goo blog サービス終了のお知らせ 

禅と薔薇

高島市 曹洞宗 保寿院 禅の話と寺族の薔薇のブログ

而今

2014年11月22日 | 小さな法話
もうすぐ12月です。
今年もあますところあとひと月余りとなりました。
光陰矢の如しといいますが、月日の経つのは早いものです。
この一年を、どのような過ごし方をしたでしょうか。
怠惰に過ごしてはいなかったでしょうか。

「而今」(にこん)という禅語があります。
「ただ今」「今この瞬間」という意味です。

「今」という瞬間は、その言葉を発した瞬間から過去になります。
生きてきた過去を担い、これからの未来に向けての「今」を、しっかり生きていくことが大切です。

「ベルデスピヌーズ」の寒くなった中で新しい花を咲かせようとしています。

選択

2014年11月21日 | 小さな法話
私たちは、つねに選択をしています。
数年に一度の場合もありますし、年に数回の場合もあります。
毎月のこともあれば毎週のこともあります。
もっと身近な選択は。毎日たくさん行われます。

きょうは、どんな服を着ようか。
どんなバッグを持っていこうか。
誰とごはんを食べようか。
なにを食べようか。

選択の結果が、望むものであることもあれば、望むものではないこともあります。
必ず思い通りとは限りません。
たとえ望まない結果でも、時間が経てば、好ましい結果になることもあります。
そして、その逆もあります。
私が望まない結果でも、ほかの誰かから見たら望ましい結果かもしれません。

そのような結果に一喜一憂してばかりいると、「こころ」が定まらなくなります。


「ジャスト ジョイ」が花瓶の中で咲いています。花の命がさらに生かされています。

随処

2014年11月20日 | 小さな法話
おとなの中に、ひとりの乳児がいると、みんなの興味はその乳児に集中します。
その一挙手一投足に、みんなが注目します。このとき、この乳児はまさに「主人公」です。

私たちが日々を過ごしていく中で、主人公になる時もあれば、主人公にならない時もあります。常に主人公になるわけではありません。
思い通りいかないことが多い世間ですから、主人公になれない場合の方が多いでしょう。

随処作主、立処皆真(ずいしょにしゅなれば、りっしょみなしんなり)という禅語があります。

まわりに振り回される人生ではなく、しっかり自分をみつめることが大切です。
すると、欲望や不要なこだわりにとらわれなくなります。
自分が自分として、主体的に生きるところにこそ、常に「主人公」であるのです。


オレンジ色の薔薇「チンチン」が鮮やかな色です。

つながり

2014年11月19日 | 小さな法話
親、子、兄弟姉妹
家族はやがて、親戚へとひろがっていきます。
ひろがった人は、いろいろな「呼び名」で呼ばれます。

「叔父・伯父」は、前者は親の兄の場合で、後者は弟の場合です。
「はとこ」(再従兄弟)は「またいとこ」(又従兄弟)とも言い、 親同士が「いとこ」である関係のことを言います。
祖父の兄弟は「大おじ」、兄弟の孫は姪孫(てっそん)、いとこの子は「いとこちがい」と言うそうです。

知っているような、知らない言葉がたくさんあります。

父母から出でた命は、「呼び名」を変えながらつながっていきます。
いくつものつながりの末、やがて「呼び名」がつかなくなる関係になります。つまり「他人」の関係になるということです。

「他人」とは、まったく関係の無い人ではなく、どこかで「縁」のあった人と言えるのかも知れません。



庭では「ベルデスピヌーズ」の花びらが随分開いています。こういった美しさもあるのです。

水急不流月

2014年11月18日 | 小さな法話
私たちは、常に「普通は」とか「平均では」とか、周りとの比較を考えます。

十人十色という言葉がありますが、これから考えると「普通は」という言葉は意味を持たなくなります。「平均では」と考えるのですが、たとえばひとりの値がすこぶる高いと平均値は高くなり、残りの全員が平均より低いということにもなりえます。


「水急不流月」(みずきゅうにして つきをながさず)という禅語があります。
川を下る水はとても急な流れで、木の葉だけでなく、木や岩までも流してしまいます。時には岸までも削っていく激しいものです。
しかしながら、その水面に映る月は、どんな激しい流れにも流されることはありません。


水の流れを世間ととらえ、月を自分の心ととらえると、周りの常識や動向に、私の心が流されることがなく、「本来の自分」をしっかりと持つことの大事さをあらわしています。


「グリーンアイス」が小さな白い花を咲かせています。