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●【飛火野】●烽火(のろし)台が置かれた。●旗振り通信

2012年10月16日 10時27分47秒 | 色んな情報
●【飛火野】●烽火(のろし)台が置かれた。●旗振り通信
★とぶひ‐の【飛火野】
奈良市、春日山のふもと、春日野の一部。また、春日野の別名。元明天皇のころに烽火(のろし)台が置かれた。
★とび‐ひ【飛(び)火】
[名](スル)
1 火の粉が飛び散ること。また、その火の粉。
2 火事のとき、火の粉が飛んで離れた場所に燃えうつること。また、燃えうつったその火。「風下に―する」
3 事件の影響などが、無関係と思われるようなところにまで広がること。「汚職事件が各方面に―する」
4 小児に多い伝染性の皮膚病。ぶどう球菌や連鎖球菌などの化膿(かのう)菌によって感染する。伝染性膿痂疹(のうかしん)。
★とぶひ‐の【飛火野】
奈良市、春日山のふもと、春日野の一部。また、春日野の別名。元明天皇のころに烽火(のろし)台が置かれた。

★日野(市)    http://p.tl/vYk7
... 昔は飛火野(とぶひの)とよばれ飛火(のろし)をあげるに適していたことから名がつき、火野から日野になったという。 ... 先祖を祀(まつ)った日野宮(ひのみや)神社が地名の由来ともいう。 ...

★春日(かすが、はるひ、はるび、しゅんじつ)  http://p.tl/4_us
・掛詞のひとつ。もとは「はるひ」と読み霞にかかるとされる。後に「滓鹿(かすが)」または「霞処(かずみが)」との掛詞によって、「かすが」と読まれるようになったと言われている。
★掛詞(かけことば)とは、和歌などにおける修辞技法の一つ。http://p.tl/iaFW
和歌は韻文として、その表現の仕方に色々な工夫すなわち修辞が古くより凝らされてきた。掛詞もその工夫のひとつである。
   あきののに ひとまつむしの こゑすなり われかとききて いざとぶらはん(『古今和歌集』巻第四・秋歌上 よみ人しらず)
秋の野に、尋ねてくれる人を待っていると松虫の声がするように聞える。そこでその待ち人とはこの私だというつもりで、そこに行ってみようという趣旨の和歌であるが、この和歌の第二句にある「まつ」というのが掛詞になっている。つまり、
   あきののにひとまつ→まつむしのこゑすなり…
というように、本来なら「人待つ松虫」というところを縮めて表現している。掛詞とは「待つ」と「松」で見られるように、意味は違うが同じ仮名で表記することばをひとつにしたものである。
★季語(きご)  http://p.tl/iMZO
連歌、俳諧、俳句において用いられる特定の季節を表す言葉を言う。「雪」(冬)、「月」(秋)、「花」(春)などのもの。流派、結社によっては、題詠の題としたり、一句の主題となっている言葉を「季題」(きだい)と言い、単に季節を表すだけの「季語」と区別することもあるが、両者の境は曖昧であり互いを同義に用いることも多い[1](詳細は後述)。「季語」「季題」いずれも近代以降に成立した言い方であり、古くは「季の詞(きのことば)」「季の題」「四季の詞」あるいは単に「季(き)」「季節」などと呼ばれた。

★のろし【狼=煙/烽=火】
1 合図や警報のために、薪(たきぎ)・火薬などを用いて高くあげる煙。とぶひ。ろうえん。
2 一つの大きな動きのきっかけとなるような、目立った行動。「改革の―が上がる」
★狼煙(のろし)   http://p.tl/rRG4
物を焼くことで煙を上げ、それを離れたところから確認することによって、情報を伝達する手段である。夜間など煙が見えない場合は、火そのものも使われる。烽火、狼火、狼燧とも言う。

★烽火(のろし)   http://p.tl/T__8
★天山の烽火場(ほうかじょう) http://p.tl/Ny5l
★クズルガハ烽火台【クズルガハのろしだい】世界の観光地名がわかる事典
中国の新疆(しんきょう)ウイグル自治区、クチャ(庫車)の北西約10km、塩水溝の東にある同自治区最大の烽火台跡。荒涼とした岩石の砂漠の中に忽然と建っていて、クチャの代表的な観光スポットの一つになっている。この烽火台は今から約2000年前の前漢時代に外敵の侵入をいち早く知らせるためにつくられたもので、烽火台の遺跡としてはシルクロード北道最古である。当時は、このような烽火台が等間隔に設けられていたが、現存するのは、この一基のみである。高さ13mの塔で、上部には物見やぐらがある。よい保存状態で今に伝わったことから、同自治区の重要文化財になっている。近くにはクズルガハ千仏洞がある。

★狼煙・狼烟・烽火【のろし】
1. 敵襲などの変事の急報のために,高く上げる煙や火。古くは草や薪を燃やし,後には,火薬を用いた花火のようなものもあった。 「-があがる」 〔中国で,狼の糞(ふん)を加えると煙が直上するといわれた〕
2. 合図。信号。 「新時代の到来を告げる-」
[句] → 狼煙を上げる

★褒似(ほうじ)の烽火(のろし)   http://p.tl/-fxW
★烽火山【のろしやま】         http://p.tl/IqAG
★明治時代地形図の「烽火山番所道」  http://p.tl/OgOn

★のろし0 【〈狼煙〉・〈狼烟〉・〈烽火〉】
[1] 敵襲などの変事の急報のために、高く上げる煙や火。古くは草や薪を燃し、後には、火薬を用いた花火のようなものもあった。
―があがる
〔補説〕 中国で、狼の糞(ふん)を加えると煙が直上するといわれた
[2] 合図。信号。
新時代の到来を告げる―
→(句)狼煙(のろし)をあ・げる

★烽火山十景の「龜石」は、山頂の南畝石すぐ近くにあった  http://p.tl/phJE

★旗振り通信(はたふりつうしん)   http://p.tl/ULr3
江戸時代中期から明治期にかけての日本で、米相場など[† 1]の情報を伝えるために活用されていた、旗などを用いた通信システム(大型手旗信号の一種)である。気色見(けしきみ)、米相場早移(こめそうばはやうつし)、遠見(とおみ)ともいう。
旗振り通信は江戸時代中期、全国の米価の基準であった大坂の米相場をいち早く他の地域に伝達するため、さらに地方の相場を大坂に伝えるために考案された[2]。起源は紀伊国屋文左衛門が江戸で米相場を伝達するために色のついた旗を用いたことにあるといわれており[3]、旗振り通信が初めて登場した文献は1743年(寛保3年)の戯曲『大門口鎧襲』とされている。

従来米相場の伝達には飛脚(米飛脚)・挙手信号・狼煙などが利用されており、江戸幕府は米飛脚を保護するため旗振り通信禁止の触れ書きを出した。ただし禁止令は摂津国、河内国、播磨国の3国に対してのみ言い渡されたものであったため、堂島から飛脚を住吉街道を通って和泉国松屋新田まで走らせ、そこから大和国十三峠、山城国乙訓郡大原野(小塩山)、比叡山、大津へ抜けるルートを使って情報伝達が行われた。

1865年(慶応元年9月)、イギリス・フランス・オランダの軍艦が兵庫沖に現れた際に旗振り通信によって速報がされたのをきっかけに禁止令は解かれた。以降旗振り通信は盛んに行われ、明治には政府公認の仕事となり、相場師、めがね屋などと呼ばれた。

1893年(明治26年)3月に大阪に電話が開通すると次第に電話にとって代わられ[† 2]、1918年(大正7年)に完全に廃れた。
昼間は旗、夜間は松明(松明を用いる方法を「火振り」という)や提灯(都市近郊)が用いられた]。旗の色は基本的に、背後に障害物がある場合は白、ない場合は黒であった。伊勢・伊賀では赤い旗も用いられていた。旗の視認には望遠鏡や双眼鏡が用いられた。旗の大きさは晴天時は横60cm×縦105cmまたは横100cm×縦150cm(小旗)、曇天時は横90cm×縦170cmまたは横120cm×縦200cmのもの(大旗)が用いられた。大旗については180cm×180cmのものを用いたという証言もある。旗の竿は長さ240cmないし300cmほどであった。

★有線通信   http://p.tl/J0s6
江戸時代、幕府は馬に代わって飛脚制度を設けた。各宿駅間を人間が昼夜兼行で走り 、幕府の公文書を運んだ。 ・視覚による伝達 元禄時代、大阪の米相場をいち早く江戸に 伝えるために、手旗信号を使った視覚信号ルートが民間で行われたが、幕府により禁止 ...

★江戸時代、大阪の米相場は短時間で全国に伝えられた。どうやって 江戸時代の経済は米を中心にまわっていたので、全国の商人は大阪・堂島の米相場
の情報を一刻も早く手に入れる必要があった。そこで考えられたのが、望遠鏡を
使って信号を次々に伝えるやり方。記録によると岡山に15分、広島には1時間弱
で伝えられた。取引所にやぐらを組み手旗信号で、望遠鏡で見ている中継地に情報
を送り、さらに中継地から中継地へと伝達していった。

★『江戸時代、米相場を全国に伝えるのに使った必殺技』 http://amba.to/ODgGtI
★旗振り通信ものがたり   http://p.tl/CyRh
★大坂の堂島米市場跡だよ 【ファイルT167】2012.02.02  - アトモス部屋 - Yahoo!ブログ http://p.tl/A2cs
★東京穀物商品取引所が3月にコメ先物上場を申請。 米先物は戦前にあった    http://p.tl/x0z1
★三上山/妙光寺山/田中山/旗振山   http://p.tl/FN1s

★古代から続く、文化・経済の中心地 玉名   http://p.tl/5cY4

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