死を考えることは「どのような自分であれば肯定してを受け入れて」生きていく(死んでいく)ことができるのかという問いと同じ気がする。
死んだひとびとが肯定できる生を生ききれずに死んでいったというとき、その無念さはわたしに無言に語りかけてくるのではないか、そう気づいたとしても、どのようにそのかすかな声をききとればいいのか。その方法はあるのか。
どこか重たいような気がして避けてきたことです。原爆の死も、戦争における死もましてやアウシュビッツの死もわたしは具体的に「知らない」、イラクやアフガンで死んだ人々の死も「知らない」。身近な死以外のさまざまな死も「知らない」。どこかで近づいたり、忘れたり、離れていくものとして心の距離感がうまく取れない。「余命なき若き花嫁」のドキュメントのビデオを撮ったまま見ることができない。
「なんてかわいそう」そう思う。でもそう思いつつ、ほんとうにその死を受け入れ、あるときは告発できる死のイメージをわたしは持っているのか。引き寄すぎたり、ひと事になってわすれてしまうかたちでしか近寄っていないのではないか。
最期のことばを聞き取るようにそばでほんとうに看取ったことはあるのか。それさえも避けているのではないか。それも知らずに、考えることもなく、さまざまな生をさえぎって死をもたらすものや国家の悪、戦争を告発できるのか。
おまえの「かわいそう」は正義と銘打った戦争ともなれば、すぐOKをだすほどの楽天性をもっているのではないか。そこで死にゆく人びとのイメージから、反撃できるのか。
死はずっと前、霧に隠れて見ることも、感じることもなかった。霧の薄れるとき、それをふと気づくこともあるようになった。でも霧は不安をかき消すようにまた目の前を覆っていった。霧の向こうにそれがあることを感じるようになった。しかし、その距離感は不断の霧にさえぎられて距離と位置がまだわからないものとしてある。それは実はそれをとらえようとする生きている「わたしの位置も場所も」霧のなかにあって生きている今をとらえられていないとおなじことではないにか。そう思ってしまう。
わたしが死に近づいたとき、そこにいてほしい身近な人だけに会いたいと思うだろう。わたしは手を握っていてほしいと思う。
わたしの身体はゆるやかに潤いをなくし弛緩していく。身体があるという感覚が失われるにつれ、痛みや不快の感覚がが遠のき、「ここに手があり、足があり、ここにわたしがいる」という「生の時間と空間の統覚の感覚」がなくなっていく。
が、ここで不思議なことが起こる。事故にあい、手足を失ったひとが事故後いつまでも、そこに手足がないにもかかわらず、「指先に痛みを感じる」というように、「意識のなかでは身体は完全に健康で元気である」という「幻肢の感覚」が消えないように、「身体の桎梏から開放された」意識は自由と健康を獲得する。
その意識のなかでは「身体に制約された今という時間、ここという空間がら解き放たれ時間空間は無制約になる」その意識のなかでは「過去は現在と混じりあい、空間的距離は取り除かれる」それは夢の中での出会いと同じになる。だれにもどこでも会える。
そして違いはただもうわたしは目覚めることがないということだ。
想像している今現在の死にゆく意識の普遍性を素描してみました。ときどき変なこと考えてます。でもわたしには生きていくことを考える上で必要な気がしきりにしているのです。まーでも、ほんとに死ぬときは思わず死んでるでしょう。生きてるうちは生きましょう。
今日はひとにも自分にもあまりいわないつぶやきを書いてしまいました。
また書くかも知れませんので、そのときはご容赦を。
死んだひとびとが肯定できる生を生ききれずに死んでいったというとき、その無念さはわたしに無言に語りかけてくるのではないか、そう気づいたとしても、どのようにそのかすかな声をききとればいいのか。その方法はあるのか。
どこか重たいような気がして避けてきたことです。原爆の死も、戦争における死もましてやアウシュビッツの死もわたしは具体的に「知らない」、イラクやアフガンで死んだ人々の死も「知らない」。身近な死以外のさまざまな死も「知らない」。どこかで近づいたり、忘れたり、離れていくものとして心の距離感がうまく取れない。「余命なき若き花嫁」のドキュメントのビデオを撮ったまま見ることができない。
「なんてかわいそう」そう思う。でもそう思いつつ、ほんとうにその死を受け入れ、あるときは告発できる死のイメージをわたしは持っているのか。引き寄すぎたり、ひと事になってわすれてしまうかたちでしか近寄っていないのではないか。
最期のことばを聞き取るようにそばでほんとうに看取ったことはあるのか。それさえも避けているのではないか。それも知らずに、考えることもなく、さまざまな生をさえぎって死をもたらすものや国家の悪、戦争を告発できるのか。
おまえの「かわいそう」は正義と銘打った戦争ともなれば、すぐOKをだすほどの楽天性をもっているのではないか。そこで死にゆく人びとのイメージから、反撃できるのか。
死はずっと前、霧に隠れて見ることも、感じることもなかった。霧の薄れるとき、それをふと気づくこともあるようになった。でも霧は不安をかき消すようにまた目の前を覆っていった。霧の向こうにそれがあることを感じるようになった。しかし、その距離感は不断の霧にさえぎられて距離と位置がまだわからないものとしてある。それは実はそれをとらえようとする生きている「わたしの位置も場所も」霧のなかにあって生きている今をとらえられていないとおなじことではないにか。そう思ってしまう。
わたしが死に近づいたとき、そこにいてほしい身近な人だけに会いたいと思うだろう。わたしは手を握っていてほしいと思う。
わたしの身体はゆるやかに潤いをなくし弛緩していく。身体があるという感覚が失われるにつれ、痛みや不快の感覚がが遠のき、「ここに手があり、足があり、ここにわたしがいる」という「生の時間と空間の統覚の感覚」がなくなっていく。
が、ここで不思議なことが起こる。事故にあい、手足を失ったひとが事故後いつまでも、そこに手足がないにもかかわらず、「指先に痛みを感じる」というように、「意識のなかでは身体は完全に健康で元気である」という「幻肢の感覚」が消えないように、「身体の桎梏から開放された」意識は自由と健康を獲得する。
その意識のなかでは「身体に制約された今という時間、ここという空間がら解き放たれ時間空間は無制約になる」その意識のなかでは「過去は現在と混じりあい、空間的距離は取り除かれる」それは夢の中での出会いと同じになる。だれにもどこでも会える。
そして違いはただもうわたしは目覚めることがないということだ。
想像している今現在の死にゆく意識の普遍性を素描してみました。ときどき変なこと考えてます。でもわたしには生きていくことを考える上で必要な気がしきりにしているのです。まーでも、ほんとに死ぬときは思わず死んでるでしょう。生きてるうちは生きましょう。
今日はひとにも自分にもあまりいわないつぶやきを書いてしまいました。
また書くかも知れませんので、そのときはご容赦を。