この二人は実は核爆弾を落とした国と被爆した国だ。核廃絶は夢のような理想に思われた。日本は負い目でもでもあるのか、広島、長崎の無念を世界に突きつける勇気も持てなかった。負けた国の遠吠えでしかないのではと自粛して控えめにしたつもりなのか。ほんとうは日本だけがその残酷さを知っているのであり、無言の死者の重みを核廃絶という理念として明確に世界に提示し続けるべきだったのだ。
アメリカは落としたのは戦争を終わらせるためにやむをえなかったという名目のもとに自分からはオバマになるまで核軍縮とは言っても、「核廃絶」などとは誰も言わなかった。
4月のプラハの演説ではじめてオバマはそこを突き抜けた。力のバランスによる世界の秩序の維持は究極の理想ではない。最大の核保有国であるアメリカの大統領が核廃絶の理念(究極の理想)を自ら打ち出したのだ。
オバマのなかには核廃絶だけではなく「力のバランスによる均衡」という考えがすべて究極否定されるべきという理念がある気がする。これは正義の指導者を自認してきた大国としてのアメリカのこれまでのやり方と違うところだ。ただそれは「戦争」には適用されていないように見える。すべての戦争ダメだまで究極いくべきだわたしには思われるのだが・・。
アメリカの正義とはバックに力をちらつかせた強者の押し付けにすぎない、ロシアも同じだ。両国は核兵器を自ら多数保持しながら、他の国には持つなとはふざけた話だ。だからイランも北朝鮮も遅ればせに力を見せ付けたくなったのだ。
オバマはこの悪循環のなかで、初めて「核廃絶」を究極の理念として打ち出し、「核軍縮」を段階的な過程の理念に格下げすることができた。それはイラン、北朝鮮に対し、「核廃絶が世界の合意になった時代に、世界を敵にしてまで核兵器開発を目指すつもりかい」という追いつめができることを意味する。アメリカ、ロシアだけの意向ではないと言えるわけだ。
オバマ以外の他の戦後の大統領は誰も言わなかった。それはなぜか。それはへたに認めれば日本への核爆弾の投下を間違いだったと指弾され可能性があるからだ。日本が負けるのはわかっていたのに実験のように原子爆弾を落としたと言われかねないからだ。その暗黙のアメリカの国内や世界での合意を否定することにないかねないからだ。
オバマもその問題には触れていない。しかし、オバマには核爆弾の破壊力が一瞬に何十万人もの生命を奪うことの間さに気づくことができる男だったのだ。
だからプラハの演説でオバマは原爆の投下には「道義的な責任がある」と述べたのだ。数ではない二十万人の生命を一瞬に奪う兵器を使ったことを。これは誰も危険で言えなかったことなのだ。
オバマには世界の他の国のトップにはない生命への尊厳があり、あるべき地球の未来への希求が強い男だったのだ。国連の安保理事会は普通常任理事国の五カ国の国連大使が持ち回りで議長をするそうだ。それをオバマが今回自ら買って出た。
そのなかで世界の主要都市に核爆弾を投下すれば一瞬にひとつの都市で約六十万人が死ぬという例を出し、これがテロなどに渡れば脅威であるという言い方をしている。この言い方で核廃絶の理念は満場一致で採択された。これは国連という組織の理念にもかなっているという意味でも意義があることになった。
この方向に沿って、これから1年以内に関連国際法が早急に整備され、アメリカ、ロシアの保有する核兵器の削減同意も実施されることになる。
鳩山首相はプラハのオバマ演説を高く評価し、はじめて広島、長崎の死者の思いを継承することはアメリカと違う意味で日本の道義的責任があるとして核廃絶を今後強く主張し続けることを明言した。これはまともなことだ。先にも言ったように遅すぎるくらいだが、今からでもやるべきことだ。
安保理理事会で、現在の非常任理事国の国として発言した鳩山首相は核兵器開発の能力を持つが、日本は非核三原則を維持し、不安視されるような事態は生じないと明言し、北朝鮮に向けても牽制した。
核廃絶の方向的理念が世界で同意されたことはその他すべての「力の均衡による中間的理念」が究極的理念によって無化されていくべきだという方向性を示唆する意味で歴史的に意味があると思う。だがその実現にはまだ長い歴史的時間が必要な気がする。
社会も学校も会社もそしてほとんどすべての国家がまだこの「力の均衡による中間的理念」によって調整、継続させているのだ。自由、平等、相互扶助(博愛、鳩山さんの友愛?)というような理念は個別的にはあっても組織としては方向的にも実現されていないのだ。
※オバマの4月プラハ演説ほかはユーチューブで現在見れます。今回の分も鳩山首相のももう登録されているかも知れません。わたしは夜中起きていてNHKでほぼ総会と安保理での演説全部見ました。今回のはどこか特集で全演説見せるべきと思います。鳩山さんさすが向こうの大学にいたせいで全部英語でかなりな長さでした。
アメリカは落としたのは戦争を終わらせるためにやむをえなかったという名目のもとに自分からはオバマになるまで核軍縮とは言っても、「核廃絶」などとは誰も言わなかった。
4月のプラハの演説ではじめてオバマはそこを突き抜けた。力のバランスによる世界の秩序の維持は究極の理想ではない。最大の核保有国であるアメリカの大統領が核廃絶の理念(究極の理想)を自ら打ち出したのだ。
オバマのなかには核廃絶だけではなく「力のバランスによる均衡」という考えがすべて究極否定されるべきという理念がある気がする。これは正義の指導者を自認してきた大国としてのアメリカのこれまでのやり方と違うところだ。ただそれは「戦争」には適用されていないように見える。すべての戦争ダメだまで究極いくべきだわたしには思われるのだが・・。
アメリカの正義とはバックに力をちらつかせた強者の押し付けにすぎない、ロシアも同じだ。両国は核兵器を自ら多数保持しながら、他の国には持つなとはふざけた話だ。だからイランも北朝鮮も遅ればせに力を見せ付けたくなったのだ。
オバマはこの悪循環のなかで、初めて「核廃絶」を究極の理念として打ち出し、「核軍縮」を段階的な過程の理念に格下げすることができた。それはイラン、北朝鮮に対し、「核廃絶が世界の合意になった時代に、世界を敵にしてまで核兵器開発を目指すつもりかい」という追いつめができることを意味する。アメリカ、ロシアだけの意向ではないと言えるわけだ。
オバマ以外の他の戦後の大統領は誰も言わなかった。それはなぜか。それはへたに認めれば日本への核爆弾の投下を間違いだったと指弾され可能性があるからだ。日本が負けるのはわかっていたのに実験のように原子爆弾を落としたと言われかねないからだ。その暗黙のアメリカの国内や世界での合意を否定することにないかねないからだ。
オバマもその問題には触れていない。しかし、オバマには核爆弾の破壊力が一瞬に何十万人もの生命を奪うことの間さに気づくことができる男だったのだ。
だからプラハの演説でオバマは原爆の投下には「道義的な責任がある」と述べたのだ。数ではない二十万人の生命を一瞬に奪う兵器を使ったことを。これは誰も危険で言えなかったことなのだ。
オバマには世界の他の国のトップにはない生命への尊厳があり、あるべき地球の未来への希求が強い男だったのだ。国連の安保理事会は普通常任理事国の五カ国の国連大使が持ち回りで議長をするそうだ。それをオバマが今回自ら買って出た。
そのなかで世界の主要都市に核爆弾を投下すれば一瞬にひとつの都市で約六十万人が死ぬという例を出し、これがテロなどに渡れば脅威であるという言い方をしている。この言い方で核廃絶の理念は満場一致で採択された。これは国連という組織の理念にもかなっているという意味でも意義があることになった。
この方向に沿って、これから1年以内に関連国際法が早急に整備され、アメリカ、ロシアの保有する核兵器の削減同意も実施されることになる。
鳩山首相はプラハのオバマ演説を高く評価し、はじめて広島、長崎の死者の思いを継承することはアメリカと違う意味で日本の道義的責任があるとして核廃絶を今後強く主張し続けることを明言した。これはまともなことだ。先にも言ったように遅すぎるくらいだが、今からでもやるべきことだ。
安保理理事会で、現在の非常任理事国の国として発言した鳩山首相は核兵器開発の能力を持つが、日本は非核三原則を維持し、不安視されるような事態は生じないと明言し、北朝鮮に向けても牽制した。
核廃絶の方向的理念が世界で同意されたことはその他すべての「力の均衡による中間的理念」が究極的理念によって無化されていくべきだという方向性を示唆する意味で歴史的に意味があると思う。だがその実現にはまだ長い歴史的時間が必要な気がする。
社会も学校も会社もそしてほとんどすべての国家がまだこの「力の均衡による中間的理念」によって調整、継続させているのだ。自由、平等、相互扶助(博愛、鳩山さんの友愛?)というような理念は個別的にはあっても組織としては方向的にも実現されていないのだ。
※オバマの4月プラハ演説ほかはユーチューブで現在見れます。今回の分も鳩山首相のももう登録されているかも知れません。わたしは夜中起きていてNHKでほぼ総会と安保理での演説全部見ました。今回のはどこか特集で全演説見せるべきと思います。鳩山さんさすが向こうの大学にいたせいで全部英語でかなりな長さでした。