙げた時涙が溢れてしまった。

それを見た民たちは皇太后の仕業でないことを悟り全てのものが膝まついだ。

我が背子 大津皇子62

2019-04-26 21:30:15 | 日記
語舎田の邸では、大津、山辺の遺体を前に大伯が舎人から話を聞いていた。
「そなた名は」
「シラサギと申します。」

「シラサギ…どうして大津はこのような目に合わなくてはならぬのかったか教えてくれるか。」

「はい。夕刻もかなり過ぎ道作と共に大津さまは戻られました。無くなる前日の夜参内するので用意を頼むと申されました。高市皇子が訪れられ川嶋皇子さまの邸を一緒にお訪ねになられました。…道作殿から大津さまは伊勢からの帰り畝傍あたりで不比等からの刺客に襲われたと聞かされました…なので道作殿と私で大津さまを警護しながら川嶋皇子さまの邸に参りました。しかし、川嶋皇子さまはおいでにはならず、川嶋皇子の仕い人に川嶋皇子さまの行方を尋ねられました。結局行方知れずのまま大津さまは苦悩されたように邸に戻りました。帰路、不比等からの刺客に注意せよと道作は申されましたが結局邸に戻らぬまで何事も有りませんでした。すると大津さまは…我の運命は決まったな…と仰言せになられました。大津さまは何が見えておいでなのかその時私はわかりませんせした。道作殿も判っておいでだったのか、今からでも皇太后さまのところに参りましょうと言われ、皇太后さまの宮まで参りましたが…皇太后さまはご不快で休んでおられると門番に言われ…」

その時道作は門番に「天皇の危機なのだぞ、なんとしてでもとりなせ。」と咆哮した。
女官長が騒ぎを聞き出てこられ一室に大津を通した。「天皇、皇太后さまが草壁さまの邸に御行きなさいましてからなんの御連絡もないのでございます。先ほどの夕刻、流石に苛立ち、私めが直接草壁さまの邸に向かうと草壁さまご本人が直々に私のもとにお出に遊ばれ、皇太后さまがご不快で伏せっておいでであったが、快方に向かっておいでじゃ。明後日には宮に戻られる。安心せよ、と言われました。しかし、一目お目めにかかりたいと申し上げますと草壁さまは激高なされて、私は引き上げるしかございませんでした。」と女官長は言った。

大津は「これで何もかも、終わった。まんまと不比等の罠に嵌った。」と呟き女官長に「皇太后さまが戻られたら皇太后さまに天皇を譲位いたしますとお伝え願う。大津は皇太后の意のままで構いませぬ。ただ、我に仕える者は皇太后の旨一つで引き取り将来を保証してくださるように。そして何かあれば私の責任一人で誰も裁かれぬことがないように願っていると…頼む、女官長。」と言った。
女官長は「不吉にございます。私はそのようなことは皇太后さまには伝えとうございませぬ。」と言ったが大津は子をなだめるように「われにもしのことがあったらじゃ。我は皇太后を御尊敬し敬愛致しておる。感謝の気持ちしかない。何事もなけれがそれでよい。」と言った。

シラサギが言い終えると「川嶋皇子さまは」と大伯が聞くと「川嶋さまが草壁さまに大津さま…謀反の疑いありと申されたそうでございますがにわかには信じられません。ここに山辺さまがおられるのですから。それに先ほど衰弱なさった川嶋皇子さまが邸に戻られたと聞きおよびいたしました。ずっと大津さまにすまない、すまないと怯える様子であった…と。」と言った。

大伯は「道作は何故流罪に。」と聞くとシラサギは悲しそうに話しを続けた。


我が背子 大津皇子61

2019-04-25 20:35:33 | 日記
「天武さまに詫びても詫びきれぬわ!草壁、この劔に誓って申そう。そなたと大津はこの我の息子ぞ。よくも兄殺しに加担できたのう!あれほどの兄をのう!」と皇太后は言い、無抵抗の草壁皇子の両頬を思い切り数回打ち据えた。

草壁皇子は「お許しください。」と何度も哀願したが皇太后は聞こえないように打ち据えた。草壁皇子が倒れると胸ぐらを掴み更に激しく打ち続けた。

「不比等、見るがよい。このような男に仕えお前は何がしたかったのじゃ。このような小者、天皇と呼べるわけなかろうが。」と涙を滲ませ今度は不比等の両頬をを目がけて打ち据えた。

不比等があまりの迫力に「お静まりを、皇太后さま」と言うと「我に静まれと言うのか。では、我の忠告を何故無視した!それ相当の代価と申し伝えたはずじゃ。それなのに我を欺き、今は命令するなどお前は我を愚弄するにもほどがあるわ!殺しても殺し足りぬわ!」さらに激しい殴打が不比等に加えられた。

皇太后は、権力と言う名で人を打ち据えたのは初めてだった。髪、衣服は乱れ、装具品の金属が不比等の頬や口唇に当たり割いた。

不比等には鬼以上のものとしか思えず恐怖におののき許しを乞うしかなかった。皇太后にこのような力があったことにも驚愕していた。

「大津の無念は測りしきれない。草壁、そなたは天皇は無理じゃ。徳のない者が即位するとこの国は荒れる。我は徳は無き者ではあるが大津を無くしたいま、そちよりましじゃ。我が仲立ちの天皇になる。持統じゃ!皇統を握り持っている者、良いであろうが。
我がいなくなった時、天がお前に皇統をと言うのならお前の罪は晴れたとしよう。それまでは皇太子とし黙っておれ。
不比等、お前は油断がならぬ。即刻首を差し出してもらいたいところじゃ。」と持統天皇は不比等を睨んだ。
不比等は、死への恐怖に失禁してしまった。滲んだ床を見て持統天皇は
「ほう、こんな穢れらわしいものを我にまだ見せるのか。そんなに死が怖いか。不比等。大津はそなたより六つも早くにお主らに殺されたぞ。しかも不名誉な大義名分を突きつけられ自死ぞ。」と持統が劔を床から引き上げ不比等に先を向けた。
不比等は狂人になれたらいっそどんなに楽かと考えるほどの恐怖を味わい言葉も出ず戦慄が走った。

「お…お許…」不比等は必死に声を出そうとするが出ない。出たらいつ持統天皇が持った劔が自分の胸を突き刺そうとするか測りしきれなかった。

「大津は西にある二上山に葬る。そなたらがこのような馬鹿げた暴挙に出ぬように守り神にする。いつもいつも大津に見下ろされておれ。」と持統天皇は言い「不比等、お前は油断ならぬ。かと言って殺すと高天ヶ原で父天智天皇に合わせる顔がない。父の忠臣殺しも我にとっては不名誉。」劔を足元に向け「お前の父鎌足に免じてやる。我に仕えろ。先も言った通りそなたは油断ならぬ故、我がいつも見張っておく。我を再び裏切ることがあったら我が手を汚さずともじゃ。わかるな。が、我はお主らを許さない。それだけは覚えておけ!」内安殿は静まりかえった。

「高市皇子、いまの一部始終見ておったな。」と持統が言うと玉座の影から高市皇子が現れ「はい。川嶋皇子と確かに。」と続き川嶋皇子が現れた。

我が背子 大津皇子60

2019-04-24 20:33:29 | 日記
神風の伊勢にあらましものを何しか来けむ君もあらなくに

大伯は肩を震わせ泣いていた。

大津の遺体があると教えられ訳語田の邸にあると聞かされたどり着いた。

大津がいた。何も言わずに横たわっている。
「大津、大伯じゃ、どうして何も申してくれませぬ!大津!大津!嘘だと言っておくれ。大津、何があったと言うのです。大津…」
大伯は何も物を言わない大津に語りかけた。
周りにいた者達も涙していた。その隣に横たわっている皇女…山辺か…何やら血生臭い…白い絹の装束腹部から膝にかけて血がべっとりと滲んでいた。
大伯がはっとし見つめていると「山辺皇女は身籠もっておいでだったそうです。」乳母が悲壮な表情で言った。

「誰もしあわせでない、誰もかれも。こんなことになるため大津は生きていたわけでない。道作、道作に何があったか聞きたい。道作を呼んで参れ。」と大伯は道作を探すように周りの者に言った。
しかし舎人のなかに道作はいなかった。

舎人の一人が「道作殿は伊豆に流罪になりました。」と答えた。「流罪…」大伯は言うと「そなたは大津の最後を知っておるのじゃな。」とその舎人に聞いた。


内安殿では皇太后が玉座に座り草壁皇子と不比等を立たせていた。

「主らが大津を謀反人に仕上げたのじゃな。」

不比等が「とんでもありませぬ。皇太后さま。」と答えた。草壁皇子が「そうです、母上、大津は私に譲位をしたくなく川嶋皇子を使い東国の豪族に挙兵を命じたのです。そんなことは嫌だと川嶋皇子が教えてくれたのですから。」と震えながら言った。

「嘘を言うでないわ、このたわけめが!大津の譲位などそなたは知らぬことであろうに。何が言いたいのじゃ!許さぬ!許さぬわ!」皇太后の逆鱗に触れ草壁皇子は思わず膝まついた。

不比等は「嘘ではありませぬ。川嶋皇子が知らせてくれたのです。大津の妃山辺皇女は身籠っておられました。皇太后さまに草壁さまへの譲位を申し出たもののやはり我が子に皇統をと望まれたのでしょう。しかし自分の妹との子で争うのは見たくないと。止めて欲しいと。」申した。

「不比等、一端の口をきくものじゃ。そなたの酒で我を虚人にしてくれたばかりだというのにまだ逆らうか!譲位を我は許可しておらぬ。川嶋が憎きそちらに手を貸す理由がある。川嶋が東国の豪族と挙兵したという証拠はどこにある。大津が頼んだ…川嶋が頼んだ…どこに証拠がある。見せてみよ!いくらそなたが我が父の忠臣だとしても許さぬわ!」

皇太后は思い切り劔を二人の前に突き刺した。草壁皇子、不比等は狼狽えた。



我が背子 大津皇子59

2019-04-22 21:10:12 | 日記
大津から何の連絡もなく大伯は焦燥感が増し乳母に「こちらも飛鳥浄御原に参らぬか。」と相談した。

乳母は大伯の苛立ちに驚き斎宮様ゆえの勘の鋭さかとも感じ「大津さまは3日待って欲しいと仰せになられましたが斎宮さまが是非にと仰言っるのであれば斎宮で腕の立つ舎人と話しましょう。」と準備を整えた。

大伯は乳母と5人ほどの舎人を従え飛鳥浄御原に向かった。関に向かい一気に飛鳥浄御原を目指すという大津よりは少々遠回りも正規な道であった。

夕刻に差し掛かり近くの国司の邸で休むことになったと乳母が伝えてきた。
「明日、陽が明るいうちに飛鳥に着きます。今宵はゆっくりして明日に備えましょう。」

明日か…「我ももう伊勢には戻れない…長かったのか短かったのかはわからぬ。大津が伊勢に来て無色な世界が生きとし生ける世界の色になった。飛鳥浄御原で我は何を見るのであろう。大津の妻としてたち振る舞えるのであろうか。大津…無事なのであろうか。何故そんな気持ちに襲われるのであろう。」と暗澹たる思いをし馬の鬣を撫ぜていた。
風が西から吹いた。「姉上」と大津の声がした。
風の方向を見たが誰もいなかった。何故…あまりに大津を思い過ぎて空耳を聞くなど気でも狂うたかとふと冷静になって大伯は自嘲していた。

国司が丁重に迎え部屋に通された。一人きりになったが先ほどの大津の声がまた聞こえてきた。
「大伯…我は大伯を想い幸せだった。ただ想う…それでよかった。背伸びをしてしまった。」
大津…どうしたの。我は何故そなたの声を近くに感じるの。今までになかったこと…どうしてなの。
眠れない不安な一夜を過ごし飛鳥浄御原を目指し出立した。

石上神宮のそばを通り過ぎ三輪山が遠くに見えた。

「大伯さま!」乳母が息石しながら大伯に近寄った。

不吉な予感がした。「大津の身に何かあったのですか。」咄嗟にに口にしてしまった。

乳母は取り乱し「大津さまが謀反を企てた…と。昨日死を賜わったと。」と大伯に伝えた。
大伯は激しく馬の手綱を叩きつけ馬を走らせた。

乳母は舎人に「早く、斎宮さまを追いかけて!」と言うと舎人が大伯の後を追いかけた。

大伯の馬が途中でいなび声を出して止まってしまった。
この時の様子を大伯は詠んでいる。

見まく欲(ほ)りわがする君もあらなくに なにしか来けむ馬疲るるに

万葉集に収められている。