2012年8月11日、一週間のショート・ステイが終わってR号は帰っていった。そして、我が家は再び犬のいない生活に戻った。
私達夫婦が最初に飼ったのはシベリアン・ハスキー犬である。彼女の名前はマリー号。1995年のゴールデン・ウィークの初日にやってきた。とっても賢い犬で2時間ばかりでトイレを覚えた。迎えた次の日から寝室で共に寝た。半年後には、柴犬のみやび号(メス)が我が家へやって来た。翌年のゴールデン・ウィークにはゴールデン・レトリバー(メス)のひなの号も迎えた。彼女は、和室に設営した2畳のサークルで2、3週間を過ごした後に我が家の一員となった。マリー号は私のベッドで、ひなの号はベッド下で寝た。それが、彼女らのルールであった。
マリー号とひなの号を飼ってから私らの生活は一変した。各地で開かれる躾教室に出掛け、最寄りのドッグスクールにも10週程通った。公園での犬集会にも参加するようになった。当時は大型犬の全盛期だった。しかし、ブームが去って捨てられる犬もいた。その代表格がシベリアン・ハスキー犬であった。1997年の11月初旬、私はハスキー犬が山に捨てられていることを知って保護。さくら号と名付けた彼女は、体重が10キロ近く落ちていて食事も出来ない程度に衰えていた。リビングで添い寝して看病した結果、生き延びた。こうして、さくら号はリビングのソファーが定位置となった。マリー号が、この新入りの寝室への出入りを許可するまでに3年程度を要した。我が家のハスキーは序列を重視する犬種であった。
1999年7月15日の朝のことである。庭に出ていた妻が、「お父さん!大変!大変!小さな犬が・・・」とけたたましい声を張り上げた。見ると、シー・ズーの迷い犬がいた。相当期間、ウロウロしたらしく、腐った葉っぱなどが色々とこびりついている。こうして、我が家の一員に小型犬の健太号が加わった。ところで、ハスキーやゴールデンは、私の車が駐車場に入いるのを見定めて玄関に迎えに出た。しかし、健太号は夕方5時になると玄関で待ち始めたという。そして、じっとドアを見続けたとのこと。「シーズーは人を愛し、人に愛されるために存在する」との説を身をもって示した健太号だった。
2000年代前半の我が家の散歩は壮観だった。ハスキー犬2頭にゴールデン、それに柴犬。しんがりにノーリードのシー・ズー。計5頭を引き連れての散歩が日課となった。加えて、週末には他家のハスキー犬を散歩させなければならなかった。悲劇のJ号は、我が家から20キロ離れた村落の某家の体重30キロ超の大型のオスだった。散歩の際に棒で叩いて制御するという過ちを飼い主が犯した結果、J号は飼い主に牙を剥いた。まだ、2歳だった。怖れをなした飼い主は自宅近くの空き地に檻を作って彼を閉じ込めた。私が発見した時には7年が経過していた。散歩なしの長年の幽閉生活のストレスから、愛らしいハスキー犬は飼い主さえも近づけない獰猛な狼犬に変身していた。私は、牙を剥いて激しく威嚇するJ号に首輪を嵌めてリードを掛けた。J号は脱兎の如く檻を飛び出した。以後、J号は私を待つようになった。私の4駆が空き地に向かう橋を渡るとJ号は「オーン!オーン!」と大音量で鳴き跳びはねて全身で喜びを表した。数年後、J号に死期が迫った。もはや数mしか歩けなくなったJ号との最後の散歩。そこに、飼い主が通りがかった。余りの弱りように思わず近づいた。J号は、最後の力を振り絞って飼い主に牙を剥いた。2日後の朝、妻が冷たくなったJ号を発見した。
2003年09月11日 J号(シベリアン・ハスキー)没
2004年02月11日 マリー号(シベリアン・ハスキー)没
2005年09月06日 健太号(シー・ズー)没
2006年03月20日 シロ(MIX)没
2006年07月04日 みやび号(柴犬)没
2007年06月26日 さくら号(シベリアン・ハスキー)没
2009年09月22日 桃太郎号(M・シュナウザー)没
2010年02月09日 ひなの号(ゴールデン・レトリバー)没
犬の命は短い。2003年1月には初代ハスキー犬のマリー号のお腹に3ミリ程の赤い斑点を発見。悪性腫瘍だった。同時に、糖尿病も発症した。手術を乗り越えた初代ハスキーは、100単位のインスリンを月に20本以上打ち続けた。寝たきりになってからは和室が病室と化した。点滴を付けて横たわるマリー号の部屋にはゴールデンも2代目ハスキー、それに健太号も立ち入らなかった。彼らは、私らの寝室で終日を静かに過ごしてくれた。「奇跡を!」との願いもむなしく2004年2月11日にマリー号は永眠した。それからの4年は、我が家の犬達の旅立ちの季節だった。2005年の9月にはシー・ズーの健太号が極度の貧血で僅か一週間で逝った。2006年の初夏、散歩に出掛けた柴犬のみやび号がクルクルと回って倒れ込んで寝たきりになった。56日後に息を引き取った。2006年の暮れには、二代目ハスキーが甲状腺癌を患って摘出手術。術後ヘルニアを患い徐々に寝たきりに。翌2007年6月26日、眠るように生涯を閉じた。
逝く犬もいれば迎える犬もいる。2007年の4月16日の朝、妻は車に乗せられる仔犬を目撃。「今から保健所へ持ち込む」ということだった。4ヶ月になったばかりのM・シュナウザーのオスだった。私らは、彼を桃太郎と名付けた。6週程、ドッグスクールに通って訓練した。物覚えの良い賢い子だった。2009年9月21日午前3時にフードを戻した。同日に動物病院に緊急入院。翌日、私らは彼が死亡したとの連絡を受けた。こうして、我が家にのゴールデン・レトリバーのひなの号だけが残った。
2010年11月、ひなの号は12歳と10ヶ月になった。散歩の様子から、私らは彼女の死期が近いことを感じていた。主治医に健康診断してもらったが、目立った異常はなかった。が、1月末には寝込むようになり2月9日の昼前に静かに息を引き取った。
毎朝、線香をあげる犬の骨壷は計8頭のそれ。その中には、J号のもある。また、保護に失敗して死なせた野良犬シロ号のもある。合掌しつつ、「アンジー号を応援してね!」と頼む。「R号も応援してね!」と頼む。それは、R号も去って犬のいない生活に戻った私らの日課である。
>アンジー号を応援してね!
>R号も応援してね!
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