たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

我が背子 大津皇子 40

2019-02-14 06:40:03 | 日記
年末になり災害の復旧も落ち着き始めたと思いきや今度は隕石が雨のように降り注ぎまた人々や家屋を襲った。
大津は「何事だと言うのか。」と流石に思わずにはおれなかった。

また天皇、皇后、高市、川嶋、忍壁らと話し合い調、庸と言った民衆の税の負担を減じた。災害で荒れすさんだ民衆の蜂起を見越した処置であった。
こんな時に「冗談ではありませぬぞ。宮中でも金、銀、貢物が不足しているのでございますぞ。」と反対した人物がいた。草壁だった。
「控えよ。草壁、今は国難で誰もが疲労しておる。天皇皇后両陛下の御考えである。」と大津は静かに言った。

「こんな時だからこそ、東国の豪族の力を奪ってしまえばいいのです。今、ここ飛鳥浄御原以外なんの権力がないことを知らしめるのです。」草壁は続けた。

「こんな時だからこそ民、百姓(おおみたから)を守らなければならぬ。これは政敵への争いではないのだぞ。誰からの押し売りの意見を述べているのか知らぬが、そんなことをすれば人心が離れこの国が荒れるのだぞ。そのくらいわきまえよ。下がれ。」と天武は中央主権をこんな風に誤解している草壁に失望しつつ答えた。皇后は不比等が焚きつけたのかと疑っていた。

草壁は黙って下がった。しばらくして体調を崩したとの理由で朝参しなくなった。

伊勢では大伯が「斎王として我は力不足なのでは。国難を招いたのは我の想いのせいか。」と苛まれていた。

天武から大津に「伊勢神宮の社殿の傷みを修理し皇祖神を丁重に祀らえよ。」との命令が降った。
本格的に人身も落ち着き、着実に復旧がされていた。他を優先し、最後に自分らの皇祖神をという豪族や庶民への配慮だった。
「大津さまは災害の時も我らを第一にと情けをかけてくださった。あの方は我らを大切に思ってくださる。しかし、聞いたぞ、草壁さまは不比等の入れ知恵で我らを蔑ろにしようとした。そんな方に絶対権力を握らせてはならぬ。」と噂が広がり始めた。草壁、不比等にとってもありがたくない噂であった。

しかし、不比等にはあの場にいたのは天皇皇后、大津、高市皇子だけでなく川嶋皇子もいたらしいな。川嶋を上手く利用してやろうではないか、何せ大津と莫逆の友と聞くしな…国難でさえいろんな思案を巡らせる一計でしかなかった。