ライトフロウズ ノウト:Lightflowz-Note

音の和 彩の波 響き合う
五感豊かなひとときを♪ 

幸せを少し感じる音たち♪

2021-02-27 | ライトフロウズノート...

 

ライトフロウズノウト今日のⅠぺージにようこそ♪

 

二月ももうじきお仕舞、

まだ朝晩は冷えますけど日中少しずつ暖かくなり

空の色はずいぶんと明るくなっています。

 

これから三月にかけて

蝋梅 紅梅白梅 河津桜 水仙 などなど花の開花の

知らせ増えてきて日ごとに春めくのを感じる

佳い季節になりました。

最寄り駅までの道の庭先で

沈丁花も少しだけ咲いていた

あの良い香りが漂うのももうすぐで

とても楽しみです。

 

 

blogの更新前回から

ひとつきほど経ってしまいました。

本当はできれば、毎週か月に数回書きたいなと思いつつ…

 

昨年末の引っ越し後、仕事をする環境が

変わったことで、市内の塾講師の新しいお仕事を

いただくほか、短期のお仕事と研修

また、法事なども重なり

 

二月前半は必要な流れでどうしても

週末・昼夜の時間帯も合わせて

ほとんど毎日外出で、一時的に体力の限界に挑戦と

なっておりました@@;

・・今はわりと、年度末までは

落ち着いていると思います

 

時間も少しできているはず…書くこと自体は好きなのに

そのスピードがどうしても遅くて困る私ですが

まずは、途中で止まっていた下書き

四方山話的なのを纏めてみます。

 

 

【 幸せを少し感じる音たち 】

数年前、豊中に住んでいた頃のある日に

 

家の中の生活音が音楽のように聞こえるときが

あることに ふと気づきました

 

テーブルに食器や文房具など小物たちを置くときの音や

部屋を歩くときのスリッパの足音、

棚や家具の扉や窓、戸の開け閉めの音など

ほんとうに何げない生活音の

音の高低とリズムを音楽のようだと

感じるときがあるのです

 

この”現象”というとおおげさな表現ですが

(心境?か状況?か適当なことばが見つからない)

これは大抵、家族が朝時間通りに出かけた後の

午前~昼下がり頃で一人で気軽に色々できるとき、

家の中のことや本を読むなどちょっとした楽しみ、

教室の準備など出来るような時間帯で

 

自分で自分のすることの音を

聞く余裕があるときのことです

 

部屋で猫たちが歩く足音や

外の小鳥の声なども含めて生活音全体を

”音楽”みたいやな と思う時があります。

雨が降る時は雨の音

風の吹く日は風の音も合わさります。

 

音楽を聴くのは好きでピアノ曲を中心に

ほとんど毎日何かしながらでもCDなど

聞いてはいるけれど

家の中で格別音楽のお仕事や趣味のことを

しているというのではありませんし

芸術的な暮らしをしているということでもありません。

(むしろ逆、できれば優雅に暮らしたい希望)

 

そして、それらの”音楽のように聞こえる生活音

たちを楽譜におこせるかというと

そうでもないので多分気のせい

 

なのですが これもふと最近思い出したのは

子どもの時にも同じように感じた

時期があったこと、

何か軽い棒で近くの色々なものをたたいてみて

高低を聞いてピアノの音階のように

なるんじゃないかな?と思ったりしました。

結局ちょっと違う、気のせいと自分で納得して

この感覚はそのまま忘れていました。

 

今また何でそう感じるのか?自分でも多少不思議で

少し考えてみまして…

理由も答えも特に必要ではないささやかで

私的な事柄ではありますが

もしかして、どこか共感覚につながる部分があるとか

少し聴覚過敏の傾向があるのかな?と

思ってみたり、あと考えられるのは

 

私の場合 体質や気質的なことのほかに

仕事や自分自身の修練・趣味でも音声が

ポイントになることが多く、

色々よりよく進めていくために

「声や音の響きをより良くする」そして

そのために「何をどのように?」ということが、

表立って言う機会はそれほど多くはないのですが

いつも課題としてあり(遠い道のり)

その方向を探る:意識を向けている時間の積み重ねの

影響があるかと思います

 

いずれにしても

生活音が音楽のように聴こえているときには

ほぼいつも、ほんのりとした

幸福感を感じることができるので

まあよしとします。

まだ箱のままの引っ越し荷物も幾つかあって

暢気すぎてもどうかと思うけれど。

 

このパソコンのキーボードタッチの音も

少し音楽っぽく聴こえます。

そういえば楽しいタイプライターの曲がありますね^^

The Typewriter / Leroy Anderson 

↑ 動画のリンクを貼って見ました♬

これ見ながら

またふと?小さな疑問ができたのですが

音楽家のかたがたにとって、ご専門の演奏や

それを仕上げるレッスンなど音楽活動のほかのときの

普段の暮らしの音もいつも

音楽的に聞こえているものなのでしょうか?

いつか、機会があればどなたかに尋ねてみたいと思います。

 

先日NHKの音楽番組でも取り上げられていました

昨年末97歳で天寿を全うされた名ヴァイオリニスト

素晴らしいご演奏の映像とともに氏のメッセージ、

音楽を愛するひとたち、そしてそれ以外の全ての

ひとたちにもあてたと思われる言葉のはじめに

「私たちは産声という音楽とともに

この世に生まれてきた」と仰っていました。

そういえば赤ちゃんの産声は世界中どこでも

「ラ」440Hzの音階と言われますね。

 

この世界に生まれたときに、あるいは母親のおなかの

中にいるときからすでに音楽をからだの中に

持っているのであれば、

生活の音が音楽のように聞こえるようでも

不思議ではないのかもしれません。

 

とても私的なことがらに

世界的ヴァイオリニストのラストメッセージを引用

するのは少し気がひけますが、これは

音の響きのたいせつさの新たな気づきをくださった、

温かな愛に満ちたとても印象的なメッセージで

この日のプログラム全体録画してなかったのは

惜しいことでした。

 

ギトリス氏のヴァイオリン演奏 先日放送と同じか

おそらく同時期の

Bach「シャコンヌ」の名演奏の動画

親日家で東日本大震災後の来日演奏・メッセージも

いただいた氏へ感謝と敬意をこめてリンクを貼っています。

(168) Bach - Chaconne - Gitlis - YouTube

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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