気まぐれ人間の気まま情報新聞

どこかにいる、もう一人の自分のようなみんなへの、ひとりごとのような、語りかけのような、あいまいな発信基地不明の新聞です。

核廃絶という理念をはじめてオバマと鳩山が勇気をもって提出した

2009-09-27 10:22:00 | Weblog
この二人は実は核爆弾を落とした国と被爆した国だ。核廃絶は夢のような理想に思われた。日本は負い目でもでもあるのか、広島、長崎の無念を世界に突きつける勇気も持てなかった。負けた国の遠吠えでしかないのではと自粛して控えめにしたつもりなのか。ほんとうは日本だけがその残酷さを知っているのであり、無言の死者の重みを核廃絶という理念として明確に世界に提示し続けるべきだったのだ。

アメリカは落としたのは戦争を終わらせるためにやむをえなかったという名目のもとに自分からはオバマになるまで核軍縮とは言っても、「核廃絶」などとは誰も言わなかった。

4月のプラハの演説ではじめてオバマはそこを突き抜けた。力のバランスによる世界の秩序の維持は究極の理想ではない。最大の核保有国であるアメリカの大統領が核廃絶の理念(究極の理想)を自ら打ち出したのだ。

オバマのなかには核廃絶だけではなく「力のバランスによる均衡」という考えがすべて究極否定されるべきという理念がある気がする。これは正義の指導者を自認してきた大国としてのアメリカのこれまでのやり方と違うところだ。ただそれは「戦争」には適用されていないように見える。すべての戦争ダメだまで究極いくべきだわたしには思われるのだが・・。

アメリカの正義とはバックに力をちらつかせた強者の押し付けにすぎない、ロシアも同じだ。両国は核兵器を自ら多数保持しながら、他の国には持つなとはふざけた話だ。だからイランも北朝鮮も遅ればせに力を見せ付けたくなったのだ。

オバマはこの悪循環のなかで、初めて「核廃絶」を究極の理念として打ち出し、「核軍縮」を段階的な過程の理念に格下げすることができた。それはイラン、北朝鮮に対し、「核廃絶が世界の合意になった時代に、世界を敵にしてまで核兵器開発を目指すつもりかい」という追いつめができることを意味する。アメリカ、ロシアだけの意向ではないと言えるわけだ。

オバマ以外の他の戦後の大統領は誰も言わなかった。それはなぜか。それはへたに認めれば日本への核爆弾の投下を間違いだったと指弾され可能性があるからだ。日本が負けるのはわかっていたのに実験のように原子爆弾を落としたと言われかねないからだ。その暗黙のアメリカの国内や世界での合意を否定することにないかねないからだ。

オバマもその問題には触れていない。しかし、オバマには核爆弾の破壊力が一瞬に何十万人もの生命を奪うことの間さに気づくことができる男だったのだ。

だからプラハの演説でオバマは原爆の投下には「道義的な責任がある」と述べたのだ。数ではない二十万人の生命を一瞬に奪う兵器を使ったことを。これは誰も危険で言えなかったことなのだ。

オバマには世界の他の国のトップにはない生命への尊厳があり、あるべき地球の未来への希求が強い男だったのだ。国連の安保理事会は普通常任理事国の五カ国の国連大使が持ち回りで議長をするそうだ。それをオバマが今回自ら買って出た。

そのなかで世界の主要都市に核爆弾を投下すれば一瞬にひとつの都市で約六十万人が死ぬという例を出し、これがテロなどに渡れば脅威であるという言い方をしている。この言い方で核廃絶の理念は満場一致で採択された。これは国連という組織の理念にもかなっているという意味でも意義があることになった。

この方向に沿って、これから1年以内に関連国際法が早急に整備され、アメリカ、ロシアの保有する核兵器の削減同意も実施されることになる。

鳩山首相はプラハのオバマ演説を高く評価し、はじめて広島、長崎の死者の思いを継承することはアメリカと違う意味で日本の道義的責任があるとして核廃絶を今後強く主張し続けることを明言した。これはまともなことだ。先にも言ったように遅すぎるくらいだが、今からでもやるべきことだ。

安保理理事会で、現在の非常任理事国の国として発言した鳩山首相は核兵器開発の能力を持つが、日本は非核三原則を維持し、不安視されるような事態は生じないと明言し、北朝鮮に向けても牽制した。

核廃絶の方向的理念が世界で同意されたことはその他すべての「力の均衡による中間的理念」が究極的理念によって無化されていくべきだという方向性を示唆する意味で歴史的に意味があると思う。だがその実現にはまだ長い歴史的時間が必要な気がする。

社会も学校も会社もそしてほとんどすべての国家がまだこの「力の均衡による中間的理念」によって調整、継続させているのだ。自由、平等、相互扶助(博愛、鳩山さんの友愛?)というような理念は個別的にはあっても組織としては方向的にも実現されていないのだ。

※オバマの4月プラハ演説ほかはユーチューブで現在見れます。今回の分も鳩山首相のももう登録されているかも知れません。わたしは夜中起きていてNHKでほぼ総会と安保理での演説全部見ました。今回のはどこか特集で全演説見せるべきと思います。鳩山さんさすが向こうの大学にいたせいで全部英語でかなりな長さでした。

当選した民主党の福田衣里子(薬害訴訟原告)さんは感じがいい

2009-09-21 01:03:04 | Weblog
肝炎薬害訴訟の原告だった彼女が当選し、議員認証のため国会に行った後あとすぐ長崎に戻り、駅前で肝炎患者支援法の制定に向けた街頭署名をしているのが読売の日曜版に載っていて、署名している人からがんばってといわれて笑顔で答えているのが印象的だった。

訴訟の原告のときの国に対峙するときには彼女の笑顔は見たことがなかった。いつも怒りに似た表情だった。国家和解に向けた方向が見えたときのほっとしたときの顔を覚えている、でも笑顔ではなかった。まだ完全な補償ではないからだ。

なんといっても薬害訴訟は国家がその非を認めるべきであるのに、そのころはまだ判定できなかった、あげくは委嘱した医師団の責任になすりつけた。司法までそれを肯定したのだ。やっと補償を認めさせるまでにどれだけの時間をとられたことか。補償を得られぬままに多くの人が死んでいった。

国家とはなんと無責任で立ちふさがる大きな壁であるかということを感じたに違いない。今度の彼女の当選した笑顔には、やっとみんなの役に立てるという未来が見えてきた喜びと責任が顔に表れていた。

彼女も薬害の影響があるのに、選挙中のことばも、選挙後のことばも自分の役割と責任を踏まえてとても信頼できた。ほかの街頭大口たたきたちのうそ臭さがめらめらと焼失して気持ちよかった。

国民をなめたやくざ政治家の「別世界政治」は早く失墜してほしい。なめられたわたしたち国民もやっと自分の日本的従順さに目覚めたといえるのかも知れない。

でも「公」より「わたし」を優先すべきであるという思想はまだまだ遠い。まだ、まだ様々なシステムはその組織的圧力で私たちの自由を窒息させようといつでも身構えている。組織とかシステムは成立するといつでも束縛の要素を持っている。

あなたは会社で、学校で、ほかの様々なシステムでほんとに自由ですか?

「生活重視」と民主党が言うとき、ほんとうに国民の視線からか見ていきたい。

2009-09-08 22:10:06 | Weblog
これまで不況は経済の「景気回復」という言い方で、国も企業もあたかも自らがその主体のような言い方をしてきました。しかし、それは嘘です。

以前から経済の回復の主体はすでに「消費者」に移っている時代になっていると何度か書いてきました。消費者は一人ひとりが「わたしひとりだけでは」と思っていても、おなじような思いを抱いていて、それが集まれば実は大きな意志になることをますます想定すべき時代になっている気がします。

今回の選挙は民主党が有利といわれていました。しかし、ほんとうにこれほどの圧勝とみんな思っていたでしょうか。それはどこか国民の怒りを甘く見て、これまでのとうり何とかなると甘く見てきたつけだとわたしは思います。

ひとりが思ったことは、みんな共通の思いだとみんな初めて、自分の怒りがまちがっていなかったと自信を持ったのではないしょうか。

「おれがひとり思ったところでどうにもならないよ」とあきらめ好きのアジア的傾向の日本の国民が、「みんな同じ思いを抱いていたのかな」と初めてなげやりな孤独がすこしなぐさめられ、すこしは自分の思いに自信を持ったのだと思います。

この国民が主体になったことを民主党がどれだけ思想、理念のなかにすえることができるか、またぞろえらそうに、国民を導くのはわたしだと、徐々にいごこちのいい権力的な姿勢になっていくのか、じっと見守りましょう。