南北17Km、東西14Km。車ならば一時間で一周できる小さな島。それが、壱岐の島である。私が生まれた村落は、町からも港からも離れた山の中にある。島の村々は、大体が山中のあちこちに数戸づつ固まって散在している。「固まっている」とは言っても、隣家との距離は100mから500m。だから、梟の啼く夜に屋外に出ると暗くて怖い。
我が壱岐の村落を構成するのは、僅かに7戸。その内の2戸は廃屋になって久しい。そして、ついに我が生家も無人家屋の仲間入りを果たした。残りの4戸の内の3戸が独り住まいだから、寂しい限りだ。父が死に、母が我が家へ。ついに二人住まいは一戸のみとなった。「村落崩壊」ーこれが、壱岐の島に散在する村落を襲っている危機だ。
今は、5人の老人が家屋敷と墓を守るために暮らしているだけの限界集落。そのように人影もまばらな集落だが、私が小学生だった頃には40人近くが忙しく暮らしていた。牛や羊、鶏もいた。兎もいた。秋祭りの神輿も回ってきた。年に一度はどんちゃん騒ぎの酒盛りも行われた。そこには、貧しさと幸せとが同居していた。それもこれも今は昔である。「村落も人も無に帰すのみ」ーこれは、宇宙の第二法則である。その法則に支配されつつも、残った誰もが今をそれなりに生きている。
今年の4月に長兄の父が89歳と11ヶ月で旅立った。父の弟と妹二人は元気ではあるが、連れ合いに先立たれて独居老人になって久しい。84歳、86歳、88歳といずれ劣らぬ高齢者。しかし、朝早くから颯爽と車を飛ばしてやって来る。壱岐、それは高齢者が車でぶっ飛ぶ島だった。宇宙の第二法則への抵抗を続ける超高齢者のレジスタンスが展開されている島だった。引き籠もりとは無縁な老人たち。昨日も、今日も、明日も、生きることに忙しい老人たちがいる島。それが、壱岐の島だった。
>とにかく、今年は多い。
>30分間隔です。
お寺の和尚さんと初盆の開始時間を再打合せ。理由は、初盆の混雑。私の記憶が確かであれば、壱岐の人口は4、50代と7、80代が多く、「団塊の世代」は比較的に少ない。そして、今、「団塊の世代」の親がお寺の世話になっている真っ最中。今しばらくは初盆ラッシュが続くのかも知れない。壱岐、それは初盆ラッシュの島でもあった。
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