一昨日で、沖縄が日本に復帰してから43年が経った。(1972年5月15日)
その時、ka-sanは、小学校の高学年だった。
大人たちが、大勢、与儀公園に集まって、県民大会が開かれたのを、子供ながらに覚えている。
沖縄県民は、日本復帰に際し、「即時・無条件、全面返還」 を強く望んだのに、
米軍基地や、さまざまな問題が持ちこされたままの復帰で、
43年経った今でも
沖縄県民は、幾度も県民総決起大会を開き、政府に抗議を続けている。
明日は、
沖縄セルラースタジアムで、
「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」が開催される。
こうしている間に、「 普天間基地で、事故が起こったら 」 と考えると、
不安で、苦しくて、いたたまれない気持ちだけど、
未来に、沖縄から基地をすべて撤去させるためには、辺野古に新基地を建設させてはいけない。
戦争は嫌だ。 戦争につながる何もかもが嫌だ。
明日の大会に、ka-sanは参加できないけど、
シンボルカラーの 青 を身に付けて、辺野古移設反対の意思を示すつもりだ。
その時、ka-sanは、小学校の高学年だった。
大人たちが、大勢、与儀公園に集まって、県民大会が開かれたのを、子供ながらに覚えている。
沖縄県民は、日本復帰に際し、「即時・無条件、全面返還」 を強く望んだのに、
米軍基地や、さまざまな問題が持ちこされたままの復帰で、
43年経った今でも
沖縄県民は、幾度も県民総決起大会を開き、政府に抗議を続けている。
明日は、
沖縄セルラースタジアムで、
「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」が開催される。
こうしている間に、「 普天間基地で、事故が起こったら 」 と考えると、
不安で、苦しくて、いたたまれない気持ちだけど、
未来に、沖縄から基地をすべて撤去させるためには、辺野古に新基地を建設させてはいけない。
戦争は嫌だ。 戦争につながる何もかもが嫌だ。
明日の大会に、ka-sanは参加できないけど、
シンボルカラーの 青 を身に付けて、辺野古移設反対の意思を示すつもりだ。