気まぐれ人間の気まま情報新聞

どこかにいる、もう一人の自分のようなみんなへの、ひとりごとのような、語りかけのような、あいまいな発信基地不明の新聞です。

東日本大震災5年後についてー続き

2016-03-19 14:08:29 | Weblog
震災直後から地震についての番組を、たくさん録画していて、消さずにというか、消せなくてそのままです。5年後も3月11日前後に特集があって、また録画が増えてしまいました。

そのなかに亡くなった方が861人、行方不明が今現在で421人ととびぬけて行方不明が多いというで岩手県大槌町「風の電話 残された人々の声」というNHKの番組があり、海の見える高台の個人の敷地の中に作られた線のつながってないダイヤル式の
電話ボックスから亡くなった人にそっと語りかけるところを、架ける本人の了解をいただいて、テレビ放映する番組でした。


その電話ボックスを作った方は震災前に亡くなったいとこのためにつくったとのことで震災後開放したとこことでしたが次のように話されていました。

「どんな苦労でも、つらいことでも希望があれば生きていけるわけよ。だから、その想いをつなぐもの、帰らぬ人に想いをつなげることができるということが大事だなと思って」

どちらかというと男性が多いとのことでしたが、たくさんの人が来ていて、それぞれの思いを切れ切れに重く語りかけるように話していました。そのなかにとても、記憶に残る語りかけがあり、ことばに起こしてみました。その方は40才前後の男性でした。ご両親と妻と1歳の子供をなくされたとのこと。

「父さん 母さん ミネちゃん イッセイ 
震災からもう5年だね。もしこの声が届くなら、話を聞いてくください。時々なんのために生きているんだかわからなくなって来る時があるんだよ。イッセイ 一度でいいから パパっていってほしかった また声を聴きたかった。 新しい家建てても 父さん 母さん ミネちゃん イッセイ いないから意味がない 返事が聴きたいのに聞こえない  ごめん 助けてあげられなくて ほんとにごめん」

電話のあとかみしめるように次のようにインタビューに答えていました。

「確かにつらいんだけど、もし自分が家族のことをつらいから忘れようとしたら、じゃあ誰がうちの家族ったちが生きてた証 全員大槌町にいたんだっていう記憶すらなくなってしまうんじゃないかな、家族のことを忘れたら誰が覚えてるんだっていう話になるから だから死ぬまでたぶん忘れない。」 

この方の最後のことばは、わたしが前回書いた気持ちと同じだと思いました。自分が覚えていてあげなければ、誰も覚えてくれる人がいなくなる、だから自分が生きている限りはそうしたい、そんな想いだと思います。
もう5年ではなくて、まだ5年しかたってないという方もいました。


東日本大震災について

2016-03-11 11:24:59 | Weblog
以前神戸の震災について書いたとき、次のように書きました。

「新しく考案された心の「復興曲線」による100人のその後の調査によれば、震災後3年から5年後に震災直後より上がって元に戻ろうとしてきていた心の復興曲線が3割以上の人で逆に下降していくという。家族の死や家の崩壊を目の当たりにしたとき、すぐそれを距離をもって見ることはできない。そのなかからなんとか抜け出して必死で残った家族、自分のため生活の再建に生きていくのを優先する。ところが必死で切り抜けたとき、本当の喪失の大きさが迫ってくるというのだ。」

今その5年後ですね。だいじななにかを失うというのはそれが人であれ、動物でも同じですね。だいじなものを失ったとき、どう考えて生きていけばいいのか考えてきました。それはいつかだれにも来ますね。
考え着いたのは、そのだいじなものを心の中に生きているように思い続ける、灯し続けるということでした。それが、自分の生きていく心を照らしてくれるし、その失っただいじな人や動物を忘れずによみがえらせる唯一のやり方だと思いました。ある被災者がいった言葉に重みがありました。自分の家族も失い、築いてきた家庭の歴史も失ったと。家を失うことは単に財産を失っただけなのではないのですね。その築いてきた家族の歴史ももぎ取られてしまうということですね。だから物を失っただけではなく生活の思い出の歴史も失うということで、それはつらいことですね。

5年後に思う気持ちは変わりません。心の復興は簡単ではないということですね。こんな思いで黙って心の中で密かに応援するしかありません。