三浦 しをんさんの著書「お友だちからお願いします」に、著者が二十歳ほどの頃、山奥の村に住む祖父の葬儀に立ち会った時の様子が書かれています。
「家族、親戚、近所の人たちは一致団結して、祭壇を飾ったり棺の用意をしたり料理を作ったりと、休み間もなくてんてこ舞いだった。
「飾りもんの向きがちがう!」と村の長老格が作業を監督し、「あいつは若いころ、酔っぱらって軽トラごと沢に転落したもんやった」などと祖父の幼なじみがしんみり語りあう。(中略)
そして葬式の慌ただしさが飽和点に達した瞬間、お坊さんの読経がはじまった。かなりご高齢のお坊さんの、ムニャムニャしてかすれがちだが哀感漂う読経の声を聞いたとき、私は「ああ、そうか」とすとんと納得した。
遺されたものが悲しみにばかり沈まぬように、「葬式を出す」という形式はあるんだ。死者の記憶を共有するひとたちが、一緒に忙しくて動くことで、「死」を体にも心にも納得させるためにあるんだ、と。
その思いは、初七日とは四十九日とか一回忌といった、節目の形式を経験するごとに深まった。時間が経つにつれ、悲しみはゆっくりと薄らいでいく。だが、祖父が完全に消えてしまったのではないこと、交わした言葉や楽しい思い出はずっとずっと私のなかにあるのだということに、節日があるからこそ明確に気づけたのだった。」
私が住職となった頃は、土葬と火葬が混在した時代で、お葬式に立ち会うと、近所や親戚の人がうるさいぐらいの中で準備作業にあたっておられました。あるところでは読経中にも話し声が聞こえることがありました。荘厳な雰囲気というより、騒がしさがありましたが、ここに集まっている方はどなたも故人と関わりがある方で、皆さんが悲しみの中におられるのです。その中での行動は、よくよく考えてみますと家族の大きな悲しみを和らげる、そんな智慧だったと思えます。
*文中「一回忌」と記載があるのは、原本どおり記載しました。
庭の隅にある薔薇、チンチンが美しいオレンジの花を咲かせようとしています。
「家族、親戚、近所の人たちは一致団結して、祭壇を飾ったり棺の用意をしたり料理を作ったりと、休み間もなくてんてこ舞いだった。
「飾りもんの向きがちがう!」と村の長老格が作業を監督し、「あいつは若いころ、酔っぱらって軽トラごと沢に転落したもんやった」などと祖父の幼なじみがしんみり語りあう。(中略)
そして葬式の慌ただしさが飽和点に達した瞬間、お坊さんの読経がはじまった。かなりご高齢のお坊さんの、ムニャムニャしてかすれがちだが哀感漂う読経の声を聞いたとき、私は「ああ、そうか」とすとんと納得した。
遺されたものが悲しみにばかり沈まぬように、「葬式を出す」という形式はあるんだ。死者の記憶を共有するひとたちが、一緒に忙しくて動くことで、「死」を体にも心にも納得させるためにあるんだ、と。
その思いは、初七日とは四十九日とか一回忌といった、節目の形式を経験するごとに深まった。時間が経つにつれ、悲しみはゆっくりと薄らいでいく。だが、祖父が完全に消えてしまったのではないこと、交わした言葉や楽しい思い出はずっとずっと私のなかにあるのだということに、節日があるからこそ明確に気づけたのだった。」
私が住職となった頃は、土葬と火葬が混在した時代で、お葬式に立ち会うと、近所や親戚の人がうるさいぐらいの中で準備作業にあたっておられました。あるところでは読経中にも話し声が聞こえることがありました。荘厳な雰囲気というより、騒がしさがありましたが、ここに集まっている方はどなたも故人と関わりがある方で、皆さんが悲しみの中におられるのです。その中での行動は、よくよく考えてみますと家族の大きな悲しみを和らげる、そんな智慧だったと思えます。
*文中「一回忌」と記載があるのは、原本どおり記載しました。
庭の隅にある薔薇、チンチンが美しいオレンジの花を咲かせようとしています。