雑賀孫市(まごーん)の中の人ブログ

まごーん(中の人)が独りでぼちぼち呟く。

収集品をネット展示してみる~人見錚一郎少将宛葉書2通~

2015年03月24日 22時13分18秒 | 収集品
どーも、まごーんやで。
今日は、重巡洋艦熊野の最後の艦長である人見錚一郎少将の葉書を紹介します。
こちらが人見少将(当時中佐。写真はヤフオクから)
えー、ヤフオクでバラバラに遺品が出品されてたので誰も入札しなかった葉書をウチが落としました。
本当は写真も欲しかったのですが、お金ないので画像を何枚か保存するにとどめました。
人見少将の少将任命書(戦死後昇進)
米内海軍大臣による弔辞
(いずれもヤフオクから)
さて、人見少将は海兵47期。いわゆる最後の生存少将昇進クラスの1人です。
ですが、人見少将は戦死昇進での少将です。経歴に関してはそこまでマイナーではないので略しますが、専門は水雷で、海大卒後は第三戦隊参謀や第七戦隊参謀を務めています。最終軍職は熊野艦長。
マニラに於いて空襲にあい、熊野共に戦死しました。
さて、今回紹介する葉書です。
海軍中佐時代の人見さんに宛てられた葉書で、右は親族でしょうか、幼い感じなので名前は非公開とさせていただきました。左の送り手である、中井少尉はのちに少佐で死亡しているようで、ヤフオクに彼の人見少将宛の遺書も出品されていました。(もちろん誰かが、高額で落とされました。)
右側のは新年の、左は暑中見舞いですね。左のは、奥宮大尉のことが少し触れられており、もしかしたら奥宮正武のことかもしれません。
裏はポストカードなのです。上は右側の葉書。下は左の葉書の裏となってます。女の子と、桜島の景色です。
教育局の室内で、この葉書を見て人見さんは微笑みを浮かべてたのでしょうね。

しかし、こうして、遺品が出品されるのは見ると心が苦しくなります(もちろん、ウチもその出品の恩恵に預かってる1人ですが)。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿