おはよ、まごーんよ。
今日もこの前の興福寺行ったついでに行った佐紀城の行ったついでに行った超昇寺城のことをあげるで(ややこし)
超昇寺城は大和国の超昇寺の僧が武士化した超昇寺氏の本拠地です。室町後期~戦国期では公家や僧の武士化も例があり、中には大名として一国を支配した者もおります。例としては藤原五摂家の名門・一条氏が四国に一定の勢力を保持しており、また、藤原堂上家の名門・西園寺氏(同族の子孫には西園寺公望がいますね)などが同じく四国に勢力を持つなど、まさに実力派がのし上がる時代でした。
さて、この超昇寺城はさきの佐紀城から僅か200mしか離れておらず、セットで見ることをオススメしたいのですが…個人的にはオススメできません。何故なら、この超昇寺城、竹薮が凄いです。
超昇寺城の外郭の部分。
中はこんな感じで外から見ると全然入れる気配がありません。
別のサイトで西の土橋から入りやすいよ~。と書いてあり、地図を頼りに行くと…
土橋です。これだけ見ると入りやすいかと思われますが、その手前が竹の壁です。ちょっと苦労します。
超昇寺城は主に主郭、外郭の二構成で成り立つシンプルな戦国期の城です。この城は大和の北街道に位置するので、何度か史料に登場します。
また、空堀はかなり広く目測で3~4mぐらいはありました。隣に池があり、昔は水堀だったと考えられます。
土橋(入口)からみて右の空堀。ほとんど竹!ですが、なんとかわかるでしょうか…?これは実際に行けばわかりやすいです。二次元と三次元の限界…。
次に東側にある、櫓跡の土塁。空堀から見ました。この土塁もかなり高さがあります。
左から右にかけて、主郭土塁~空堀~櫓跡(外郭土塁)です。
んで、これが主郭土塁。その奥には住宅がたっており、そこも郭があったと考えられます。
以上です。お手製の見取り図書きましたので参考になれば
今日もこの前の興福寺行ったついでに行った佐紀城の行ったついでに行った超昇寺城のことをあげるで(ややこし)
超昇寺城は大和国の超昇寺の僧が武士化した超昇寺氏の本拠地です。室町後期~戦国期では公家や僧の武士化も例があり、中には大名として一国を支配した者もおります。例としては藤原五摂家の名門・一条氏が四国に一定の勢力を保持しており、また、藤原堂上家の名門・西園寺氏(同族の子孫には西園寺公望がいますね)などが同じく四国に勢力を持つなど、まさに実力派がのし上がる時代でした。
さて、この超昇寺城はさきの佐紀城から僅か200mしか離れておらず、セットで見ることをオススメしたいのですが…個人的にはオススメできません。何故なら、この超昇寺城、竹薮が凄いです。
超昇寺城の外郭の部分。
中はこんな感じで外から見ると全然入れる気配がありません。
別のサイトで西の土橋から入りやすいよ~。と書いてあり、地図を頼りに行くと…
土橋です。これだけ見ると入りやすいかと思われますが、その手前が竹の壁です。ちょっと苦労します。
超昇寺城は主に主郭、外郭の二構成で成り立つシンプルな戦国期の城です。この城は大和の北街道に位置するので、何度か史料に登場します。
また、空堀はかなり広く目測で3~4mぐらいはありました。隣に池があり、昔は水堀だったと考えられます。
土橋(入口)からみて右の空堀。ほとんど竹!ですが、なんとかわかるでしょうか…?これは実際に行けばわかりやすいです。二次元と三次元の限界…。
次に東側にある、櫓跡の土塁。空堀から見ました。この土塁もかなり高さがあります。
左から右にかけて、主郭土塁~空堀~櫓跡(外郭土塁)です。
んで、これが主郭土塁。その奥には住宅がたっており、そこも郭があったと考えられます。
以上です。お手製の見取り図書きましたので参考になれば