気まぐれ人間の気まま情報新聞

どこかにいる、もう一人の自分のようなみんなへの、ひとりごとのような、語りかけのような、あいまいな発信基地不明の新聞です。

リハビリ、そのものが生きることだ、という考え

2009-02-08 21:35:15 | Weblog
綾戸智絵がコマーシャルで障害がある母親らしきひとと共演し、さらっとあの猛烈な元気さで「リハビリは生きることよ」っていう場面がありました。えっと思いました。それは障害やリハビリは特別のものではない、生きていく過程に起こりうる自然なことでしかないという考えのように聞こえました。そしてそこから出発してリハビリするのは、そのものが元気に生きていることと何の変わりもない生きることよというメッセージに聞こえました。

NHKで脳出血でマヒ障害になったキャスターが、リハビリ番組を主催していました。日本の昆虫の世界的写真家が脳出血で身体不随になり、「写真家は死にました」と挨拶状を出し生きる気力をなくしていました。でもリハビリをするなか、散歩の途中、リハビリで花の咲く場所に案内され、写真のことを思い出さされます。その後彼は昆虫のいる場所に変え、身体の動く場所での写真を撮りはじめます。「身体が不自由でもそのなかでできることがある」それが彼の今の生きる気力、迫力になっているといっていました。

わたしは老年であることが実はリハビリ対象であると年とともに感じ始めています。それは突然来るかもしれないし、影のようにかもしれないが、しかも確実に近づいてきます。

それは受け入れます。しかし、同時に受け入れたくありません。若者のように戻れないことは残念ですが、そのまま受け入れるのではなく、できる範囲で抵抗したいと思います。それはリハビリと同じ考えです。それは生きていく限り当然のことのような気がします。

そして抵抗はそれなりに効果を出していることを感じています。わたしはテニスが好きでしたが、股関節の痛みで1年間無理でした。でも痛み治療や太りすぎの体重を落としたり、カルシウムを取ったりしたのがいいのか、今は1週間に1回のテニススクールに通い、不思議ですがだんだん早く動けるようになってきています。続けていくとほったらかしより、回復していくことができるのです。

心が絶望してリハビリをあきらめても、身体は期待して待っていることがあるのです。だから、リハビリは生きていこうとする意志と同じであり、その意志は生きることと同義な気がします。

でも、予期せぬことはこれからもあるかもしれませんが、死なない限り、そこからできることはしていく以外にないだろうと思います。





中国の民主化運動についての感想(2)

2009-02-08 09:16:07 | Weblog
以前に中国のテレビ放送が国家放送ののみであり、情報が統制されていると書きました。しかし、インターネットは広く普及しています。そこでは情報の統制は完全にできない可能性があります。今回の憲章がネット上で公開されたことはわたしには言論の自由の推進の上で重要であり、ひとつの力となっていく気がします。

また、本来北京オリンピック前の発表を考えていたのは情報統制が不可能なのを見込み、しかも世界中の情報が北京に向いている時を利用し、中国の閉鎖性と国民の意志を世界にアピールしたかったのではないかと思います。

この時期の発表になったのは四川省の大地震の人災的問題の隠蔽、チベットの宗教弾圧また、北京オリンピックで見た他国の開放状況の実感にも危機感を抱いた関係もあると思います。

今回の「憲章」の書き方は実に理路整然としています。ちなみに「憲章」とは今回の場合、国家・国民がよって立つ大前提の理念といえると思います。
その全体は概略下記のとおりです。これは共産党の一党独裁にによる権力と腐敗に対する根本的な異議がこめられている気がします。

1.前書きで長い歴史のあとの現状を分析し、2.で現状を打破すべき、到達されるべき「基本的理念」を明確に述べ、3.でそれに基づく具体的な「基本的主張」を延べ、4.で「結語」として概略次のように結んでいます。

4.の(概要):中国が国連安全保障理事国の5常任理事国のなかでただ中国だけが「いまだに権威主義政治のなかにいる。またそのために絶え間なく人権災害と社会危機が発生しており、中華民族の発展を縛り、人類文明の進歩を制約している。このような局面は絶対に改めねばならない!政治の民主改革はもうあとには延ばせない」

「そこで、我々は実行の勇気という市民的精神に基づき、08「憲章」を発表する。我々はすべての危機感・責任感・使命感を共有する中国国民が、朝野(公と民)の別なく、身分に関わらず、小異を残して大同につき、積極的に市民運動に参加し、共に中国社会の偉大な変革を推進し、できるだけ早く自由・民主・憲政の国家を作り上げ、先人が百年以上の間根気よく追求し続けてきた夢を共に実現することを希望する」と結んでいます。

2.の基本的理念は次のいくつかの理念の世界普遍性を述べています。
①自由②人権③平等④共和⑤民主⑥憲政

①の自由には自由は普遍的価値であるとして「言論・出版・信仰・集会・結社・移動・ストライキ・デモ行進等」をあげ、「自由が盛んでなければ、現代文明とはいえない」といっています。「④の共和とは「皆がともに治め、平和的に共存する」とされています。また⑥の憲政は「法律と法に基づく統治により憲法が定めた国民の基本的自由と権利を保障する原則」とされています。

3.の「基本的主張」については2.の理念に反している状況に対する改善要求が書かれています。これは前回掲載の文章読んでください。かなり具体的提言です。


わたしは今回の記名して起案したひとびとや共鳴したひとびとが弾圧されることなく、時代を画するひとびととして記憶されるように遇されることを強く望みます。

それは今にいたっても全世界の希望でもあると思うからです。