「其の一」を公開してそう時間が経っていない時、、
大量出血が続き、、顔の周りは血だらけ、顔の下のちり紙は血の海が黒く固まり、その上には沢山の血塗れのちり紙。
それをとうとう母に目撃され、ずいぶんと怒られずいぶんと心配をかけてしまいました。
令嬢とやらが仙台に来てくれてから、もう一年と三ヶ月近くになります
この間、彼女は私の敵方の在日男性と結婚をし、素敵な街仙台で素敵な思い出を幾つも作ったそうです。
一方私は、、山程の嫌な想い、、寂しい想いもまた少なからず味わいました。
彼女へ好意を感じたのはせいぜい昨年五月末までの三ヶ月間足らずでした。その後は次から次へと人間としての尊厳を踏みにじられることばかりでした。
──彼女、、並びに財閥家に、「誠意」を感じましたことは唯の一度もありません。
ちなみに、、女性的な非現実的な誠意など、私は一度も要求をしたことはございません。
私も・・老いた母も・・人間なのです。人間らしい扱いをして欲しかった、、ただそれだけであります。
この団体の者達全員。
この団体の外にあって指導している者達。
そして財閥家。
私は、、これらの者を断じて許しません。
許さないものは許さないのです。
今も、、 血相を変えた母に、「救急車を呼ばないといけなくなった時に備えて保険証を出せ。」、と怒られ出しました。
昨夜午後七時過ぎに、英文を読み上げて見せ、「どうですか?発音が中々良いでしょう?」、と彼女の母親と思しき方、、私の母とほぼ同じ年齢の方でしょう、、に尋ねて見ました。
留学経験豊富な相手に、発声など丸っきりなっていない自分を解った上で、あえて質問をぶつけて見ました。
無反応でした。。
午前一時を過ぎました。
出血攻撃がもう一時間以上、続いて居ります。
昨日、、苦しい一日が、ようやくのこと終わって日付けが変わり、五月二十六日がやって来ました。
昨日五月二十五日から「また」出血攻撃が始まったのですが、、一体何回この攻撃をやられたのか、全く憶えていない程です。
日付けが丁度変わる前後も、詰めているちり紙の隙間から大量の血が溢れ出続けました。
昨日は一日中、母も元気がありませんでした。
私は今年の二月で五十六歳となりました。
対する彼らは全員二十代の若者です。
これは何を意味するのでしょうか??
私の攻撃「だけ」が怖い、、だからここで無茶をやる、、
これも何を意味するのでしょうか??
午前零時二十五分、、たった今も昨日時刻から始まった出血が止まず続き、血をごくごく飲み続けて居ります。
彼らの人生に呪いがあらんことを。
彼らの目に二度と幸い映ぜんことを。