気まぐれ人間の気まま情報新聞

どこかにいる、もう一人の自分のようなみんなへの、ひとりごとのような、語りかけのような、あいまいな発信基地不明の新聞です。

どこかおくれている、自信がないとかいう気持ちがいつもある。

2009-11-23 22:45:32 | Weblog
別にだれかという具体的な誰かというのはないのですが、なんか「普通」と比べると気づくのが遅いとか、あーはじめてわかったということが多い気がします。どこか遅れて追いついていっている感じですか。もう歳なのにね。
本を読むことの中には自信をつけたい、知らないこと知りたいという気持ちがいつもある気がします。どこか遠い昔乳児のころにおびえたことでもあるのかも知れない気がします。

猫を好きですが、生まれたばかりに親に捨てられた子猫はその不安と恐怖で、身を一生硬くすることがあります。一度友人の家に行ったとき、飼い猫が飼い主以外に寄り付かず、ずっと暗闇の押入れから出てこないことがあって、ふーんやっぱりあるんだと思いました。猫が逆毛立つ時は恐怖と敵対心でいっぱいです。人間は笑ってみますが、あれはことばどおり「必死」なのですね。笑い事ではないのです、当人は。

その猫が親になってもまた子供にもその不安が写ることがあるみたいです。直るのに2代くらいかかるという話もあります。

わたしの親はそんなことはありませんでしたが、戦後母もなれない土地で、おやじの商売もたいへんで、いらいら大変だった気がします。生まれて半年後のどこか甘えたのわたしがみたされなかったかもしれないのがあったのかも知れません。

でも今思っているのは、自分の思っている自信のあるなりたい自分にできるだけ近づきたいと思っています。気づいたあとはわたしの責任です。誰にも転嫁できません。

根っからの怠惰とやる気のなさですが、ときどき反省してがんばって生きたいです。

社会の影の向こうに投身してゆく人々。自殺者3万人の国、日本

2009-11-14 02:30:24 | Weblog
家族の団欒も、友人の笑顔も、会社の仕事も急に遠景のように遠のいていく。すべてから切離された無音の場所に取り残される。もう自然の色も雑踏の騒音もはいってこない。
幼児のときの故郷の青空も見えなくなる。自分はだれの役にもたたない意味のない存在だ。生きていても意味がない。未来はもうやってこない、これを打ち破る手立てももうない。誰にも望まれない自分はもういないほうがいい。自分は弱かったのだ。生きていても迷惑をかけるだけだ。誰にももう頼れない。
そのようにして最期に自死はやってくるのか。資質の問題もあるだろうし、いろんな経過はあるだろうけれど、自分の生を自己否定することは確かだ。

派遣切れの30代の若者が言っていた。なんとか自分で職を見つけて自立してと思っていたけれど、ホームレス状態でギリギリまできていた。自分がだめなせいでこうなったとおもっていて、自分からすぐ"助けて"とはいえなかった。自負心もあった。だから、はじめ相談にのるからといわれても相談しなかった。でももうぎりぎりダメだと思ったところで、相談にのってもらった。彼はおかげで住まいを得て、今はホームヘルパーの資格が取れて元気そうだったが、相談しなかったら年を越せなかったと思うといっていた。

姜 尚中は自殺について書いたなかで、自殺した人はその直前になんらかの相談をもちかけているという。彼らの相談がいろんな思いが切迫していて、うまく表現できないためにギ リギリの相談と思えなかったのか、それとも聞くほうがそこまでの切迫感を読み取れなかったのかわからない。でもそれからまもなく彼らは自死しているのだ。
なぜ彼の無言の表出されないことばに気づけなかったのか。残されたものにいつまでも残る悔恨と問い。それは自死に身近な人にいつまでも付きまとうものだ。なぜ、あのとき。

派遣切りにあった人々の多くが、切った相手を責めるより、自分がわるかったからこうなったとでも言うように受け入れているのをテレビで見てビックリしたことがある。きっとこうなったのも自分のふがいなさのせいだと思って、周りに迷惑かけないようなんとかしていこうと思っていたのだろう。でも、そのとき再就職は最悪の時期になっていた。やさしい人たちは最後までなんとかしようとしていたのだろうが・・・・

自死は1998年のバブル崩壊後の不況からずっと3万人をこえているという。男女比は女性8千人から9千人残りは男性で2万人超。30万人の市であれば、10年で市は消滅する。
NPO法人ライフリンク調べでは
10万人に対する自殺率は2000年ベースでロシアの39.4人についで24.1人で世界第2位。フランス18.4人ドイツ13.5人、アメリカの10.4人でかなり高い。ロシアの高さはよくわかりません。共産主義崩壊による資本主義的労働形態への不適応の影響があるかもしれません。
県別では平静17年で率では秋田、青森、新潟、富山、高知、長崎、宮崎が高く、総数では東京がやはり多いようです。
年齢別では17年下記です。
60代以上  男性7060人、 女性3834人  合計10894人
50~59歳  男性6016人  女性1570人  合計7586人
40~49歳  男性4120人  女性1088人  合計5208人
30~39歳  男性3389人  女性1217人  合計4606人
20~29歳  男性2357人  女性1962人  合計4319人
19歳以下 合計約850人         総合計33463人
自殺の理由としては下記です。
健康問題    4145人  勤務問題  654人
経済・生活問題 3255人  男女問題  317人
家庭問題    1011人  学校問題  71人
勤務問題    654人 その他および不詳 約900人
※ 20代から50代の自殺の第一原因は「経済・生活問題」がいちばん多いとのこと。ただその割合記載なし。
※ 「遺書がある自殺」のうち約3割は「経済・生活問題」とのこと。全体数は記載なし。

上記の自殺の理由には欝病の記載がありませんが、自殺の理由を契機(きっかけ)としての理由と考えれば、おそらく死に向かう全体に関わるかもしれません。ただ鬱病については何度か書いていますが、現代病として別途取り上げる重要性があると思います。

爆笑問題の太田総理という番組の最近の放映で長嶋一茂が自分の鬱病を素直に告白していて親近感を持ちました。
彼の場合、母の死がきっかけでパニック障害になり、その後鬱病になったといっています。
鬱病の予兆症状は下記のようだといっています。
・物事を決めるのに非常に時間がかかる。
・記憶力や集中力が低下する。
・寝不足で疲れているのに毎朝早く目がさめるようになる 自然の身体も異    変が起きる
・食欲がなくなる、体重が減る、疲れやすくなる、身体のあちこち痛くなる。

パニック障害やほかにもいろいろ契機はあると思うのですが、共通するのは、これまでに経験したことのない動揺するはじめての心的経験でどうしたらいいか混乱するといった不安で切迫した状態になることだと思います。仕事上の失敗、過労・睡眠不足、今回のようなリストラ、結婚、出産・育児、介護、頼っていた人の死など慣れない事態に遭遇したときが契機になう気がします。自分の経験で自分でもそんな状態をうまく表現できなかったり、受け入れられないのだと思います。

私には鬱病になる人はなる前は一般に自分にそれなりの自信を持っている人が多い気がします。だから余計だめな自分を受け入れられないのだと思います。自分の評価が高すぎるのです。弱さをみとめたくないのですね。きちんとしすぎているのです、あるいはきちんとしていたいのです。

だから、ほんとはプライド持っててもいいけど、自分には弱さがあるんだなと認めてもっと自分の評価を下げてそこからもう一度出発すればいいような気がします。
でもこれが難しいのですね。

ぼくの知っている前の会社の同僚は、期限を切られて業務を指示されると胸苦しくなってパニック状態になるといっていました。うまくいかなかったときのトラウマがフラッシュバックするのでしょうか、受け入れ方に余裕が持てないのですね。


鬱病の場合は回復期が自殺の誘惑が一番多く、危険なようです。朝は特に危険なようです。電車の飛び込みは朝がいちばん多いのもその理由です。いちばんひどいときには自殺を考えることも不可能なようです。

日本は表面は再チャレンジできそうで、いざ落ちこぼれたら雇用減も急激で、希望に沿う再就職は厳しいと思います。またストレスも多い国だと思います。

自殺についてはみなあまり語りたがりません。前向きに生きようとする自分にとって後ろ向きに見えるのかもしれません。でもわたしには生きていくうえで、生を絶った人の切迫した姿は、どこかで衝撃を受けるものです。人間的な何かを感じるからです。


加藤和彦さんのこと(10月17日土曜日逝去)

2009-11-01 14:46:35 | Weblog
亡くなってから聞く彼の曲はどこか心の孤独なところから発せられていたんだなーて気がしてきます。けっして肉体的に、表現的にはげしく歌い上げるというのではなく、強い秘めた思いはあるのですが、それを抒情的にそっとやさしく差し出しているような歌い方だなと感じます。

遺書には「これまでに自分は数多くの音楽作品を残してきた。だが、今の世の中には本当に音楽が必要なのだろうか。『死にたい』というより『生きていたくない』。消えたい」との趣旨が記されていたという。(朝日新聞記事より)

作曲家として自分が思うように受け入れられなくなっていると思うことはつらかったでしょうね。それはユーミンがいっていた時代の流れのなかで取り残されて「消費されてしまった」というような気持ちになっていたのかもしれません。でもほんとはそう思わなくてよかったのではないかという気がします。自分に厳しい人だったし、老人性の鬱も少しあったから、先のことを悲観的に考えすぎて、そこまで自分を追い込んで考えてしまったのかもしれません。

でも親しい友人で、加藤さんより10歳以上、年上の横尾忠則さんがホームページで次のように書いていました。(加藤さんは62歳)

「加藤和彦さんが自殺をしてしまいました。彼とは随分長い仕事がらみの関係で、コンサートのポスターやCDジャケット、TVタイトルバックなど、また市川猿之助さんのスーパー歌舞伎のポスターも、この音楽を担当した彼の肝入りで一緒に猿之助さんと仕事ができたのです。無限の才能を残したまま、われわれの思惑とは無関係に自らに限界を想定して、そこに終止符を打ってしまいました。生き続けてくれていればまだ一緒にコラボレーションもできたはず、残念ながら未完に終わってしまいました。」

残念ですね。みんなの評価と違って、「自らに限界を想定して」しまったというのですね。

作詞、作曲のペアであり、精神科医となった北山修さんのお別れのことばで「親族」代表代行として、つぎのような趣旨の謝辞があったそうです。(出席した残間里江子さんのブログより)

「加藤和彦は二人いたのではないかと思う。一人は、僕らの知っている、何でも受け入れてくれる笑顔のやさしい加藤と、もう一人は、うまくいかないと自分に怒り、自分を責める加藤。一緒に仕事をしている時、僕らが『ここはこうじゃなの』とか、『これはこうしたいな』と言うと、大抵のことは聞いてくれたのに、自分の人生だけは、誰の言うことも聞かずに一人で閉じてしまった。......僕らは『おらは死んじまっただぁ』ではなく、
『おらは生きちまっただぁ』という風に生き抜きましょう。加藤より、もっと、もっと、もっと長く生きましょう」

それはきっと加藤さんがもっと生きていてほしかったし、こんな形での別れはこれからも周りの友人たちのなかで見たくない、みんな彼の気持ちと悔しさを受け止めて、生き抜いてほしいという身近な友達からのことばだったと思います。

特に北山さんは精神科の医者で本も何冊も書いており、鬱病についても専門だっただけに、相談を受けていたかどうか触れていませんが、助けられなかった自分が悔しかったのではないかと思います。

加藤さんには理由はわかりませんが、深い孤独感が前からあり、欝からくる思いつめた自殺願望がそれに重なってしまったような気がします。自死はなぜか残ったものになぜ助けることができなかったのかという深い悔いのような無念さを残すような気がします。同世代としてなにか重いメッセージを受け取ったような気がします。

遺書には葬儀はしないように、宿泊した軽井沢のホテルの方たちには迷惑をかけますとも書いてあったようです。