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禅と薔薇

高島市 曹洞宗 保寿院 禅の話と寺族の薔薇のブログ

無病息災

2015年01月11日 | 小さな法話
きょうは「鏡開き」です。
もともとは1月20日だったようですが、徳川家光が4月20日に亡くなったことにより、
以降20日が忌日となったことから、松の内が終わった1月20日をとりやめ1月11日に行うようになったといわれています。
硬くなったお餅を包丁などで切ることは避け、木槌などで割ったりしたようですが、
「切る」や「割る」という言葉を使わず、「開く」という言い方にかえることで、思いを込めていたのかも知れません。

「無病息災」を願うことが、言葉ひとつにもあらわれているようです。
私たちの「言葉」にも、その思いを込めたいものです。

2015年01月09日 | 小さな法話
ノーベル生理学・医学賞の受賞で有名な、京都大学の山中伸弥教授は、かっては外科医として働いておられました。
ご自身では、優秀ではなかったと謙遜しておられますが、きっと立派な外科医だったことでしょう。
しかし、外科医は激務であり、また同時に器用さも要求されます。人間が「立派」とか「優秀」とは、別の能力や運も必要かも知れません。

その山中教授が、外科医であった若い頃に、先輩の外科医に指導を受けておられますが、その中で次のような言葉を言われたそうです。

「ごちゃごちゃ言わずにとっとと、手を動かせ」

外科医ですから、想像するに手術中のことかも知れません。
やみくもに手を動かすのかと想像すると、患者側にとっては困ることかも知れませんが、もちろん十分な知識の上でのことです。

開腹手術などでは、手術中に判断をしなければならないこともあるでしょう。その時にゆっくり考えるなどは、これも困ることです。
まさに臨機応変な対応が必要な場合、「ごちゃごちゃ言わずにとっとと、手を動かせ」は
「ただひたすら」に通じる言葉です。

不立文字

2015年01月06日 | 小さな法話
雪の季節ではありますが、ときどき晴れ間もあります。
昨夜は、星がでていました。
夜空を見上げると、たくさんの星が光っています。
これからの季節は空気が澄み、より見やすくなります。
新しい星が見つかることがあります。
もちろん望遠鏡で探して見つけるのですが、見つけた人はその星に名前を付けることができるそうです。

名前が付いた星は、それ以降はその名前で呼ばれるのですが、もともとはどの星も名前は無かったのです。
たまたま、人間が「呼ぶ」都合上、「印」として名前を付けていったわけです。

名前が無いときは、人はこれを他の人に知らせることができなかったのです。
つまり、世の中のすべてを言葉が表しているわけではないのです。

また、たとえば「あおいろ」と言っても、様々な「あおいろ」があります。
私の思う「あおいろ」と、あなたの思う「あおいろ」は違うはずです。

「不立文字 教外別伝」という禅語があります。
文字や言葉にならないところにも、「真理」はあります。

開径待佳賓

2015年01月04日 | 小さな法話
雪が降ると訪れる方が、たいへん不便になります。
そこで、雪をかき、道をあけるのです。
しかし、それもつかの間のことで、本堂の屋根から降った量の何倍もの雪が落ちてくるのです。
雪が落ちるたびに、雪かきをするのです。


禅語に「開径待佳賓」(みちをひらきてかひんをまつ)」という言葉があります。

きょうは、誰が来られるのでしょう。
誰も来られないかも知れません。

それでも、雪かきをします。
来られるのは、親しい人かも知れませんし、親しくない人かも知れません。
しかし、親しくない人でも、朗報を届けてくださる人なのかも知れません。

しっかり、雪かきをして、「道をひらく」のです。

我逢人

2015年01月03日 | 小さな法話
我逢人(がほうじん)という禅語があります。「われ、人に逢う」ということです。

お正月は、たくさんの方がお参りになります。
ときどきお会いする方、久しぶりの方、さまざまです。
今年は、お話をして帰られる方が多い「出会い」に楽しみのある、お正月となりました。

「出会い」といえば、日々を過ごす中でもたくさんの人と出会います。

その中で、自分の人生に大きな影響をおよぼす人との出会いがあります。
人生で、1回か2回か、あるいは複数回かはわかりませんが、「大事な出会い」です。
永平寺をひらかれた道元禅師は、中国の地にわたり、そこで求めていた正師と出会われます。
それは、「まのあたり先師をみる これ人にあふなり」という出会いでした。

私たちは、「大事な人」に会うことが、必ずできます。
その「出会い」の場で、しっかり出会えることが大切なのです。