気まぐれ人間の気まま情報新聞

どこかにいる、もう一人の自分のようなみんなへの、ひとりごとのような、語りかけのような、あいまいな発信基地不明の新聞です。

「国家」というのは「実家」・「本家」のように身近でない。

2022-01-24 07:48:06 | Weblog
あまり普段わざわざ考えるまでもなく「あると信じて」いることは誰でもたくさんあると思います。生まれる前から歴史はあっていろいろ制度はその時代までの過程が既にありますからね。誕生してもすぐには赤ちゃんは歩けないので「身近」に育ててくれる人がいなければ生きていけません。動物では人間が一番一人では食べていけるようになる時間が長いのは人縁です。その「身近」な場所はいろんな事情ですべて同じではないですが一般的には「父と母」がいる「家族」、「家庭」というものが最初になります。そこが人間の生まれて最初の場所ですね、赤ちゃんは食べて大きくなると今度は「保育園」」幼稚園」「小学校」などに行くようになります。すこし「家庭」から子供は離れる時間が多くなります。
菅首相の「ことば」を使えば「家族・家庭」は「自助」?、学校は「公助」?ですかね。
ただ「自助」も「家族・家庭」が崩壊していれば、はじめから「自助」は成り立ちませんね。
赤ちゃんに「自助」はできないし、「生活保護」という「公助」?も赤ちゃんでははじめから制度の対象外ですよね。
「あると信じて」いるものはですから、ある程度形態が身近にイメージできることが前提です。ただ育児放棄された赤ちゃんは「家庭」がイメージできないことはあり得ます。ここでは「家庭」を標準として一般的に想定しています。
ここでタイトルに関してはどうでしょうか。
「実家」は子供たちが育って離れた「家庭」との関係性をこめての呼び方で「ある」をイメージ可能と思います。または「本家」は子供またその親を含めて時間的繋がり、関係性を拡大して考えていく先に想定できる家族、親族の広がりのなかで、ある意味中心かなと思われている「ある」を想定できると思います。

それでは「国家」とは何かイメージとして身近な「ある」を想定できるでしょうか。異なった人々の構成する「家族」「実家」「本家」を足し算した集合体として考えて場合、どうも数としては例えば「民族」などと言えるかもしれませんが「身近さ」がないですね、隣の知らない家族と「込み」で一緒にされたくない人も多い気がします。つまり「家族」「実家」「本家」の系列は別の同じ系列とはかえって関係を「閉じて」収束し「身近さ」を維持していて、違う系列は「他人」という関係になると「お互い」考えることになると思います。そうすると「国家」とはお互い他人同士の関係のなかに出てきて「身近さ」の無い不思議なところに出てきた
イメージで、特に望んだものでもないものの「全体性」だけが身近でないところにイメージされるものように思われます。
この身近でない全体性を、少し身近に感じるために他人同士を繋がりあることばで了解する必要があります。それが例えば「民族性」とか共通の土地に住まう土地の「領地」とかの包括する概念ですね。しかし「民族性」「領地」とかは「身近な生活現実」のところから出てきたイメージではないですね。家族系列は社会の中では閉じることによって関係を深めるため、国家にまでそのまま拡大はしません。この「身近」ではないイメージとしての「全体性」「共同性」「民族共通性」「領地共有」ような全体のイメージは一見そう見えないですが実は宗教の意識の自分を超える大きな普遍的存在に対する尊敬の意識に似ているのですね。
「国家」はですから、具体的な現実の生活では身近な存在ではありませんが意識して思い描くと「全体性」「共同性」「民族共通性」「領地共有」のような普遍的な全体性をつかさどる
ようにイメージされる存在です。だから国家は実家や本家のように人間の顔は浮かびませんが、普遍性の神のような存在として国民を見つめているような「幻想のイメージだけの存在」であり「母屋」のような身近なものはなく官僚機構も法律も「幻想のイメージの神の住んでいる館」を実在と思わせるための構築物です。ジョン・レノンの「イマジン」はこの辺よく捉えていると思います。次回は世界の「国家」のきな臭さの危険な増大について書きます。


「個」と「公共性]という考えの拡張について(続き)

2020-11-16 15:01:32 | Weblog
【個人の「自由な意志力」】について吉本は戦争時に実際に奄美大島の人間魚雷の基地隊長であった島尾敏雄が書いた小説での隊長である本人と部下たちの出来事を例に書いている。
島尾隊長は人間魚雷を格納する洞穴を拡張するよう命令を部下に伝える。しかし明日にも人間魚雷で突撃して死ぬことを覚悟している部下たちはその命令に従わない。しかし島尾隊長はその部下たちを非難することなく、黙って自分だけがシャベルを持って洞穴を拡げる作業を始める。吉本はこの状態をお互いの「自由な意志力」による関係だという。
この時部下たちは明日死ぬかもしれぬ身近な重大な未来を一義としている。隊長の洞穴を拡張する命令は彼らにとってこの現在においてもう一義ではない。それがかたちとして隊長の命令に無視になっているだけだ。それを理解した隊長も部下をまったく非難する考えもなく黙って命令したことを自ら一人で始める。吉本は「ここではつまらない上下の優劣もないし、不信のあげくの相互非難もない。」吉本はこの関係を「自由な意志力」を発揮し合ったものどうしが信頼の中でお互いに成立している集団性だという。
吉本はそういう関係以外に{個人と「国家」と「社会」を貫いて歪曲されない「自由」}はないという。「集団や公共によって禁圧や制約を受ける自由」などは自由な意志の集まりとは言えないという。
ここから「公共性」と名乗るなら、「自由な意志力持った個人の集まり」であることが前提であることになる。

わたしたちは現在を考えるなら、この考えの真逆の世界にいて国家や社会とか公共機関から何らかの制約や禁圧を受ける世界にいるのではないか?吉本はそんな国家や社会は「公共性」を「偽証」すべきではないというのだ。私たちは「公共性」をなにか大きな誤解の中で考えているのではないか。その誤解の実態を現実のなかから次に検討していきたい。(吉本の文章の引用は:「中学生のための社会科」第三章・国家と社会の寓話4.自由な意志力について)よりしています)



「個」と「公共性]という考えの拡張について

2020-10-26 21:56:16 | Weblog
[個]があるから「公共性」という考えが発生するというのが前提です。「公共性」は無規定にいきなりあるのではなく「個」の具体性がイメージされ、その具体性の集まりとしての集合を前提して考えられる具体的なイメージでなくてはならない。具体的な「個」が思考の始まりになければ「公共性」は意味がない概念なわけです。
しかし、どうも「公共性」というのはいったんあると肯定されると、その概念の成立に不可欠な「個」は単なる具体的な数の集合として「個の具体的な顔」を抽象され一人歩きして以前から先験的にのっぺらぼうな「公共性」という概念があったかのようになっていくようなのです。

「公共性」は例えれば「法則性」のように「抽象」されるのが正しいと思われます。法則は個々の事象の影からぼんやり現れ、そこに共通の「法則」が見つかった時、個々の事案は捨象されて「法則性」が「概念」として現れる。
しかし、そこではその「法則性」は個々のもとの事案にも適用できるということは前提です。「公共性」も「法則」のように「個々」に戻っても適用できるという「抽象」でなくてはならないと思われます。でもどうも「公共性」はそうならず「個」が消えてこそ,あるいは個を否定してこそ「公共性」があるような顔をしているように見える。「公共性」は「法則性」のように「個」に戻っても「適合」できる関連性が維持されなくてはならないと思います。

ここで「共同幻想論」で国家のような「公共性」だけではなく、個人が集合としてある組織、システムの問題を「共同幻想」として、その問題を徹底して追求した戦後最大の思想家と言われる吉本隆明の著書から、「公共性」という言葉を使って書かれた文章を引用したいと思います。うっかり読み過ごしていた著書から見つけました。

【公共性、集団性、大秩序は個人の私的な「自由な意志力」の総和の意味を持つときだけ成り立つ。個人の「自由な意志力」が減殺される場合には、公共性、集団性、大秩序は成立しないとみるべきものだ。二十世紀の問題性、教訓性、倫理性について未来へ残るとすればそれが最大の点だ。そう述べた後次のように結論する「わたしが現在言えることは個人の「自由な意志力」の集まりだけを「社会」の公共性というべきで、そのほか「国家」とか「社会」とか「公共機関」と偽証することを許すべきではない」】(「中学生のための社会科」第三章 国歌と社会の寓話 4自由な意志力について)

ここには私が書いた以上の強さで【「個人の「自由な意志力」の集まりだけを「社会」の公共性というべきで】と書かれている。抽象どころか具体的な生身の生命を持った個の集まりそのものが公共性だと言われている。ただそれにはだいじな条件があり、その個人の私的な「自由な意志力の総和」として成り立つことが必要で、それが一部でも「減殺」されれば「公共性」「集団性」「大秩序」は成り立たないというのだ。多数決では「減殺」された「個人」がいるのが黙殺されることになり、それではだめだというのだ。私の考えは否定されたといえると思う。その現実に目をつぶる「国家」とか「社会」とか「公共機関」というようなないわゆる「公」を標榜するような組織は「偽証」(虚偽の陳述)であり、許されるべきでないというのだ。私のこれまでの考えもここでは否定されたと思える。もうひとつ個の私的な「自由な意志力」とはなにかが重要な成立要件であり、これについて次回検討したい。この「自由」はわがまま勝手とは違う個とは予感される。それを吉本の考えから解き明かしたい。

  

個と公とかいう考えについて5(完)

2017-10-10 15:28:01 | Weblog
前回次のように書きました。
「現在の国家を最高位とする「公」(共)的機関と言われる「組織」「システム」は先に述べた「公」的という条件を、その「組織」「システム」の運営の中に最重要「概念」として、常に「繰り込み続けている」かどうかです。これが一番問われることのように思われます。」

話は少し戻りますが、近代のはじめの大志を持った人々は、先に私が述べた「公」的という「概念」を踏まえ、それをこの日本の隅々まで行き渡らせたいという日本的「自由・平等・博愛」に燃えていた時期もあった気がします。

しかし、その実現は「国家を最高位とする「公」(共)的機関と言われる「組織」「システム」として、近代明治以降に西洋を模範としてなされていきました。言うなれば、「公」(共)的機関であることは、あたかもはじめから折込済であり、取り立てて言わなくても、民意を反映しており、「公」という「概念」も折込済であるかのごとく制度化されてきたと思われるのです。

わたしたちの普段の生活では、ほとんど「公」的なことは意識して生活しているわけではなく「公」的なことは、「誰か他の人が考えること」としてまかせているのが普通と思います。言い換えれば、「公」的なことは細かく見れば法的なこととかいろいろ生活には関係あるのですが、それらはあたかも関係ないかのように生きていられる世界だと思います。

しかし、それが西洋にならって「国家」をその「公」(共)的中心の「まとめ」として自然にイメージして派生的に関連「組織」「システム」を法制的に拡張していったとき、その「大志」に敵対するものを「意に反して」生み出していってしまったのではないかという気がするのです。

つまり、自然にそれでいいだろうと思って受け入れた「公」(共)的な組織やシステムが、やがて生活する人間にとって桎梏になってくることが有りうるということです。

なぜ、そうなるか、その根本のところで、その「公」(共)的組織、システムが先の真の「公」的という「概念」を繰り込むどころか、そんな「概念」も検討もせず、「公」を前提、標榜して許されると思って出発したことです。当然、それは民のためになるとして「指導制」「統治化」の「権利」を持っていい。それどころか「持つべき」まで権利、権限を拡張していったということです。

議会制民主主義は真の先に検討した「公」的「概念」を繰り込んでいるものとして運営されていますが、「国家」を最高位の「指導性」、「統治制」の頂点としたとき、民意を反映する制度としての意味の他に、民意を代表し、「公」の体現者であり、しかも「指導性」「統治性」の権利、権威を持つものとしての側面を拡張していった気がします。この「側面」が強調された場合、「権力」ということばが使われる事態が出てきます。そして「権力」というものは、それが利用できうる間隙を察知することによって生まれて来るといえます。だから「権力」とは独自に存立するもではないと思います。

つまり、当初の理想的意図とはたがえた別の貌をもった敵対的組織に変貌していく可能性があるということです。当初そう思えなかったものが、桎梏となって跳ね返って来るわけです。「国家」というものもそういう面を持っていることは戦争のときのことを考えれば明らかです。

余談ですが、これのミニアチュアをもしかしたら皆さん知っているかもしれませんが、大会社の役員組織が社員に対するとき、実は社員の「民意」を代表、代弁するのではなく、国家に似た「会社」なるものを代表して組織されていくのはおわかりかと思います。(この失敗は超大会社の現在の破綻を象徴しています。利益だけを追い、社員,顧客(民意)を忘れています。これを改革しようという動きは現在出ててきている気がします)

国家を中心とした「組織」はその内部要請に従って「組織化」されていきます。そして次のように言われる事態に生じます。

「政治に対する見解のようなものだけは、普通の社会的な生活をしている人が判断すると、必ずまちがう気がします。政治というものは、その中間に、どうしても内密に決められて行われるということがあって、それに従わざるをえなくなっていく、ということがありますから、その「内密に」というところが、一般の生活している人にはなかなかわからないのです。」(「第二の敗戦記」吉本隆明2012年刊 春秋社)
※その「内密に」関わる政治家たちは、逆も真なりで「一般庶民の考え方には届かない」とも言っています。また、次のようにも書いています。「政治がやることや、政治家たちの言動の広まり方というのは。庶民たちのそれに比べて格段に大きいわけですから、政治のほうがまちがえれば、それが倍増して庶民の方にはいって来てしまうということになります。」

そして昨今の政治の事態は、この「内密」が逆手に利用されうるということをさらけ出し、いかに「民意」から離れた別世界となりうるかを証していて、庶民としてはあっと驚いてしまいました。

一応この堅苦しい問題につき、あっと驚いた流れで書いてきました。お付き合いありがとうございました。書く支えにもなりました。またやわらかい話題も含め書いていきたいです。「気まぐれ」が治りませんが、治したい思いです。また堅いのでは実家や、本家とも違う「国・家」と名乗るものは、あるのがなんでみんな当然と思っているのか、という変な問題設定をしてまた書いてみたいです。


個と公とかいう考えについて4

2017-09-18 00:46:02 | Weblog
前回「公」ということばをこのあたりなら使えるかなと書きました。「公」をいきなり当然のように受け取っては今回書く意味がありません。

前回の考えから「公」とは個々の生活している人々に共通して関わりのあることに、賛否を問う必要があり、ま、賛否の割合は例えば半数以上の50%以上を目安にすることにして決済を取り、当然反対もありうるのは前提ですが、賛成多数となった意見を「公の意見」というように使えるのではないかということです。

ここで「公」(的意見)というには、さまざまな条件がいることを確認しておきたいと思います。

まず第一に前提としては「公」(的意見)であるためには、個人がひとりひとり尊重され、認められ、自由な発言、表現が認められ、その条件のもとに意見が適正に集約され、その上で多数が決せられるという意味で、「公」(的意見)とはそれが独自に初めからあるものではなく、常に「個」(意見)尊重が前提で生まれてくる「概念」であるということです。だから本来、「公」(的意見)とは「個」(意見)の多数」と置き換えられる概念だということです。自在に使える単独の「公」などないということです。
だから「公」は誕生の地である「個」をわすれたら、成り立たない概念だということです。現憲法の「公共の福祉」ということばは、抽象ではなく、それを誕生させたのは具体的な生の「個」なのです。それは「個」の産みの努力が含まれているということです。

※「公」とは抽象的に独り歩きできる概念ではなく、要素的に「個」を必ず含んで考えなくては行けない概念であり、本来的には「個」と「公」と言ったとしても対立的な概念ではないわけです。

次に、情報は基本的に関係する人々全てに公開されなくてはならない。当然ながら不利な条件も含めてすべて判断の必要な情報は公開されなくてはいけないということです。有利な条件だけなら、誰でも楽しく言えるわけです。最近では悪い情報はほとんど隠すという最悪なケースもあるわけです。これでは判断は片手落ちです。これは正当な個人の判断の自由を犯しています。

次に個人の自由な判断を認めるわけですから反対の少数意見も存在することは承認されるべきだということです。多数であるからと言って「権力的」に押さえ込むことはあってはならないということです。
これは素朴にみじかなところではにはイジメに通じますし、パワハラにも通じることになるかもしれません。

さて、これくらいの条件を踏まえた考えのもとで、はじめて「公」的ということが認められるとします。

次に考えたいのは近代といわれる明治以降に整備されてきた国家主導による「公」(共)的というさまざまな機関は果たしてこの「公」的という「概念」を踏まえて運営されているかということです。
ところで、ここで「国家」とは、明治以降に「廃藩置県」により日本を中央集権的な仕組みとして最高位に位する位置にある「公」(共)的機関を標榜するものです。
国家主導による「公」(共)的機関の運営は「税金」を社会経済生活から吸い上げ、国民から選ばれた議員により組織された「国会」により。「公」(共)的機関の運営がなされていくわけです。
ちなみに、明治時代の現憲法の前の「大日本憲法」では天皇「主権」であり、国民「主権」ではありませんでした。従って途中で改革されましたが、国会は今のような立法権を持っていませんでした。国民主権は当然ではなかったわけです。

ここで現行「憲法」にこれらの事情がどう書かれているか取りあえず見てみましょう。

「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」(現行憲法「前文」抜粋)

不勉強で申し訳ありませんが、なかなかいい文章でびっくりしました。誰が作ってもいい文章はいい文章です。

ただ、問題にしたいのは、これらの素敵な文章は今現在ほんとうに守られているのか、守られていないなら、それはどこに問題があるかということです。
現在の国家を最高位とする「公」(共)的機関と言われる「組織」「システム」は先に述べた「公」的という条件を、その「組織」「システム」の運営の中に最重要「概念」として、常に「繰り込み続けている」かどうかです。これが一番問われることのように思われます。

結論として先に述べるなら、すっかり現憲法の「理念」は骨抜きになってきており、国民は名目的「主権」に成り下がっている疑いがあるのではないかということです。
それはたまたまの時代の問題で修正可能なものなのか、もっと本質的な問題があるのか書いてみたいです。なかなか考えあぐねるところもあり、遅くなって申し訳ありませんが、もう少しお許しください。


「個」とか「公」とかいうことばについて 3

2017-07-29 13:43:28 | Weblog
「公」というどこか不安な気持ちにさせ、、どこかで誘惑的でもあることばはどんな時に出てくるのでしょうか。
僕らの具体的な毎日の生活では実はほとんどでてきて使うことはないですよね。

毎日生活する肉体と心を持った[個人]をひとりひとり足し算のようにたくさん集まっても、たくさん「個人」の集まりとなるだけですよね。全体をまとめれば「集団」というようなことばは使えますが、どうも「公」とは言わないですよね。
そこで、ある生活的でもいいですが、その集まった「個人」みんなに「共通」する利害的な何事かを決定する必要があり、その内容がすべての個人に情報開示され、検討する時
間を経て、多数決が採用され、50%以上とかの賛成を得て承認された場合、それがみんなの総意として認められた場合、「公」の総意というように使ってもいいような気になりますね。
そうすると「公」というのは、まあ個人の賛成も反対もあるが多数決的に優先される意向、意志を持った人々の総称と言っていいのでしょうか。でも、これで見ると、多数決で負けた個人は常に「公」がいいとか、公正とは思わなくてということで基本的にはいつも条件付きということになるのかもしれませんね。少数意見も十分尊重されたうえでとしてもらいたいですね。このようななかでなら、「公」はまだ善良で一人歩きしてないですよね。ここでは僕がわざと主張することにしている考えがあります。
「僕は公の構成要員であり。僕を抜いて公というような使い方はおかしい、それは認めがたい。僕と公は別のものでなく、僕もその一員であるはずだ。対立的に使おうとするのは誤解だ」

あまり読まないので気にしているのですが、「憲法」にある「公」の入った言葉を探してみました。「個」とかかわりあるのでは、次のような、すてきな言葉がありました。

第3章 国民の権利及び義務 第13条
すべての国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

このなかの「公共の福祉」というのは、「公」も「福祉」も先ほどの多数決もはいっているように見えて、妥当に見えて肯定できそうな気がします。(ちなみに改憲の変更は「公共の福祉」が「公益および公の秩序」に変えられようとしており、「公」の定義が具体性を抜かれてくるような気がします。「公」の都合のいい一人歩きが始まり、多数決の「民意」の「反映」としての規定が甘くなっているように思われ、「公的機関」の意向のほうにうまく使われる危険を感じます。「具体的民意」がかすれてきています。危険です。)

取りあえずここで言えることは「個」は自分の自由と平等は堂々と主張して、まあ、言いたいことは言ってもいいが、折れるときは折れなきゃというケースもあるよということになります。だから、「個」の生活のほうが普通はほとんどですが、まあ「公」譲る必要がありますよということになりますかね。次回はこの「公」が見知らぬ怖さににはいっていく危険な暴走の始まりについて、いよいよ書いてみたいです。






個と公とかいう考えについて 2

2017-07-17 23:20:04 | Weblog
前回はじめのところで「個人の自由とか平等をわがままなほどかなり優先したいほうなので「公」というのは好きではないですが」と書きました。
それは僕のなかで、歴史が進んでいけば、当然文明も文化も進歩し、それに従って人間も「自ずと理性的になり」、個人の自由も平等も理性的に認められれていくだろうというように世界全体がなっていくだろう、と思っていたのが、なんかどこで思い切り舵を取り間違えていたのではないかという気がしてきたのです。どうも時代の流れは「個人の自由平等」というようなことを文明が進歩すれば自動的に達成してきるようなものとみなして安心しているのではないか。そんな気がしてきたのです。そして結果的に「個」は「公」よりちいさいように見えるゆえに、その根本的重要性を僕個人も含め、忘れていて、安心しすぎていないかという気がしてきたのです。
でもそんなとき、次のようなことばを見つけました。

「人間の内在史(精神関係の歴史)からみれば近代は外在的な文明の形と大きさに圧倒され、精神のすがた形はぼろぼろになって、穴ぼこがいたるところにあけられた時期とみることもできる。外在的な文明にに追い詰められ、わずかに文化(芸術や文学)の領域だけを保ってきた。そして文明史はこの内在的な文化(芸術、文学)の部分を分離して削りおとすために、理性を理念にまで拡げる過程だっと見なすことができる}(吉本隆明:アフリカ的段階について―史観の拡張:平成10年))

※文明とか文化のはばなしい外在的発展からは、あまりこじんまりして生活的に隠れて見えぬにくいですが、それに対応した心の自由の進化も自然に伴うだろうと想定されている気がします。しかし彼はそれは相関をそれほど信用していないのだということです。逆に内在的歴史は取り出して独自に検討すべきだというのです。どうも文明の発展には内在的文化は勘定に入っていない。
ここで「理性を理念まで拡げる過程だったとみなすことができる」とは、「人間には、まちがわずに歴史を正しいほうに導いていけるだろうという、「理性」が備わってきているのだから、理性を「絶対的な正しい導きの思想」として信じていけば、文明や文化は進歩していくだろう。そう信じることが「理性を理念まで拡張」の意味です。しかし一見華やかな文明の進歩の中で、本当は真にだいじにすべき心のだいじさが、華やかさとにぎやかさの中で、「削りおとされている」というのです。「理性」ということばを語る人は皆さん気を付けてくださいね。僕はある時からとても気になるようになりました。皆さん私も信用しないでくださいね。「理念」というのは「実現されるはずの最高の思想」というほどの意味です。

家族内殺人、虐待、好きな人を簡単にあやめる、学校でも会社でも、いろんないじめ、自殺、うつ病などの心の病気の増加。こういう些細に見えて大事なことがどこか狂ってきているのは一見文明的、文化的に楽天的に「公」的なものだけを重視?してきた繊細さの足りない「理性」幻想のつけなのだとおもいます。人間理性だけでは生きていません。もっと心で生きています。

僕たちは負けそうになっても、くだらない猛々しい理性の心無い、冷たい「いわゆる理性」を、ひとつひとつ確認しておきましょう。テレビ見てるとまるでショーのようにこの頃よく見えますね。

まだ、「公」にはいろんなことが吹き寄せてきて気になることがあるので、また次回書きますね。

個と公(おおやけ)とかいう考えについて 1

2017-07-09 16:46:53 | Weblog
この頃、国とかマスコミの対応とかテレビ見てて、なんかいらだつような気持ちが続いていて、すこし考えていて、書いてみたいと思いました。ただ、だれがいいとか、わるいとかではなく違う視点から書きたいと思いました。僕としては自分だけではなく、個人の自由とか平等をわがままなほどかなり優先したいほうなので、「公」というのは好きではないですが、「公」というのは長い歴史のなかで考えられてきた一般的制度もたくさん含んでいますから、それも考えざるを得ません。

個というのは、自分、友達、家族、恋人とか、ひとりひとりを思い浮かべれば、まあ、顔も心も具体的な感じがして、イメージも涌きわかるような気がします。 
ただ、すこし外れるかもしれませんが、僕は自分自身の個の心の世界と身近な家族でもそうですが、友達とか恋人とかと共有する心の世界を分けて区別しています。それは家族にも、友達にも、恋人にも言わない、言えない自分の世界を誰もが独自に持っていると思うからです。ぼくのわるい性格は僕が自覚して治す以外ないですしね。僕の世界以外の人と共有する世界は基本「ふたり(対)の世界」と思ってます。友達と言っても結局、僕とひとりひとりの友達との関係だからです。だから個の世界は人間の心と顔の見える世界です。芸術の世界ですよね。

ところが、「公」というのはひとりひとりよりは多そうで、まとめた総称のようにも思えるが、どうも「ひとりと多」いうようになんか、力的に個のほうが弱そうに見えたりもする気もする。またどうも、個人個人にはある「顔」や「心」的なものはなく、なんか乾燥した他人事みたいなよそよそしさを感じる。
ここで「公」というのは取りあえず個である私ではないような、また私が決めたものではなく以前から世間では「そうなっています」とか言われるようなものなどがそうです。慣例、規則、仕来り、信仰、また制度として行くことに決まってる学校、とか。ま、もっといけば、勤め先とか、国家まで行きますね。皆さんも思いついたものあげてみてください。なんかわがままなぼくには苦手というか窮屈なものがおおいですね。

「公」というのをなんかもうすこし実感としてなにか自分でもほかの人にもわかりやすい言い方ができないか考えあぐねてしまいます。

ふっと思ったのは、お母さん抱かれた幼児のことでした。人見知りというのがありますよね。ネットで引いてみました。

「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」
人見知り ひとみしり

「乳児が見慣れぬ人に対して恐怖を示し、あるいは泣き出す現象。この現象は、いままで自分の養育にあたってくれた親しい人、とくに母親と見慣れない人とを区別する能力が現れたことを意味する。それ以前の乳児は、人であればだれでもそばにいてくれるだけでよく、多少は父と母との間で、あるいは他人に対して反応が異なるが、それはあまり目だつものではない。ところが生後6か月前後から、見慣れている人とそうでない人とをはっきり区別するようになる。


まあ、あまり自分には記憶がない人もいるかもしれませんが、赤ちゃん見てるとよくある風景だと思われると思います。
あの漠然たる見知らぬというか見慣れぬ他人のいるよそよそしい世界、それが「公」のはじまりに近い気がします。
次くらいに書きますが、ぼくにしばらくあった被害妄想という高校後の病の発現は、ここに根があったのかもしれません。そして統合失調症のやさしいみんなの不安もこれに関係ある気がします。

あの、よそよそしさ、不安、恐怖を抱かせるような世界。
小さい頃、学校の帰りに少しもう暗くなりそうで、いそいで近道の竹藪のそばを通ったら、繁った竹藪の暗い奥から怖い何かが出てきて襲われそうな気持ちになって、遠くに見える家の灯りを目指して必死に逃げ走った感じ。何もなかったような顔で帰りましたが、心は真っ青でした。あの暗い見知らぬ不安な場所。また、友達と遊んでて気が付いたら、みんな帰っていなくなって、そのいなくなった闇が迫るだれもいない空き地や公園にいる不安。

よくわからない不安ですよね。でもそれはきっと長じてもどこかに気づかず残っているようなことよくありますよね。フロイトという精神分析学者が「無意識」と名付けた考えかたですね。

ここで先ほど書いたのと関連しますが「公」とはどこか見知らぬ、見慣れぬもの、どうも自分とかほかの個人のように顔を持った、また心というのとは何か違った世界とぼんやりと規定できるものかもしれません。社会という言葉がありますが、ま、人々が住んでいる世界くらいの意で考えれば、まだ人顔が感じられます。ま、個々には私や家族や友人や恋人もそのなかにいられそうですが、どうも「公」はなんか位相の違う違和を感じます。

実はこんな世界にみんな普通だとは思いながら触れているのですね。中学校までは義務教育ですか。
まあ、高校、大学までそのまま行けるところもありますが、そうでないところがまだ多いですよね。僕も一貫ではない高校受験、大学受験しました。

今考えるともう「公」という面から考えるともうそれに面していたのですね。ある意味受験して合格かどうかということは「自分で決められない」ことです。僕個人の意志では決められないわけです。誰か(たち)が僕をほかの受験者と比較して合否を決める。自分を自分で決められないところではだれか選ぶ「権限のあるものがその権利を行使するわけです。」高校は幸い合格しましたが、実はその不安は大学受験の時に顕在しました。受験勉強して、受験真近になって模擬試験などを受けているうちに、できたりできなかったりの波に一喜一憂するうちに自信はどんどん不安に変わっていきました。いつも成績のいいものを見ると別世界の人のようにうらやましくなるほどでした。そして現役では見事に不安は的中し、不合格でした。不合格を確認して宿泊したホテルに帰ってきて、めまいがして目の前が真っ暗にほんとになりました。翌年は何とか受かりました。

高校が、大学がそして、受験生の合否を決める先生たちが悪いとかいいとかではなく、「公」的なものを必要として、長い歴史のなかで考え出され、作られてきた制度とかシステムというものは、時として個人にとっては違和を覚えさせるものになるということです。僕自身は結局学生時代はそんなことは実は何も考えず、ぼんやり暇くれてありがとうみたいに過ごしてきて、いまごろになって言っているわけです。会社でもそうです。一般には公とは言わないでしょうが、これだけ資本主義が発達すれば、広く採用されてる制度ですから「公」でもよいでしょう。「公」の王様のような国家はいざとなれば戦争のために国民を「徴兵制」によって戦地に送り込むことができたわけです。
また制度そのものともいえる法律も「公」と言えますし、そして「公」はその制度を強化していく過程で、「指導制」、「統治性」をますます発揮するようになる傾向があります。つまり大学を経営する。会社を経営する。国家を統治する。法律による取り締まりを強化する。ここに制度というものが心ある顔を失い、冷たい覚めた乾燥した、ゆとりのない、遊びのない個人に対し、よそよそしいものに対立し変貌していく可能性があるのです。(次回へ)1年以上ぶりの投稿です。すいません。頑張って続きまた書きます。

前回続き・完

2016-04-13 16:10:24 | Weblog
前回最後のところで、次の文章を引用しました。

「自然がおそるべき対立物としてあらわれたちょうどそのときに、原始人たちのうえに、最初のじぶん自身にたいする不満や異和感がおおい始める。動物的な生活ではじぶん自身の行為は、そのままじぶん自身の欲求であった。いまは、じぶんが自然に働きかけても、じぶんのおもいどおりにならないから、かれはじぶん自身を、じぶん自身に対立するものとして感ずるようになってゆく。狩や動物の採取にでかけても、住居にこもっても、かれじぶんがそうであるとかんがえている像のように実現されずに、それ以外のものをもって満足しなければならなくなる。」

このなかの「かれはじぶん自身を、じぶん自身に対立するものとして感ずるようになってゆく」というところ「じしんからの疎外」と置き換えて、次のような文章がちがう個所で出てきました。

「こういう古代人のじしんからの疎外は、部族のあいだのほかの部民との関係の中にあらわれる。たとえば、素朴な形では、狩の獲物や収穫の働きがすくないとか、おおいとか、かれは足がはやいがじぶんはおそいとか、夜眼がきくとかきかないとか、腕力がつよいとかよわいとかいうような、ちがいの意識としてあらわれたかもしれない。」

ここでいわれていることをまとめれば、ひとつは「自然そのものが人間の前におそるべき対立物としてあられること」もうひとつは「じしんからの疎外が、同じ生活をしているまわりの人間との関係のなかに自己疎外(不満や異和感)としてあらわれるということ」だと思います。

でも、考えてみると、自然に対しても、自分に対しても、現代でも同じことにやっていると思いませんか。たしかに、現代は自然をもっと制御していると思いますが、大震災や津波が来れば、自然の前で原始や古代と同じようになすすべがないのを思い知らされますし、自分に対しても、ほかの人に負けないよう、切磋琢磨して、自己をもっと磨こうと努力しています。そして自分を自分で納得できるように、頑張ります。ようするに、現代人もこのような本質的な「自然ともに生きる」ことの共通性から取り出せば、同じことを基本的に繰り返してきていることがわかります。ただ、この長い時間の差異は、人間の意識を強め、ことばをことばと取り出すようになり、文字を作り、書き留めるようになるという経験を積み重ねていきますが、対立する自然の克服、自己疎外の克服は本質的に人間としての営みとして共通の本質として取り出せると思います。

共通の本質は取り出しましたが、現在は原始、古代とは明らかに違うのはまちがいないですが、何がちがうのか、まず、ことばの問題からまた考えてみたいと思います。どう書くかすこし時間ください。






はるか原始の時代の人間をどう想像するか、そのとき地震は

2016-04-12 03:45:16 | Weblog
今の時代だって同じ条件はある。それはたくさんの加工された人工の自然の知恵によって守られるようになったとしても、「自然」のなかに生きなければならないという条件は同じなのだ。そこから遡って薄明の時代の人間をどう描くのか。それを次のように描いた人がいる。たしかにそういう気がすると思えたら、それは素敵な小説と同じで。その人は喜ぶだろう。彼はそこまで真剣に構想した。彼は根底的にすべてを考えた。彼は自然の猛威を書きながら、もしかしたら原始人のように感じることができたから、地震の猛威と津波も原始人のように恐れることができたかもしれない。わたしたちは、それほど自然をわすれていたのだろうか。

吉本ばななの父の故吉本隆明はそれを次のように描いた。


原始的な社会では、人間の自然に対する動物に似た関係のうちから、はじめに自然への異和の意識があらわれる。それはふくらんで自然が人間にはどうすることもできない不可解な全能物のようにあらわれる。

原始人がはじめに、狩や,糧食の採取を動物のようではなく、すこしでも人為的にはじめ、また、住居のために、意図して穴をほったり、木を組んでゆわえたり、風よけをこしらえたりしはじめるようになると、自然はいままでとはちがっておそろしい対立物として感ぜられるようになる。なぜならば、そのとき原始人は自然が悪天候や異変によって食とすべき動物たちをかれらが隠したり、食べるための植物の実を腐らせたり、住居を風によって吹き飛ばしたり、水浸しにしたりすることに気付くからだ。もちろん動物的な生活をしていたときでも、自然はおなじような暴威をかれらにふるったのだが、意識的に狩や植物の実の採取や、住居の組み立てをやらないかぎり、自然の暴威は、暴威として対立するとは感ぜられなかっただけだ。

この自然からの最初の疎外感のうちに、自然を全能者のようにかんがえる宗教的な意識の混濁があらわれる。そして、自然はそのとき原始人にとっては、生活のすべてに侵入しているなにものかである。狩や野生の植物の実の採取のような{労働}も、人間と人間とのあいだのじかの自然関係である{性}行為も{眠り}も、眠りのなかにあらわれる{夢}のような表象もふくめて、自然は全能であるかのようにあらわれる。

そうして、自然がおそるべき対立物としてあらわれたちょうどそのときに、原始人たちのうえに、最初のじぶん自身にたいする不満や異和感がおおい始める。動物的な生活ではじぶん自身の行為は、そのままじぶん自身の欲求であった。いまは、じぶんが自然に働きかけても、じぶんのおもいどおりにならないから、かれはじぶん自身を、じぶん自身に対立するものとして感ずるようになってゆく。狩や動物の採取にでかけても、住居にこもっても、かれじぶんがそうであるとかんがえている像のように実現されずに、それ以外のものをもって満足しなければならなくなる。

まだ導入部ですが、どうでしょう。わたしには「そんな感じがする」と思えるのですが、それは、もしかしたら、わたしたちがやはり、自然のなかに生きていることに今の時代も変わりがないと思えるからのような気がします。ここには原始人が感じるだけでなく、人間が自然のなかで生きていかざるを得ない普遍的な心的な問題が重ねて語られ始めていると思えます。(言語にとって美とは何かⅡより引用)

まだ続けて引用中心に書いてみます。原始の時代をもうすこし身近に感じられたらと思います。