お正月に、NHKで『二つの遷宮 伊勢と出雲のミステリー』を見ました。
http://diamond.jp/articles/-/47553
そこで一番衝撃を受けたのは「歴史は変わる」「歴史は作られる」ということ。2つの遷宮とは、伊勢神宮と出雲大社のそれなのですが、まずは出雲大社のナゾから。
現存する出雲大社本殿の高さは、24.2m(8丈)です。大国主命(オオクニヌシノミコト)を祭る本殿は入母屋の、いわゆる「大社造り」のどっしりした姿で、神社としては日本で最高(高さが高い)です。
ただ、木造寺社でいえば、奈良の大仏さま(盧舎那仏)を納める東大寺大仏殿(金堂)が、現在48m、創建当時
45m(15丈)でそれをはるかかに凌ぎます。
ところが出雲大社については、不思議な伝承が古来からいくつもありました。
・平安時代の『口遊(くちずさみ、*1)』には「雲太、和二、京三(うんた、わに、きょうさん、*2)」とあり大仏殿より出雲大社のほうが高いとされている。
・数年から数十年に1回、倒壊をくり返していたとの記録(*3)が残っている。
・平安時代の図面「金輪造営図(かんなわぞうえいず、*4)」では、本殿は巨木を3本まとめた直径3m柱で支えられ、階段の長さは109mとなっている。
なんと昔、出雲大社本殿は巨柱に支えられて今の倍も高かったというのです。確かに、出雲大社の社伝でも、中古には本殿の高さは16丈(約48m)もあったとされています。つまりこんな感じです(大仏殿は当時、高さ45m)。
当然みな、半信半疑でした。「こんなの建つわけない」。
*1 970年に文人 源為憲が貴族の子弟向けに書いた教科書。乾象、時節、官職、人倫、禽獣など19部門に分け暗唱できるようにまとめてある。暗算の仕方である「九九」が載っていることで有名。
*2 出雲太郎、大和二郎、京の三郎。各々、出雲大社本殿、東大寺大仏殿、平安京大極殿のこと。
*3 平安中期から鎌倉時代初めまでの200年間に7度も倒壊している。
*4 出雲大社の宮司である出雲國造家(千家)に伝わるもので、平安期の本殿の指図(設計図)の1つとされる。
しかし1989年に大林組が、現代土木・建築学の観点からその可能性を探りました。結論は「可能」でした。
大林組のプロジェクトチームは、高さ16丈としたときの、柱の強度、地盤の強度、耐風性・耐震性、などを調べ上げ、復元シミュレーションを試みました。
結果、構造的には当時の技術で十分可能であり、倒壊の原因は本体ではなく、地盤の弱いところに建てられた109m階段の歪みによるものではないか、となりました。
これらの結果は大いに注目されましたが、所詮「シミュレーション上の話」、でもありました。
2000年、16丈出雲大社が現実となった
ところが12年後、それらが「現実」となります。
およそ60年に一度の「平成の大遷宮(本殿の大改修)」開始を数年後に控えた2000年、地下祭礼準備室を造るために出雲大社の敷地を掘り返していたら、巨大な3本柱が見つかったのです。伝承そのままの形・大きさでした。
いや、本当にあの「金輪造営図」が正しいなら、数m先にもほぼ同じモノがあるはずです。
まさかと思いながら掘ってみたら、ありました。大社造りの9本柱のうち、最も重要な「心の御柱」、本殿の棟を支える「宇豆柱(うずばしら)」、「側柱(がわばしら)」の3本が、図面通りきれいに並んで発掘されたのです。
年代測定などにより、これら巨柱群は平安時代末から鎌倉時代初め頃に造営された神殿のものとわかりました。
「伝承」は、「シミュレーション上の可能性」から、ついに「現実」へとなったのです。でも「なぜ」「誰が」こんな稀有な建築を造り始めたのかは、謎のままでした