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禅と薔薇

高島市 曹洞宗 保寿院 禅の話と寺族の薔薇のブログ

祈り

2015年01月02日 | 小さな法話
テレビでは初詣の様子が流れています。
あなたは、新年にあたりどんなお願いをされたでしょうか?

祈ることは、私たちの自然な願いです。
祈るその先には、「ほとけさま」がおられます。
祈祷には、「ほとけさま」への信心が不可欠です。
信じて手を合わすことが大事です。

そして、懺悔することが必要です。
自らの「欲」、「怒り」「愚痴」など戒めなければならないことを懺悔します。
懺悔によって「自分をしっかり見つめる」ことです。
懺悔は清浄なる私を招き、そこに功徳をいただくのです。

祈りには、ひとの幸せを願うこと、慈悲心が大事となります。

2015年01月01日 | 小さな法話
ひとりの羊飼いが、羊の群れを餌場に連れて行くために川を渡そうとしていました。
川は浅かったのですが、羊たちはなかなか渡ろうとしません。
というのも、群れの中に母羊と子羊がおり、子羊はまだ小さいものですから、母羊が心配して川を渡ろうとしなかったのです。
羊飼いは困りました。いくら叱っても怒鳴っても脅しても、母羊はいっこうに動きません。

そこにお釈迦様が通りかかりました。
お釈迦様は黙って羊の群れの中に入り、その中にいた子羊を抱きあげて、川を渡り始めました。
母羊は、お釈迦様の衣に口をつけながら後をついて行きました。他の羊たちもいっせいに川を渡り始めました。
渡り終わると、お釈迦様は子羊を岸に置いて去って行きました。
これを見ていた羊飼いは「叱ったり怒鳴ったり暴力をふるったりしても、決してうまくいかない。相手のことを思いやり、慈しみをもって接しなくてはならない。」ことに気づきました。

菩薩行とは、自らの事をはからわず、人のために尽くすことです。
お釈迦様が通りがかりに行われたこの行いは、菩薩行を自然に行える慈しみの心を持った私たちの生き方を示されたものです。
また「黙って」行われたことは、打算があったり、人に知らせたり、あるいは見返りを期待するものではなく、陰徳を積むことの大切さを示しておられるものです。

今年一年を、お釈迦様のみ教えのもと、菩薩行に励む一年としたいものです。

今年もたくさんの薔薇が咲きますように。





節目

2014年12月30日 | 小さな法話
明日は大晦日です。
「年」が変わるのは、ひとつの節目です。

節目にも、いろいろな節目があります。

お正月 節分 春彼岸 端午の節句 七夕 お盆 秋彼岸 大晦日などといった「年の節目」、
また、お食い初め 七五三 入学 卒業 還暦 米寿などといった「人生の節目」

私たちはいつも、節目をこえて過ごしているのです。

節目は、ステージを変えるときでもあります。
新しいステージに踏み出す機会と、なりえるときです。

順調な時も、不調な時も、この節目を新しいステージへの一歩とするのです。

新しい「年」を迎える節目を、石段をあがるように「チャンス」へのステップとするかどうかは、心の持ち方です。

七走一坐

2014年12月29日 | 小さな法話
12月を「師走」と言いますが、
その昔、お盆のように僧侶が各家を読経して廻っていたことを語源とする説がありますが、定かではありません。
ただ、気忙しい「月」ではあります。

禅語に「七走一坐」(しちそういちざ)があります。
私たちは、日々を走り回っているようなことが多いようです。
しかし、いつも走らなければいけないのでしょうか。

もちろんそれがすべてではありません。
坐ってみることも、走っているのと変わりないという気づきを知ることが大切です。

自分を見失ったとき、走りすぎているなと感じたとき、すこしくたびれたとき、さまざまなときに、
私たちは坐ってみることも「アリ」ととらえるのです。

気持ち2

2014年12月24日 | 小さな法話
ここにお袈裟があります。先々代のかけておられたお袈裟です。
だいぶ布が痛んでいます。汗染みもあります。
誰が見ても綺麗といえるものではありません。

それでも私にとってはとても重みのあるものです。
先々代、先代のかけたお袈裟には、その思いがあり、その行動があります。

私にはとんでもなく重いものです。
それは、物質としての重みではなく、
そのものの持っている「念」の重さなのかも知れません。