世紀末の詩

無駄な競争は心を貧しくする

原発再稼動に茶番を演じる利権亡者

2011年06月30日 | 原発関連


<植草一秀知られざる真実より転載>


3月11日の大震災で東電福島第一原子力発電所が人類史上最悪レベルの放射能災害を引き起こした。
幸い、これまでのところ原子炉格納容器を吹き飛ばす核爆発が発生しなかったため、被害は相対的には軽微に留まっているが、
これは偶然による結果であって、事故の過程で大規模な各爆発が発生した可能性は十分に存在した。
 
 事故発生は地震と津波によるものだが、福島原発地点の地震規模は決して「異常に巨大な」ものではなかった。
津波は「巨大」ではあったが、過去に事例が残されており、「異常に巨大な」規模のものではなかった。
 
 政府と東電は、これまで絶対安全神話を掲げて原発事業を実行してきた。
 
 ところが事故は発生した。
 
 そしていま、事故原因を究明するべく事故調査委員会が活動を開始したところである。
 
 ところが、海江田経済産業大臣は、6月18日に全国の原発の再稼働を求める要請を出した。
 
 狂気の沙汰としか言いようがない。
 
 さらに驚くべきことは、エネルギー政策を白紙に戻して再検討すると公言している菅直人氏が、直ちに海江田経産相の発言を支持したことだ。
 
 日本における原子力利用は米国が持ち込んだものだ。
米国の原子力産業とウラン鉱山保有者が販売先を求め、米ソの冷戦構造のなかで米国が核競争に邁進するなかで、
日本に対しては、米国の監視下で日本が原子力を利用することを米国が強制したのだ。
 
 その手先として活用されたのが、米国のエージェントと見られる正力松太郎氏と中曽根康弘氏である。
 
 日本国内の政官業学電にとって、原子力利用は麻薬だった。広大な土地、巨大な工事、巨大なプラント、膨大なメンテナンス業務、研究開発は、日本国内の政官業学電に巨大な資金を投下するものだった。
 
 さらに、電源三法は、地元自治体に法外な資金を投下してきた。
 
 この巨大なカネに、すべての関係者が擦り寄ってきたのである。 
 
 この巨大なカネの力なくして、原発は推進されるはずはなかった。


本当に原発が安全なら、東京に原発を建設すればよいのだ。
 
 重大な原発事故が発生しても、政府閣僚も、東電幹部も、原子力保安・安全院のスタッフも、誰一人として福島原発の現場で対応を続けた者はいない。
 
 福島の大地、空気、地下水、河川水、海洋水は著しく汚染された。深刻な問題がいまなお広がっている。
 
 この状況下で、何を根拠に「安全宣言」を示すことができるというのか。
 
 電力会社の株主総会で「脱原発」の議案が否決されたことをメディアは大きく取り上げているが、
株主総会前に、執行部が利権複合体の株主の委任状を取っているのだから、否決は当たり前である。
 
 これだけの事故が発生し、人類の存続をも脅かしかねない事態が発生したにもかかわらず、原発推進に再び突進を始めた現実を、日本国民はどのように受け止めるのか。
 
「長いものには巻かれろ」なのか。「お上には口を差し挟まない」なのか。
「人類が滅亡しようと、子孫を放射能漬けにしても構わない」ということなのか。
 
 地元の町長が原発再稼働を容認するのは、カネのためでしかない。地元の知事が原発再稼働を容認するのも、カネのためでしかない。
 
 どうして、カネのことしか考えない政治から、一歩身を引こうとしないのか。
 
 海江田氏にしても、経済産業大臣のポストまで獲得して、そのうえ、まだ何かの物欲にとりつかれる理由でもあるのか。


2009年8月に政権交代を実現し、政官業のしがらみにとりつかれた日本の政治を、国民目線で一新することを目指したのではなかったのか。
 
「絶対安全神話」が崩壊し、人類滅亡のリスクが表面化した以上、日本全国のすべての原発について、
万が一にも、事故が生じないことを確認できるまでは、運転を中止するのが当然の対応であるはずだ。
 
 電力が足りなくなるなら、足りないなりの生活に転換すれば良いだけのことだ。
電力利用を中止して差支えのない部分は、広大に存在する。
 
 フジテレビのBS放送が、毎日午後8時から政治番組を放送しているが、出演者がネクタイ、背広を着込んで、涼しげな様子で節電を論じるさまは、コメディーとしか言いようがない。
スタジオは煌々とライトアップされ、この状況で節電を呼び掛けるのは、暑さのせいで脳をやられてしまっているということだろうか。
 
 テレビ番組など、ほとんどは不要のものばかりだ。
不要だからといって、片端からなくしてしまえば重大な雇用問題が発生するが、これからの時代は、エネルギーを消費しない分野で雇用拡大を図ってゆく必要がある。
 
 佐賀で原発を再稼働させてしまえば、ひとつの流れができる。
ここまで、利権複合体は必死に暴走してしまおうということなのだろう。
 
 脱原発を決断すれば、原発村の事業は、根本から見直さなければならなくなる。
それは、たしかに、関連産業に大きな影響を与えるだろう。
しかし、いま、日本国民が考えなければならないことは、原発利用を今後も継続してゆくべきであるのか、
それとも、原発利用から脱却してゆくべきであるのかという、まさに、未来への分岐点上のもっとも重大な選択の機会を得たということなのだ。


巨大利権が存在するから、あるいは、巨大ビジネスであるから、ということだけでは、核利用を継続してゆくことの十分な理由には成り得ない。
 
 地元の利権関係者が原発を受け入れようとするのは、電源三法による巨大な資金流入があるからでしかない。
カネで頬を叩いて、誰もが忌み嫌う原発を押し付けているだけではないか。
 
 カネのためなら何でもOKということなのか。
 
 カネのためなら、将来の日本国民に大量の放射性物質を押し付けて構わないということなのか。
 
 世の中には、カネの力だけで解決してはならないことがらがたくさんある。核利用の是非も、カネの力で解決を図る問題ではない。
 
 一度、電源三法を棚上げにして、そのうえで、地元自治体が、それでも原発賛成に回るのかどうか、確かめるべきである。
 
 一連のことがらは、この国の政治が「利権」だけを軸に回っていることの証しである。
このような政治を排して、利権にとらわれない、主権者国民の利益を軸に動く政治を確立しようというのが、政権交代の、最大の目的だったのではないか。
 
 利権を軸に回る政治を刷新するには、政治を取り巻く資金の流れを清冽にしなければならない。
だからこそ、政治献金の全面禁止が求められるのだ。
 
 政治家の仕事が利権に絡むことを阻止する制度の構築が不可欠なのだ。
 
 経産大臣の原発再稼働要請、地元首長の再稼働容認、電力会社株主総会での「脱原発」決議案否決、これらのすべてが茶番である。
 
 この茶番を容認してしまうのかどうかは、国民の矜持の問題だ。
 
 このまま原発推進が強行されるというなら、「脱原発」の是非を問う総選挙が実施される方が、はるかに、この国の未来のためには好ましい。
 
 国民が核利用を選択するなら、それに伴う弊害は、国民自身の選択による自己責任ということになる。
 
 しかし、財政論議で常に用いられる、「子や孫の世代に負担を押し付けられない」のフレーズが、核利用に際しては一向に聞かれない。


 地球は人間だけのものではない。現在を生きる人間だけのものでもない。
核使用は、生命体としての地球の根本原理に反しているのだ。核使用は「人道に対する罪」である。
国民の力で、必ず「脱原発」の方針を樹立してゆかねばならない。



この動画で米国がどのように日本の原子力政策をコントロールしてきたのかが、よく分かります。
福島原発事故に直面したいま、すべての日本国民がこのプログラムを視聴し、原子力政策を再検討しなければならない。



消されたらこちらへ↓
原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~









日本税制問題点

2011年06月18日 | 改革日本
日本税制の問題点
所得課税、消費課税、資産課税、法人所得課税、退職金税の算出、海外との比較総括 

◆国民負担率(対国民所得比)日本は08年、他国は05年、財務省(ノルウェー,フィンランド09.4.11追加)

※租税負担率は国税及び地方税の合計の数値である。また所得課税には資産性所得に対す課税を含む

       日本, アメリカ, イギリス,ドイツ,フランス, スウェーデン,イタリア, カナダ, デンマーク,ノルウェー,フィンランド

個人所得課税  7.6%  12.0%  13.5%  10.9% 10.3%  22.2%  14.4%  16.8% 39.3%  12.6%   18.5%

法人所得課税 7.1%  3.9%  4.3%  2.3%  3.7%   5.3%   3.9%  5.0%  5.9%  15.3%   4.6%

消費課税    6.9%  5.9%  14.2%  13.7%  15.2%  18.6%  15.5%  11.7% 23.6%  15.9%   19.0%

資産課税等  3.6%   3.9%  5.5%  1.2%  8.3%   5.4%   6.3%  5.7%   3.0%   1.4 %   1.7%

租税負担率  25.1%  25.6%  37.5% 28.0% 37.6%  51.5%   40.1%  39.2%   70.8%    45.2%   43.8%

社会保障   15.0%  8.9%  10.8%  23.7% 24.6%  19.2%   18.2%  6.3%  2.9%   11.6%   16.7%

国民負担率  40.1% 34.5%  48.3% 51.7% 62.2%  70.7%   58.3%  45.5%  73.%    56.8%    60.5%



◆個人所得課税負担率、日本は11ヶ国中最低の7.6%、他国は全て2桁

▼アメリカと同じ負担率なら16兆円税収増になる

個人所得課税負担率をアメリカと同じ12.0%(日本7.6%なので4.4%増)にすれば単純計算で16兆円税収増になる。

2008年の国民所得384兆円なので(384×4.4%=16.8)となる

▼最高税率(給与所得)下げてきた、1995年65%→50%

▼株の譲渡益と配当課税下げ2004年、20%→!0%(国7%地方3%)資産性所得全てを総合課税にし累進課税にすべき日本は分離課税で極めて低率(米国は原則総合課税なので資産家には原則最高税率47%がかかる)

▼所得税の最高税率の推移、地方税を含む、

1983年の93%から99年に50%と大幅減になったのです。それ以前は消費税もなかった。焼酎は安かった。景気は良かった。()内は国税のみ、

1983年まで93%(75)、84年88%(70)、87年78(60)、89年65%(50)、99年50%(37)と4段階にわたり大幅に引下げられたのです。

※最高税率を海外並みに引下げたのなら資産生所得も総合課税にすべきだったのに分離課税のまま、これが問題ですね。

(参考)最高税率、日本50%(ただし給与所得にだけで資産性所得は分離され極めて低率)、アメリカ47.5%(ブッシュ以前は50.1%)総合課税

社会保険料の問題

実納付額が所得に逆転しているのです、最高限度額と所得控除を廃止すべきです

所得控除後の実納付額、所得に逆転の例

▽億万長者の実納付額、49万2000円(納付限度額、全国同一)

▽所得260万円の実納付額
    守口市 79万1132円
    船橋市 56万2065円

 国民健康保険料+介護保険料+国民年金保険料=社会保険料合計

所得比例分の納付限度額と所得控除は廃止すべき

※保護者が高額者なら学生の年金も、医療保険も介護保険も保険外医療費も、全て実納付額が1/2で良いのです

子ども手当てをばらまきと言うなら、所得控除はよりばらまきですね。

▼課税最低限の引き下げ2004年(夫婦子供2人)384.2万円→325万円、日本税制の最大問題だと思う、

(参考)米国の最低限は2001年は32,121ドル、2007年は3万9783ドルと引上げ、これ以下には現金が支給される(米国の税制EITC)

※1993までは319.8万円から上げてきたのに、319.8→327.7(1993年)→353.9→361.6→382.1→384.2万円(2000年)→※325万円(2004年)に引下げた

※04年からは低額所得者の生活レベルは低下したことになるのです。これは大問題です。政治とは底辺を上げることが主目的のはず

※米国は逆で課税最低限を上げているので逆転して米国が高くなった。その上に特に考慮いすべきは課税最低限以下の勤労者には全員に現金を支給し

年々底辺を上げる税制になっている(EITC)、これが政治の基本だと思う。だが日本は逆に底辺を下げた。

◆所得控除を廃止して税額控除の税制にすべきです。※EITCの知識無しで政治経済を語る資格無し

▼米国の税額控除の例(課税最低限以下の勤労者全員に現金が支給される)※減税でも課税最低限以下の勤労者全員に現金が支給されるのです

(納税額)=(全給与収入で計算した)税額ー控除税額

だから低所得者には納税額がマイナスとなり現金が支給される。

※社会保険料の所得控除はなく、退職金などに関係なく、全収入で税額を計算し一定額の税額を控除する

夫婦子ども2人の例

▽収入が3万9783ドルの場合は納税額はゼロになる(課税最低限ですね)

▽収入が35,000ドルでは1,013ドルの税還付があり収入は36,013ドルになる

▽収入が15,000ドルでは4,716ドルの税還付があり収入は19,716ドルになる

※子どもの対象年齢は19歳未満、学生は24歳未満

※控除税額は推定7千ドル程度(夫婦子ども2人の場合)

※単身、夫婦子なしの支給額は収入5600ドルで最大額で428ドル

※税控除額は子どもの有る無しで大きく異なる。所得に関係なく支給される子ども手当てと言って良いでしょうね。

※米国の出生率は2.04と高い

※▼(参考)日本で採用した場合、課税最低限を現行と同じ325万円とする

控除額は約50万円程度となる(課税最低限325万円×15%)
だから計算税額が50万円以下(課税最低限以下)には差し引き納税額がマイナスになり現金が支給される

※所得控除では高額所得者は納税額が160万円(課税最低限325×50%)安くなるところ50万円なので110万円損になる(米国では控除税額は推定7千ドル程度か)

▼ワーキングプアー解消のため1975年から導入され最近強化された税額控除です、

税額控除だからマイナス税があるのです



日本は輸出超過大国で対外純資産残高266兆円(09年)とダントツ


この十数年間、内部留保は拡大し配当も増え、役員の給与は大幅増、しかるに労働者の賃金は下がっている

輸出競争力に比して他国より人件費が低いから輸出超過になるのです「輸出額=輸入額」が適正人件費なのです。

この266兆円を人件費に当てていたら内需も増え円高にもならず景気は良かったはず。そもそも輸出超過大国なのに不況は政治の貧困が原因です


▼法人税率日米比較(法人税、事業税、住民税を含む)日本は米国より低い


▽ニューヨーク45.95%、ロサンゼルス40.75%

▽東京40.69%、日本標準39.54%(日米は財務省06年)※最近のデータにはニューヨークのがない

▼スウェーデン 28%と低い、だがスウェーデンでは

※社会保障拠出金(雇用者負担)

被雇用者の名目所得の32.42%に相当する額を雇用者が負担する(被雇用者が70歳以上の場合は24.26%)

(参考)個人所得税の最高税率62%(地方税37%+国税25%)

※スウェーデンの最近のデータは次を

http://www.jetro.go.jp/biz/world/europe/se/invest_04/

日本の実負担率




資産課税(相続税を含む)

※相続税は財務省の資料では資産課税に含まれるので、相続税を海外と比較する場合には資産税も海外と比較すべきです。相続税率が低い国は資産税率が高いようです。したがって相続税を下げる場合は資産税を上げるなども必要なのです。

資産課税等負担率、日本は11ヶ国中、低い方から5番目で福祉大国やアメリカやより低いのです、

日本は相続税の最高税率が高いとの意見もあるが、相続税は資産課税に含まれので固定資産税を含めて資産課税全体で評価すべきです。

特に資産課税は毎年負担するので相続税より負担が大きくなるのです。相続税は多額の控除があるのです、

▼資産が増えないような税制なら相続税率の引き下げも良いが日本では個人資産がどんどん増えている、だから2極化が拡大するのでむしろ引き上げるべきと思うのです

▽1990年末 個人金融資産:1026兆円 現預金:481兆円
▽2005年末   〃    1506兆円  〃  771兆円 

退職金税制は天下り税制で税金逃れの典型税制、改革が必要

退職金税制は天下りには極めて有利で税金逃れの典型税制、すなわち

※税逃れには年収を少なくし退職金を増やす

▼この退職金税制は天下りのみでなく勤務年限の短い企業の役員や県知事などには横行しているはず

1年の勤務でも退職金と名がつけば、退職金総額の1/2は無税、10億円の退職金でも5億には税金はかからないのです。給与なら全額が税の対象、こんな税制は日本だけでしょうね、アメリカは給与と同じ税制です。

つづく








元東電社員が暴露

2011年06月17日 | 原発関連
経緯は分かりませんが外国メディアから発信してますね
日本のメディアは電力村の一員ですから致し方ないのでしょうね。

木村氏は90年代後半に上司にもし津波が福島原発を襲ったら
何が起きるか尋ねたという。
木村氏は「確実にメルトダウンが起きる」と述べ、
上司も「その通りだ」と認めたという。
それを回避するためには、
予想津波水位より高い所に非常用ディーゼル発電機を移動させればよいのだが、
それには会社に高いコストが掛かる。
そのため誰もそれを提案しなかったという。

この人確か前回紹介した方ですね。









問われる報道の信頼性 マンション別室で酒食提供

2011年06月16日 | 色々な裏
九電側、担当記者に便宜供与
   マンション別室で酒食提供
  ~問われる報道の信頼性~  

 電力会社によるメディア懐柔の一端をうかがわせる事実が明らかとなった。

 原発で揺れる九州電力側が、社長宅のあるマンションに来客用として別の一戸を用意し、取材に訪れた記者らに飲食を提供していた。
 通常の取材への対応とは明らかに異なるもので、一部の担当記者への便宜供与と見られる。
 九電側のカネにあかせたメディア対策の結果、記事の内容が九電側の意向を反映したものになったとすれば、読者を裏切る背信行為となる。

一部記者の秘密事項、部屋は「フリードリンク」
 問題の部屋は、九電と関係の深い九電工のグループ企業が糟屋郡内に開発したマンション群のうちの1棟にあり、九電社長宅と同じフロアだった。
 この部屋では主として夜間、担当記者が取材対象の自宅を訪ねて話を聞く、いわゆる"夜回り"などに対し、酒や肴が提供されていた。

 関係者の話を総合すると、社長宅を訪問した記者を社長の家人が別の部屋に案内。鍵を開け部屋に招き入れ、あらかじめ用意されていた飲食物を勧めていたとされる。
 冷蔵庫のビールなどは自由に取り出せ、「フリードリンク」の状態だったとの複数の証言もある。
 
 部屋の存在や酒食の提供といった事実については、それぞれの新聞社内において一部の九電担当記者だけが知る「秘密事項」のようになっていた。
 通常の九電に対する取材は、「広報を通せ」と指示される場合が大半で、特別待遇が担当記者を懐柔する手段だった可能性は否定できない。
 
 問題の部屋があったマンションは、平成19年6月に現在の九電社長が就任した直前に完成しており、その頃から最近まで記者への便宜供与が続いていたと見られる。現在は使用されていない。

口つぐむ関係者たち
 この件について取材に応じた関係者の口は一様に重く、極端な拒絶反応を示すケースもあった。暗黙のうちに緘口令が敷かれていた形だ。

 九電社長の自宅があるマンションを開発・分譲した「九州電工ホーム」(福岡市中央区)の担当者に、問題の来客用の部屋について契約状況を確認したところ、当初は「うちは九州電力に(問題の部屋を)お貸ししてますね。たしかそうだった」と明言。「もう解約したのではないか。そんな話が来てますね」としながら、記者が九電との契約を再確認したとたん「何かあるんですか。(九電に)貸したら悪いんですか」と態度を硬化させた。
 取材の目的を教えなければ話さないというので、九州電工ホームが所有する部屋の鍵を九電社長側が使い、部屋に人を通しているという事実は、九電側との間に賃貸借契約が存在するということでいいのかということ、つまり部屋の使用状況の確認だと説明したところ「どこに貸したかわかりません」と方向転換。
 前言を翻すということか、という問いには平然と「そう、そう、そう、そう」。問題の部屋に経済記者が訪れている事実まで説明したが、最終的には「ノーコメント」ということになった。

 九州電工ホームのホームページには、当該マンションについて「おかげさまで完売いたしました」と御礼が出ているが、登記簿上、取材を終えた3日の時点では問題の部屋は同社所有のまま。取材に対応した同社の社員も「所有はうち(九州電工ホーム)」と認めている。
 九州電工ホーム所有の部屋を九電社長側が使っていたということは、"貸した"、"借りた"ということにほかならない。

 マンションの管理人にも話を聞いたが、「○号館の△△△号室について」と聞き始めるやいなや「入居者が決まってからのことしかわからない。あそこは決まってない!」と取り付く島もない。鍵は九電社長側が持っているのではと尋ねるが、「知らない」として引っ込んでしまった。

 九州電力広報に、問題の部屋について、賃貸借の事実と、社長がマスコミ等の対応に使用していたことに間違いがないか確認を求めたが、「個別の契約に関する質問についてはお答えしておりません」との回答だった。
 賃貸借関係がなければ"借りていない"で済む話だが、「個別の契約」というところをみると、九州電工ホームが当初漏らしたように何らかの契約関係があると考えるのが普通だろう。
 
 いずれにしても、取材した関係者のすべてが、部屋の存在や使用実態が知られることを恐れているとしか思えない対応だ。

苦境の九電、助ける経済記者 
 関係者の態度を硬化させる背景には、原発をめぐって九電の置かれた微妙な状況が存在する。

 福島第一原子力発電所の事故によって、原発の「安全神話」が崩壊。九電が事業者である玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)と川内原子力発電所(鹿児島県薩摩川内市)の運転継続に疑問符がつく事態に陥っている。
 
 玄海原発で定期点検のため休止中の2号機、3号機の運転再開に関しては、公表された「安全性は大丈夫」だとする九電側の言い分に根拠が乏しく、地元佐賀県をはじめ一般社会からも信用されてはいない。川内原発3号機の増設問題も進展が見込めていない。

こうしたなか、玄海原発の運展再開をめぐって地元紙が、「原発は安全」とする九電独自の耐震性試算や、運転再開がなければ電力不足で深刻な影響が出るとする報道を連発。
 一連の記事は、まるで九電広報とみまがう内容で、九電と経済記者の関係に疑問を呈する声も上がっていた。
 HUNTERは今月2日、「西日本新聞への警鐘~九電広報となるなかれ~」と題する論評記事を掲載している。


取材のルール
 記者が取材対象と飲食をともにする場合、一方的な酒食の提供は断るのがルール。取材対象からの便宜供与を極力避けるのは常識で、取材を受ける側もそうしたことに配慮する。
 加えて、九電が地域独占の公益企業である以上、会社側も記者側も一定の節度を守る必要があったはずだ。
 しかし、今回明らかになった九電側による担当記者への対応は、一線を越えているうえ、報道への信頼を失わせる可能性さえはらんでいる。
 もちろん、読者の知る権利とは無縁の行いである。

メディア懐柔 
 こうしたケースでは、たいてい提供された酒食に見合う"お返し"をした、とする主張が出てくるのだが、これは詭弁に過ぎない。
 自宅とは違う別の1室に案内された瞬間に、部屋の所有者や借主について確認するべきだったし、なにより酒や肴を提供する相手が、自身(自社)にとって都合の悪い話などするわけがない。取材対象との向き合い方としては、不適切だったと言うしかない。
 百歩譲って"ネタ落ち"を避けたい、何か聞き出したいという心理をつかれ、拒否できなかった記者たちの立場も斟酌できなくもない。だが、そこで踏みとどまるかどうかで記者としての真価が問われるのではないだろうか。
 一方、記者側の弱みをついた九電側の便宜供与は、狡猾なメディア懐柔策の一環だったとしか思えない。

報道に与えた影響は?
 問題は、こうした関係が報道内容に影響を与え、間違った方向へ世論を導くことがなかったかという点だ。
 取材対象との距離、接待の有無を含めて、新聞各紙による検証が必要となることは言うまでもない。
 九電擁護ともとれる記事を書いてきた地元紙記者が、問題の部屋を知らなかったはずはないが・・・。

ハンターより