たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

我が背子 大津皇子 山辺皇女15

2019-06-30 23:46:39 | 日記
とても蒸し熱い夜だった。もう秋の虫が鳴き始めている季節なのに。

大名児の元へ行かれる大津さまを見送り、寂しさだけでなく、なんらかしらの胸騒ぎもあったのは今だからわかるけれど。

訳語田の舎の児らとしばらく喋り香具山のある私邸に戻ったけれど寝付けなかった。

蒸し熱い空気に押され空を見上げると今まで見たことのない星の光に圧倒されたわ。

女官達も慌てて「皇女さま、大丈夫ですか。」と集まってきた。

「ほうき星…どこへ向かうのかしら。」

「何もないといいのですけれど。」取り繕うようにある女官が言った。

ほうき星はいにしえより不吉な前兆と言われていたから。

「ここまで大きな光だと、吉兆と思いたいですわね。」と女官長も心細そうに言った。

「そうね…」とほうき星が現れ消え一刻ほどしたかしら。

馬の蹄の音がしたの。

大津さまが大名児の元から駆けつけてくださったの。私のために。

「大事ないかと心配になってな。」

「お気遣いありがとうございます。私は大丈夫でございます。でも、駆けつけてくださりとても嬉しゅうございます。心強うございました。」

「よかった。」と仰言った後、東の空を大津さまはご覧になったの。

「伊勢も何事もないとよろしいですが。」と言うと大津さまは少々お慌てになり「ほうき星なれば、今後何もなければ良いな。伊勢は…伊勢で何かあれば報告が入るであろうしな。」と仰言ってまるでご自身に言い聞かせておられるように見えたわ。

私は、大津さまを見失うようなことがなければそれでいいと思っていた。

天災も怖いけれど、不比等の暗躍が一番不吉だった。

もし、大津さまのお命を狙うようなことがあれば、いや、川嶋の兄を頼り不比等の始末を考えても良いのかもしれない。

しかし、大津さまはその事実をご存知になったら、もう二度と私は今のような愛情をいただけないのであろう…そのくらい大津さまはそういった取り引きは好まれない。

そういうお優しさが大津さまの今後を今になって思えば左右してしまったことは、悔やんでも悔やみきれないわ。

我が背子 大津皇子 山辺皇女14

2019-06-27 20:45:11 | 日記
大津さまは、お優しい。

朝政は激務だというのに夕には必ず顔を見て来てくださる。

大名児の邸に行かれる前もお気遣いを頂き、立ち寄られ今日あったことなど話してくださるの。

私がお話したいことも嬉しそうに頷いて聞いてくださるの。

児らの成長も嬉しそうに頷いてくださる。

それだけでも満ち足りたことなのに…
私は大津さまを本当に御尊敬、感謝を申し上げるわ。

漆器や陶器に盛られたお膳…これら大津さまのおかげで私は温かいお食事をいただけるの。

この夜の灯りとて大津さまのおかげなの。この衣とて…私では何も産み出す事が出来ない。

この髪の毛一筋でさえ、大津さまからの賜物。

大津妃として恥じないよう生きていく…

例え大津さまの御心が伊勢にあっても…

時に「大津さま。たまにはおひとりの時間を大切になさいませ。あなたさまがお疲れでないか心配でありますに。」と大津さまに問うても

「山辺は迷惑か。」

「違います。嬉しゅうございます。ただ大津さまのことが心配なだけでありますに…」

「それなら気にしなくとも良い。我が好きなようにしているだけであるから。」
また、あのえくぼが出来る笑顔で微笑まれるだけなの。

「川嶋の兄と狩りでも如何でしょうか。」
私が申しても「川嶋皇子も歴史書の編纂で忙しいらしい。」と意にも介さずお答えになるだけ。

まさか藤原の不比等が大津さまの失墜を小招いていたなぞ露にも思わなかったわ。

こんなにもしあわせな日常を奪われるなぞ…




我が背子 大津皇子 山辺皇女13

2019-06-24 22:26:22 | 日記
大津さまが淡々と言われた。

石川の郎女大名児が草壁皇子によって、いや袖にしている自分のせいで笑いものにされていること。

あんなに美しく艶やかな大名児が草壁皇子に「大津に袖にされている女なぞなんの魅力があろうものか」と憎しみも相まって蔑まれていること。

またそればかりか斎宮である姉上への一方的な恋慕をおくびにもせず姉上がどれほど不名誉な噂の渦中になっていること。

また「大津が大名児を妻にするのであれば奪いがいがある。」と飛鳥浄御原の第二皇子に言われたら大名児も立つ瀬がないであろうと、我ら姉弟のせいで不幸になっている大名児をなんとかしてやりたいこと。

「もういいのです。大津さま。」思わず言ってしまった。

「山辺…」大津さまは辛そうに私を見つめられた。

「よろしいではありませぬか。女人としてお気に召された…で。」

「山辺、違う。我の言っていることは。」

「でないと、大名児が気の毒ですわ。」

正直大津さまを見つめられなかった。本当は私だけをと言いたかった。大伯さま以外は私だけ。

「大名児がお気に召された…でよろしいのに。」と言った。

「天智天皇の父上も、天武天皇の義父上もたくさん妃がいるというのに私だけが大津さまを独占出来るなど思っていませんわ。残念ながら私は跡継ぎのお子がいません。
天皇家として跡継ぎは何より大切。大津さまの妃となってからは当たり前だと思っておりましたのよ。
でも少しだけ嫉妬はいたしますわ。私は大津さまだけなので。」

「山辺…女人として気になったとか簡単な話ではないのだ。」
大津さまは私を抱きしめられた。

「ですから、女人として大切にしてさしあげて。」

大津さまはしばらく黙って抱きしめたままだった。

「草壁から相手にされなくなったでなく、我から誘ったと言うことにしても良いか。」と大津はお聞きになられた。

「ええ、存分に。」私は大津さまからの愛情に満たされている。

慈しみ以外この方に私は感情を持ち合わせていない。

皇后さまが朝政にご復帰なされたと朗報があって、
しばらくして大津さまから石川の郎女大名児に歌が送られた。

あしひきの山のしづくに妹待つと 我立ち濡れぬ山のしづくに

相聞歌として大名児も大津さまに、

吾を待つと君が濡れけむあしひきの 山のしづくにならましものを

と答えた。

羨ましいぐらい悩ましい歌だったわ。

官人達は騒然となったらしい。
大津さまは私と仲睦まじく、他に妃なぞ持たられないぞと噂していたかららしい。
そうだと私も嬉しかったけれど…

「実に羨ましいのう。あの大名児を妃にするとは。」
「草壁皇子は斎王さまなぞ手に入らないものを望み過ぎて、大事なものを失われましたなぁ」

草壁皇子は以前大名児がどうしたら自分の要求をのむかと津守の占いに亀トさせたことがあったらしく
それを逆手にとり大津さまは

大船の津守の占に告らむとは まさしく知りて我が二人寝し

とまで詠まれた。

大津さまらしい。弱い立場の人を放っておけない。

そんな大津さまだから、大津さまの妃として私は堂々と生きていける。

我が背子大津皇子 山辺皇女12

2019-06-22 23:29:40 | 日記
今宵そちらに参る…と大津さまから言伝を預かった。

何かおありになったのかしら…訳語田の邸宅ではおはなし辛いことかしら。

もしかしたら、石川の郎女大名児のこと…なのかしら。

別に…私に相談などよろしいのに…

私が心を許せるのは大津さまだけ。大津さまが石川の郎女大名児を迎えようが関係ない。

少し強がりかしら。

でもね…大津さまの心は大伯さまのもの。きっと大伯さまの心も大津さまのもの。

同母弟姉など禁忌などでないわ、あのお二人にとっては。

草壁皇子の恋慕など大津さまは意に介しておられぬと思う。

ただ婚姻出来るのは大津さまより異母弟の草壁皇子。

そのことは大津さまもさすがに気がかりかしら。

でも肝心の大伯さまが受け入れるはずもない。

夜になり大津さまがおいでくださった。

二人で夕餉をとり「そなたもささ(酒)を呑まぬか。甘いささならそなたもどうかと思い…」と大津さまに勧められるがまま口にした。

ささに似合わぬ甘さに驚き「大津さまがささをお好きな理由がわかる気がしました。」と言うと大津さまはお笑いになられ「そなたは誠にかわいらしいのぅ。」と仰言った。

嬉しいのとささのせいか顔が紅潮しているのがわかった。

大津さまは「そなたに願いがある。聞いてもらえぬか。」と苦しそうな顔をされた。

「そなたも知っておる石川の郎女大名児のことじゃ。」

いよいよ…でも大津さまなりに悩まれたことなのが痛いほど伝わったわ。

我が背子 大津皇子 山辺皇女11

2019-06-21 16:40:35 | 日記
皇后さまが回復の兆し…皆が喜んでいる頃伊勢から草壁皇子がお戻りになられた。

何と斎宮…伊勢におわす皇祖神に嫁がれた妻神…大津さまの姉上大伯さまに恋慕され骨抜きになったとのご様子とか…

不敬きわまりないわ。

しかも天皇さまに妃として所望したいと直談判されたとか。

天皇の薨御、斎宮としての資質を無くされてからの解任しかないというのに。

我欲でなど呆れるわ。

大津さまとてご不快でしょうに。

私と大津さまは仲睦まじい二人と宮中でもうわさになっていると女官が言っていた。

「いろんな女性とのうわさが絶えなかった大津さまが、いまは皇女さましかいらっしゃらないのですから。袖にされている采女や、どんなに着飾ってもどんなに色艶のある態度にも見向きもされないと宮中に仕える女達は嘆いているとか。皇女さまに敵うわけないですわ。」

そんな…本当のお気持ちは大伯さまだけよ…大津さまが深く想っていらっしゃる方は大伯さまだけ。
でも私は大津さまの孤独も知っているし、いただいたお気持ちだけで私の心は満ち足りている。私が大津さまの心の見返りを欲しがっているのでなく、私が大津さまを大切に想っていたいだけなのよ。

時に私は、大津さまのお気持ちに寄り添っていければしあわせなの。
大津さまを想うだけでしあわせなの。

誰かを泣かしたり辛い想いをさせて、上に立って思いあがっているのではないわ。

袖にされている采女…草壁皇子を袖にしていた石川の郎女大名児は大津さまをお慕いしているのかも…

皇后さまが以前「草壁の一方的な想いで、他に想う人はいる。」と仰言っていたもの。

いま草壁皇子が大伯さまに盲目な恋心を抱いているなら、どんな立場でいるのかしら。

皇女と違い采女は皇子の寵愛を受けないと実家からの期待にも添えないで、立つ瀬がないと聞いたわ。