ライトフロウズ ノウト:Lightflowz-Note

音の和 彩の波 響き合う
五感豊かなひとときを♪ 

英語:日本語二つの距離感「◎◎◎そう」な英語講師になりたい☆

2020-10-31 | Creative Education

ライトフロウズノウト 今日の1ページにようこそ♪

 

ここ数日は風がひんやりすっと秋らしく

空の雲も高いところに薄く掃いたようなのが多くて

日ごとに秋が深まる様子です。

紅葉の便りもあちこちから聞かれるようになりました♪

 

最近はGO TOキャンペーンなどで外出が増える傾向のようですが、

一年のうちでは新しい出会いはそれほど多くない時期です

・・・が最近少し新しいところにいったりもしています。

そして今日は自己紹介するときのお話から♪

 

初めて会う方に自己紹介をするとき、私は

仕事については「英語講師をしています」とお伝えします。

 

英語の講師としての最初のお仕事は、とある出版社系の

子ども英語クラブ所属で「ホームチューター」=ご家庭を訪問して

小さな子供さんに教える幼児向け英語学習でした。

 

そして塾の非常勤講師の数年あり、そのあと現在継続中の

アゼリアカルチャーカレッジ(池田市)での英語講座開設となり

来春9年目、オリジナルカリキュラムで5クラスを担当しています。

一時 並行して社名にローマ字がある会社の通信学習の添削の先生も

していましたが、メインはいつのまにか英語学習のほうとなりました。

 

私自身の英語学習体験スタートは、今のように

幼稚園や小学校からもう英語の時間があって

ネイティブの先生が来る(羨ましい)ことは無かった時代で、

中学校の授業で初めて習ったときから始まりました。

(最初のスーパー恐い&おもしろい&よくわかる先生大感謝)

 

それから高校では、高校の先生のとても良い授業とESSクラブ、

高校~大学で時々英語スクール、

その後 社会人として違う業種でお仕事した時期があっても、

英会話学校や、そこの先生の良いアドバイスもあり

英字の新聞・書籍・雑誌読む&英語音声の音楽やテレビやラジオ聞く

などして何かしら続けていました。

 

子育て中の時でも、子供の学校でPTA外国語クラブ(これはあったのがラッキー)

そこから同好会的な英字新聞読む集まりなどあり、

英語との接点ゼロになった時期はそれほどなかったと思います。

けれどそれほど熱心に目的を持ってというのでもなく

気が向くのを細く長く、の感じだったでしょうか、

 

言葉の学習自体多分好きなほうで、英語以外にも興味はあって、

小さな図書館で日本語講師養成講座や韓国語・中国語・スペイン語の入門

(ABCのAのAあたり)などで親しんだこともあります。

 

日本語講師は、とある市の中学校の交換留学生の日本語学習を

ボランティアグループでお手伝い、というかたちで

実用というか少しだけお役にたてたのですが、

韓国語・中国語・スペイン語はほとんど忘れてます・・;

フランス語も大学の1~2年で習ったはずなのに・・;

(せっかく習ったのに勿体ないですね)

こんな私なのですが

英語学習については、カメの歩みのように

目覚ましい成果はすぐにはなくても、

ともかくも続いてはきたのでした。

 

そしてここ数年~今現在(2020年10月)は

フリーランスの英語講師、なので

 

はじめの自己紹介のお話に戻るとお仕事は

「英語講師です。」とお伝えします。

 

すると、かなりな割合でその時のお話相手のかたは

「すごいですね~」と応答されます。

 

”すごい”という言葉には私は当てはまらない

と思うので、そのたびに”いえいえ、そんなことは”

とお返事します。

 

その他に案外多いのが

「英語だけはちょっと…」

「英語は私はどうしても…」

のような「英語」にたいしての苦手意識の表現…

ほとんど拒否反応に近いのもこれまで

お聞きすることがありました。

(もちろん講座の勧誘などしてないです)

 

時間とその時の話相手との関係性が許せば、

これまでの英語嫌いの元になりそうな、苦労された

逸話などお聞きして会話することもあるのですが

 

それほど時間がない時のほうが多くて、そんな時には

”これまでしんどい英語学習にあってこられたのやな”

”そんなに嫌わなくても・・・(;^ω^)”とか

と思いつつちょっと寂しい気持ちになったりしていました。

 

がこれはもしかすると、英語そのものに反射的に感じられる

違和感が 英語講師=すごい という言葉に

繋がるかなと最近思うようになりました。

 

というのは

「英語」と「日本語」この二つの言葉の世界の距離、

 

前からあるのは知ってはいたけれど

ここ数年より距離感‥遠さをより強く感じるようになった、

あるいは言い換えれば二つの言葉の背景になる

文化・歴史が本来異質であることを折に触れ

より強く実感するようになったということがあり、

 

”英語” という日本語ネイティブの感覚から遠い言葉の世界、

ひとによっては”正体不明にもみえるものを扱う

ということですごい?という表現をされるのかなと

考えてみました。

私にとってお仕事の一つ一つ、自分が器用でない面もあるので

私ができないことをするかたはどんな分野でも

存在と技と合わせてすごい、

そこでハイレベルなかたほとんど上質で暖かな

ハートをも伴われて更に…なのですが

英語講師→すごいなときはそれと少しポイント違って

そんな異質なものを扱うひとは…という感覚が

含まれる時があるような気がします。

 

日本語は日本という国で遥かな昔からそこにヒトが住す

人々が、世界一長い歴史(世界最古ギネス認定、二位エチオピア)

のなかで太古から形作り伝承してきた言葉

建国は紀元前660年といわれますが

言葉=日本語の音世界は人が暮らしている中に建国以前にあります。

文字は、教科書的には大陸から6世紀に仏教経典とともに入ってきたと

されますが古代日本の神代文字の実在もあります。

 

英語は現在世界の公用語ではありますが

発祥はイギリス やはり歴史文化深く豊かな国で

英語の世界が作られてきました。(西暦450年頃からとか)

 

そしてえらいもので、これこそ本当にすごいことと

思うのですが、日本に生まれて育ち日本語を母語とする

私たちは歴史と文化をDNA~血の中にもれなく持っていて

体内や意識に音とリズムと感性を言葉の母体として

持っているといわれます。

現在「国語」として習う日本語は約150年前明治時代にできた

標準語の言葉、それ以前の日本語~和語が積み重ねてきた

深い豊かな世界は国語~現国だけではカバーしきれてはいません。

本当は古典芸能・芸術にもっと親しみたいと

思うのですが

そのお話はまた別のページに。

 

母語の基礎~言葉の母体といえるものは

英語圏のネイティブのかたがたもそれぞれ

やはり持っておられ、日本語のとはもともと

特質が違います。

 

話題の流れで広い纏めきれない内容の引用をしてしまっていますが

またここはWikipediaのお知恵をお借りします(感謝)ので

もしよければ下記リンクへどうぞ。

日本の建国 日本語の起源 万葉仮名 神代文字

イギリスの歴史 英語の歴史 英語圏 アメリカ英語 

 

そして、最近気づいたのですが

英語苦手 わけわからん(たまに言われる)というかたは

直感的にこの二つの言語間との距離を感じる、

実は日本語の感性が鋭いかたがたなのではないかなと。

 

もしそうだとしたら

その違和感の元を知ったり、学習する切り口を工夫して

対照言語学的なアプローチ…言葉が硬いですが…で

で興味を引き出せることがあるかも?と考えてみます。

 

実際、日本語:英語 二つ言葉・文章を照合するときに

単純作業の暗記・書き取りを超えた 文化的掛け算

になるときには好奇心・探求心をより活発に誘うような

エネルギーの活性化があり

講師としても学習者としても、そこに立ち会うのは喜びであり

良い気づきの連鎖となることを体験してきました。

 

二つの言語が出会うときの学習研究の場の活性化の

様子とその効用は

「バイリンガル・エキサイトメント/多言語高揚感」という言葉で

「The Man'yo Luster」著者のひとりリービ英雄氏

(英訳:リービ英雄 本文・日本語現代語訳:中西進 写真:井上博道 他)

が令和元年日経新聞記事やご著書でも述べておられます。

 

私にとっては英語はいつも、勉強~強いて勉める科目では

なくて「新しい世界を開く鍵」なのです♪

新しく知る国の新しい言葉、その授業をしてくださった

とても厳しかったけれど英語基礎をしっかりわかりやすく

教えてくださった先生は私の生涯の恩師といえます。

 

そして私に日本語側の気づきをもたらしてくださったのは

朗読の師匠・万葉集の全集・合唱の先生

大正時代前後の文豪と作品

 

英語学習本やそれを推薦する広告の中で

「英語脳」という文言をよく見るのですが

もしそれが

英語の頭と日本語の頭を入れ替えるという

意味合いで使われる場合は

私にはそれはimpossible なものに見えることが

よくあります。

 

英語回路搭載を必要に応じて、だとわかるのですが

脳を作り替えることは私にはできない、

素晴らしい日本語の脳を置き去りにして

どうするのでしょうかと思います。

また、もうひとつの言語を覚えるときに

どうするのでしょうか、

そのたび○○語脳を作るのかなと

疑問に思います。

 

ただ、英語を話すときの語順、

私はこうする 何々だから…

何がどうした いつこんな時…

文頭 主語のすぐ後に動詞がきて

環境、理由、状況は後、

文で伝える趣旨を始めに言う

英語の基本が

 

日本語の

私は何々だからこうする(+かもしれない。

+のはやめた。+か、ああするか考え中etc‥)

文の終わりに述語が来て

文の趣旨が語尾で変化、場合によっては逆転可能

な特性で話す習慣が邪魔して

英語話す、会話が苦手になる

 

これも二つの言語の距離をつくるポイントの一つですが

この日本語マインドセットを英語マインドセット

に変える、調整するための思考回路を作る

という意味合いではありだと思います。

 

実際、言語を使うときどこ脳のどこが活発に動いているか、

測った脳の血流チェックのデータがあるのですが

それによると

日本語を使うときは右脳、英語は左脳、中国語でその中間

が活性化しているそうです。

いわゆるバイリンガル、二つかそれ以上の言葉を使う習慣の人は

脳の新しい箇所が活性化するとの記事も見ました。

(どの箇所か詳細忘れました、すみません。)

 

今このページで書いていることはもちろん

個人差のあることで、二つの言語の距離を

やすやすと超える方もおられることでしょう。

生徒さんの中にも、特別にハードな英語学習をしてこられた

わけではないのに英語の感覚をすでに持っている子もいます。

 

また、外国語は英語だけでなく

世界中にたくさんの言葉があり、国際交流

ということになれ、英語のことだけ

考えればこと足りるということでもないですし

きっとそれぞれの言葉にそれぞれの魅力が

あることでしょう。

 

英語は高校・大学受験では理系文系問わず重要科目、そのうち私立中

でも入試に入ってきそうです、また

ニューノーマルの社会、コロナ対応下でのビジネススキルとしても

必要とされる機会はいや増してきます。

喫緊の現実的課題があるときに

あまりふわふわしたことは言えないので

ケースバイケースを忘れてはなりませんが、

 

外国語の講師としてご一緒する皆様と、

二つの言葉が出会いから見える奥行き、世界の広がりを

感じるときの心躍るような確かな体験を

共有する機会がこれからもより多くあり

英語?楽しそうだねと言われる機会が増えれば

とても幸せと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【 十月の音の詩: 雨の音のこだま 】

2020-10-10 | 十二か月の月の詩

ライトフロウズノウト今日の1ページにようこそ♪

 

今年の台風14号、今のところ日本直撃しないような

進路になっていますね。

回れ右?までいかないれど

海上に逸れていってくれそうな‥

 

まだすっかり安心してよいタイミングではないですが

おととしの、緑地公園の木が三分の一ほども倒れるか

傷んだかした超大型台風の記憶がまだ新しく、

そうではなさそうと思うだけでも

ほっとします。

 

それでも北摂も雨がよく振りました。

雨の日は気圧が低く気温下がり…空が灰色…景色が曇る…

雨音が響く…など、何とはなしに気持ちが内向きになります。

雨に潤う草花のしっとり風情の良い色を見ていると

またかえって色々もの思いしたい気分にも

なったりします…そう、

程度の問題もありますが、

車の運転できない&紙系の荷物を守るため

重装備になることがあっても

私は雨の日がわりと好きです。

(さすがにバケツをひっくりかえすほどのは

好きとはいえない)

 

けれど行事ごと、旅行などについては

しっかり「晴れ女」なのですよ。

直前大雨というのは何度かありましたが‥

 

そんな秋の雨の日に

12か月ひと月ごとの詩のうち

10月の音の詩ができました。

 

先月も、でしたが今回も

最初書こうとしたひとつのイメージが

つかまらなくて、その隣あたりのになりました。

でも纏まってしまったので

そうしたら後からもう変わらないので、

下に載せます。もしよければお読みくださると

嬉しいです

 

【 十月の音の詩: 雨の音のこだま 】

萩の花 紅紫色ちらほら

弓なりの枝葉に

若緑 深緑

取り混ぜて

時雨の道ばたで

揺れる


雨の音 静かに

霞む町並みを

包む日には


心の海深く

沈んだ言葉たちが


真珠のように

幾重もの

丸い層を作る


その姿を

描く力をもつひとは

限られると

誰もが思っている


自らの裡が

いつもいちばん遠くなる

神様の不思議な謎かけ


雨音は

こだまする


胸の奥になおした

思い出の隠れ家に


時を超える

鳥の歌に


ここではない

世界を生きた

魂に


終わらない

旅の途中


全てを繋ぐ

水の波長


降り続く

雨の音

 

 

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【 九月の音の詩: 不揃いな煌めき 】

2020-10-02 | 十二か月の月の詩

ライトフロウズノウト 今日の1ページにようこそ♪

 

昨夜は中秋の名月

夜空は晴れて綺麗なお月さま、

満月を撮っているはずなのに

なぜか横長の楕円形 私のスマホカメラは中でも

それほど性能よくない(画素数少な目etc)ほうで限界あり

細い三日月の繊細な形は諦めてますが

丸い満月でも撮れない時があるとは@@;

あるいは丸はかえってむずかしい?…

 

昨日 21:00頃のお月さまが写真では

珍しく少しグリーンがかって見えます。

この時 肉眼ではブルーがかった白だったと思う。

 

月の周りの光 私の携帯の写り方でこれまで多いのは薄紅色とか

クリーム色など暖色系が多くブルー系~仄かに紫のときもありましたが、

グリーンxブルーのは初めてみたかも

 

同じ夜のお月さま 夜11:30頃

いつもの月の光の色 接近中の火星が一緒に映っています♪

やっぱりまん丸に写らない 仕方ないですね

 

ひと夜でも色が変わる月の光、その時の気温や高度、大気の成分などで

人の目には違って見える、太陽も朝昼夕大きさ、色大きさ変化しますものね。

理科で習った覚えはあるのですが忘れてしまったので

webで調べてみました。その中からリンクを二つ↓

太陽の色が昼黄色いのに夕方赤いのはどうして

月の色は何色なの?

いくつかある中で 上「がっけんKids」下「ひとと宇宙をつなぐTELLSTAR」

のページお借りします。わかりやすい内容感謝。

 

そしてスマホカメラ内のレンズやカラーとの相性やら

何かでまたそれぞれの写りの画像になるのでしょうね^^

プロの方が読まれていたら、基本すぎることと思われるかも

ですが機械全般弱い私のことで、どうぞご容赦を

 

facebook, instagramなどSNSでは、昨夜美しいお月さまの

写真がたくさん上がっていました。それこそプロのかたの

見事な月の模様までくっきり見えるのや

周りの風景、秋の風趣豊かな十五夜のお供え設えと

ともにの写真いずれもとても素敵です。

その中に私のと同じように月の光が少しグリーンよりの色も

ありました。私のカメラが変なのではなかったと

ほっとすると同時に、ほんとうに自分の写真の拙さが省みられる

皆様の見事なお写真数々でした。

 

そういえば月も太陽も少しずつ…時計の針ほどにか

動いているので一晩の間にも僅かに形が変わるのですね

夜の始まりと夜の終わり明け方では、例えば満月の夜には少しずつ

欠けていく、見えていない昼のあいだも

月はだんだん形を変えて次の夜にまた見える、お天気が良ければ。

(見えぬものでもあるんだよ…は金子みすずさんの詩の一節でした)

今日お昼快晴で このまま夜も晴れると

また美しい十六夜の月が見られそうで楽しみです。

 

私の写真は、今は仕事で使用するのではなく

ほぼ私的なSNS用なのでわりと気楽、いわゆるネットリテラシー、

見る人に不快を与えない・他の方のプライバシーを侵害しない

などの要点は守りつつ

撮影・掲載(私が言うとおおげさですね)比較的気軽に

しているほうなので、普段の景色については

カメラ機能と腕の足りないところは個性と

ということで自分なりには楽しむことができます。

 

それにしても 月の形~三日月・半月・ちょっと膨らんだ

…などの形を写せる夜用のスマホアプリなどあったように

思うので探してみようかな?

不思議と昼の月は少々細い形でも写ります。

 

さて…中秋の名月と写真があまりにも美しかったので

つい色々書いてしまいましたが

このページの このあとには【九月の音の詩】を載せます

十月に入ってますが‥もしよければお読みくださると

嬉しいです

一旦できてそのあと3~4日ほど落ち着くのに

かかりました。あるひとつのイメージを捉えようとして

あと少しで少し違うものをつかまえた感もある

言葉の集まりになりました

詩の後にピアノ曲演奏のリンクを二つ

 「予言の鳥」 (1949年古い録音 コルトー) &「トロイメライ」 Martha Argerich

「予言の鳥」直接に九月の音の詩と結びついてはいないのですが

何となく…が謎めいた響き なのでその後

秋の夜長に良い夢を願いつつとyou-tubeからシューマンの名曲を。

 

【 九月の音の詩: 不揃いな煌めき 】

 

街の中空には

不揃いな煌めきが

満ちて


道行く人たちを

見守っている


同じものは

ただのひとつもない

それぞれの生きる道の

無限の交差


思いの横糸

時間の縦糸

余さず全てを

織り上げるのは

天上のみ技


たゆまず色を変え

次の形に移り流れていく

その模様の

行く先を観ながら

中空で光る


その煌めく音は

和音と旋律を奏で

不思議に美しく

中空に広がる  まるで


研ぎ澄まされた

水からできた

氷の鐘たちが

鳴るように


様々な角度で重なる

音の輪に重なり

微かな詠唱が

どこからか

聴こえる


どこの国の

言葉なのか


追いかけた詩人たちは

いつしか姿を

消してしまった


野山の上空では

冷え始めた青い大気の中

雲にならなかった

水の粒たちが凍って

小さく煌めく


人のいないところでは

氷の鐘の音は

高い空に透けて見える

宙の星の色


予言の鳥は

鐘の音の響きを

集めて歌う


その声は

不揃いな光の結晶を

心の奥底に

宿している

ひとの他には

聴こえることはない

 

「予言の鳥」シューマン:Cortot plays Schumann "Vogel als Prophet"

「トロイメライ」 シューマン:マルタ・アルゲリッチ

 

 

 

 

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