雑賀孫市(まごーん)の中の人ブログ

まごーん(中の人)が独りでぼちぼち呟く。

実物を収集する意味とは何だろう?

2014年10月13日 04時01分43秒 | 日記
ども。まごーんよ。
今日はなんとなく深そーな題名。
ウチは趣味で当時の軍装品や旧軍関連の紙ものを集めている。
勲章、電報、名刺、新聞etc…
それらを集める意味、というか、怖くないか?というのがTwitterの話題であがりましたので。少し考えてます。
ウチが収集してきた資料は大体100点前後。その半分は名刺が占めますが、なかには軍服。階級章などいわゆる当時の方が身につけていた物も多少なりと含まれます。
ウチはそういうのを集める時、その人の経歴等を調べてます。この所有者はどういう人物だったのか、どのような人生だったのか。そして所有者が分からなくてもコレを持っていた方は一体何処でどんなことをして居たのだろう。と思いを馳せると言いましょうか。感傷に浸るともうしましょうか…。
ウチの収集した物の中で戦死した人の遺品は少なくとも3点。そして戦犯として処刑された人の旧蔵品が1点、少なくともおります。
ですが、枕元に立ったとか、そういうことは一切ありません。ウチに霊感が無いからかも知れませんし、身内に戦死者も戦犯容疑者もいるからかも知れません。勝手な推測ですが。
ウチは幽霊の類は信じません。もしそんなのが居るならウチは戦死した祖父の兄に生きている弟に会って欲しいです。と言いたい。
さて、少し私事が入りましたが、ウチは実物を収集するのは慰霊のためとか、そういう高尚なことまで頭が回りません。ただ、たまたま見かけて欲しいと感じたから買った。というのが正解に近いです。
ですが、買って満足ではなく。当時の方に思いを馳せるのがウチなりの礼儀と勝手に思っております。要するに、忘れるということをしないことです。
約100年、約70年まえに、この物を持っていた人はどれだけ苦労したのだろうか?無事に寿命を終えたのだろうか?戦死されてしまったのだろうか?楽しんだのだろうか?
ウチは時々そう考えるのです。
勿論、資料を見てる時などは、忘れている時はあります。人間ですから。
ですが、ウチの収集しているものは”かつて所持していた方の歴史の足跡なのだ”と心に刻み、ウチは今日も収集を続けているのです。
正直、申せば現在はオークションなどでバラ売りにされることが目立ちます。本来はそれらは纏めて保存されているからこそ、歴史的価値があると言いますか(物に価値をつけるのは厳禁ですが)重要なことなのです。
散逸は最も悲しいことなのです。
ウチは出来る限り、それらを纏めて所持し、彼らの足跡をとどめることが、収集の重要なことと思っております。

以上、長々な駄文ですが、ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
これを読んで下さった資料を集めている方も、歴史の波の一抹の泡と消えた方々の足跡を時々、思い出してあげてください。

まごーん

そういえば、一回。軍刀(拵えだけ当時ので中身は模造の切断)を抱いて寝てしまったことがあります。
その時見た夢は何処かの森か、ジャングルのようなところでウチは彷徨い、そして異常な空腹感に襲われておりました。
目が覚めました後、軍刀を見て、もしかしたらこの軍刀もニューギニアなどで彷徨っていたんだろうか…。と考えました。