震災直後から地震についての番組を、たくさん録画していて、消さずにというか、消せなくてそのままです。5年後も3月11日前後に特集があって、また録画が増えてしまいました。
そのなかに亡くなった方が861人、行方不明が今現在で421人ととびぬけて行方不明が多いというで岩手県大槌町「風の電話 残された人々の声」というNHKの番組があり、海の見える高台の個人の敷地の中に作られた線のつながってないダイヤル式の
電話ボックスから亡くなった人にそっと語りかけるところを、架ける本人の了解をいただいて、テレビ放映する番組でした。
その電話ボックスを作った方は震災前に亡くなったいとこのためにつくったとのことで震災後開放したとこことでしたが次のように話されていました。
「どんな苦労でも、つらいことでも希望があれば生きていけるわけよ。だから、その想いをつなぐもの、帰らぬ人に想いをつなげることができるということが大事だなと思って」
どちらかというと男性が多いとのことでしたが、たくさんの人が来ていて、それぞれの思いを切れ切れに重く語りかけるように話していました。そのなかにとても、記憶に残る語りかけがあり、ことばに起こしてみました。その方は40才前後の男性でした。ご両親と妻と1歳の子供をなくされたとのこと。
「父さん 母さん ミネちゃん イッセイ
震災からもう5年だね。もしこの声が届くなら、話を聞いてくください。時々なんのために生きているんだかわからなくなって来る時があるんだよ。イッセイ 一度でいいから パパっていってほしかった また声を聴きたかった。 新しい家建てても 父さん 母さん ミネちゃん イッセイ いないから意味がない 返事が聴きたいのに聞こえない ごめん 助けてあげられなくて ほんとにごめん」
電話のあとかみしめるように次のようにインタビューに答えていました。
「確かにつらいんだけど、もし自分が家族のことをつらいから忘れようとしたら、じゃあ誰がうちの家族ったちが生きてた証 全員大槌町にいたんだっていう記憶すらなくなってしまうんじゃないかな、家族のことを忘れたら誰が覚えてるんだっていう話になるから だから死ぬまでたぶん忘れない。」
この方の最後のことばは、わたしが前回書いた気持ちと同じだと思いました。自分が覚えていてあげなければ、誰も覚えてくれる人がいなくなる、だから自分が生きている限りはそうしたい、そんな想いだと思います。
もう5年ではなくて、まだ5年しかたってないという方もいました。
そのなかに亡くなった方が861人、行方不明が今現在で421人ととびぬけて行方不明が多いというで岩手県大槌町「風の電話 残された人々の声」というNHKの番組があり、海の見える高台の個人の敷地の中に作られた線のつながってないダイヤル式の
電話ボックスから亡くなった人にそっと語りかけるところを、架ける本人の了解をいただいて、テレビ放映する番組でした。
その電話ボックスを作った方は震災前に亡くなったいとこのためにつくったとのことで震災後開放したとこことでしたが次のように話されていました。
「どんな苦労でも、つらいことでも希望があれば生きていけるわけよ。だから、その想いをつなぐもの、帰らぬ人に想いをつなげることができるということが大事だなと思って」
どちらかというと男性が多いとのことでしたが、たくさんの人が来ていて、それぞれの思いを切れ切れに重く語りかけるように話していました。そのなかにとても、記憶に残る語りかけがあり、ことばに起こしてみました。その方は40才前後の男性でした。ご両親と妻と1歳の子供をなくされたとのこと。
「父さん 母さん ミネちゃん イッセイ
震災からもう5年だね。もしこの声が届くなら、話を聞いてくください。時々なんのために生きているんだかわからなくなって来る時があるんだよ。イッセイ 一度でいいから パパっていってほしかった また声を聴きたかった。 新しい家建てても 父さん 母さん ミネちゃん イッセイ いないから意味がない 返事が聴きたいのに聞こえない ごめん 助けてあげられなくて ほんとにごめん」
電話のあとかみしめるように次のようにインタビューに答えていました。
「確かにつらいんだけど、もし自分が家族のことをつらいから忘れようとしたら、じゃあ誰がうちの家族ったちが生きてた証 全員大槌町にいたんだっていう記憶すらなくなってしまうんじゃないかな、家族のことを忘れたら誰が覚えてるんだっていう話になるから だから死ぬまでたぶん忘れない。」
この方の最後のことばは、わたしが前回書いた気持ちと同じだと思いました。自分が覚えていてあげなければ、誰も覚えてくれる人がいなくなる、だから自分が生きている限りはそうしたい、そんな想いだと思います。
もう5年ではなくて、まだ5年しかたってないという方もいました。