禅と薔薇

高島市 曹洞宗 保寿院 禅の話と寺族の薔薇のブログ

主客一如

2014年10月17日 | 小さな法話
あるお店の経営者が、お客さんに気持ち良く来店いただくためにと、毎日朝からお店をきれいに掃除されています。
いよいよ開店の時間となり、お客様を迎えるのですが、お客様にはちっともきれいなお店とは見えません。というのも、玄関の外にはごみが散らかり、蜘蛛の巣がはっていたりしているからです。
ここの店主は、一生懸命掃除をしているのですが、いつも店の内側からばかりで、時折り玄関先は掃除をしても、ドアの近くを掃除する程度です。お客様の目線に立って掃除をすることが無かったのです。
自分の側にばかりたって、ものを見るのではなく、相手の側に立ってものをみることが大事です。
 「主客(しゅきゃく)一如(いちにょ)」という禅語があります。主客とは、主人とその大事なお客様のことです。もてなす主人ともてなされる客人がひとつになる。もてなす側ともてなされる側の双方が互いの気持ちになり、立場に立つということです。
私たちは、知らず知らずのうちに自分を主として、相手を客として分けてみようとします。分け隔てるのではなく、お客さんの気持ちや立場になり切って考えることが大事となります。
別のある店のご主人は、「あまり儲けすぎるな」と教えているそうです。商売だからより多く儲けようとすると思うのですが、相手の立場にも立って考えるのです。良い商品を安く提供することで、お客様に喜んで頂く。お客様が安心できる店なら、「ここなら」とご近所さんや友人に紹介して下さる、ということです。
道元禅師は、「同事というは不違なり、自にも不違なり、他にも不違なり」と示しておられます。天から降る水は、大地に浸み込みやがて川の流れとなって海に注ぎます。どんな水でも海でまじわり、区別することなく受け入れられるのです。

今日は、ジュリアがきれいです。


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