たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

我が背子 大津皇子42

2019-02-18 22:59:09 | 日記
大津は天皇の勅命である伊勢神宮の社殿の修理に取りかかった。

大津が兄のように信頼する舎人の礪杵道作から見て大津はいつもより溌剌とし笑顔が多いように見えた。
側には大伯がいた。

礪杵道作は近江朝からこの姉弟を知っている。特別な姉弟なのだとも思う。
母がいない弟をこよなく愛し慈しみ、大津もその姉の気持ちを大切に育った。
同じ父、母を持ちながら憎しみあって競争相手と勝手に決めつけ完膚無きまで蹴落とす兄弟もいるこの権力争いもある王族で、天武が皇位を名乗ってから争いがないのだ。

何よりの奇跡としか言いようがない。

皇后も大津皇子さまの才能を愛し慈しんでおられる。もちろん、草壁皇子さまの存在そのものを愛し慈しんでおられる。
皇后さまあっての絶妙な均衡とも思うし、皇后さまあっての天武朝の安定と言って良いであろう。

唐があるかの大陸にはいくつもの王朝があったが傾国には必ず女の存在があったという。

しかし、道作はその一歩先を読む。もし仮に天武天皇さまがお隠れになっても構わないであろう。もちろん皇后さまでも。だが、万が一にもあってはほしくないがおふたりが同時にお隠れになったその時も大津さまに何もないと言えるだろうか。最近、草壁皇子さまのそばに不比等が侍るという。

「道作!」と大津のおおらかな声がした。

「皇子さま、如何なさいましたか。」

「この山の向こうに海が広がっておる。海には白い宝石のような玉を産む貝がおるそうな。そなたの郷里の妻が喜ぶかもしれぬ。馬も退屈しておろう。そなたは行ってくるが良い。」

「皇子さまを置いて行くには無理というものでございます。」

「ついでに海の幸も頼む。姉上も喜ばせたい。」と大津はにっこり笑って言った。
そうやって道作の普段からの役目を労わり自由に行ってこいとの大津の配慮なのだ。
道作はその配慮に応えないわけにいかなかった。