「翁の“ガハハ”な山家の暮らし」=放念な日々のエピソード

山に囲まれた小さな盆地、その山家で季節と向き合い、愉快な仲間と戯れながら、我が道を行く翁の小さなドラマ(放念の翁)

◆ 人間らしく生きる ◆   3932

2018-02-26 17:41:09 | 日記

うも、三郎さん。いやあ、今週末は3月、雛祭り、そして「啓蟄」だわ。以前には24節気の農事暦があって、農作業の準備、種まき、収穫時期などが記されていたが、この頃の暦には見られないわ』、『やあ、翁さん、もう1年の6分の1が過ぎて、暑くなり秋が来て正月、365日は早いよ、ハハハハ。以前の農業は暦で「適期、適地、適作」で作物を選別したが、もうどこでも「特産地」だよ、ファハハハ』

生品種やハウス栽培、さらには野菜工場で「旬」がなくなり、1年中トマト、ナス、キュウリなどが、そして低温保存倉庫で備蓄したキャベツ、白菜、人参、大根など気象とは無縁の野菜作りだからな、三郎さん』、『いや、全くだ。婆さんの話では、野菜高で冷凍野菜が安いそうだが、産地は海外、どんな栽培方法なのかはブラインドだよ。中国では掃除のモップ洗いシンクで野菜も洗うそうで』

ローライフの原点が農林魚業だったが、そんな姿を探すのは容易でないよ。暮らしそのものが「真逆」に、それに合わせて生産物の供給だから、日本にはいわゆる「自然人」がいなくなったのさ』、『全くだな、俺は「自然主義」で暮らしてきたつもりだが、環境に歪められてきたな、近代科学が「自然科学」を否定してきたからだよ、ハハハハ。5年先の世の中は見たくないよ、翁さん』

『 “っ茶会” の皆さんは野菜は露地栽培で季節野菜を作っているが、病害虫に強く、生産量が多く、くせが無いなどに苗や種が品種改良されて、本来の野菜の味がしなくなってと言うな』、『経済計画に農業がどのように位置づけられているか知らないが、農業が商業主義に振り回されて、食物の量的な確保に形振り構わずだよ。その3割が食物残渣で捨てられる、学校では教えないだろうがな』
     
                                          
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あとがき==農業が消費者の目から次第に見えなくなって来て、百姓に感謝をする気持も失せてしまったよ、ガハハハ==放念の翁


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