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徒然なるままに いとをかし!

沖縄の青い海と空の下、犬 ねこ うさぎとののんびりとした生活。変わりなく過ぎ行く時間の中で、ふと見つけた感動。

勝連城址

2014年11月26日 08時00分50秒 | 琉球王国のグスク及び関連遺産群
勝連城跡に行った。  

 うつくしい~

勝連城跡は、

2000年12月に登録された世界遺産 “ 琉球王国のグスク及び関連遺産群(9箇所) ”の一つ。

その中でも最古のグスク らしい。

 三の曲輪

二の曲輪 ↓ には、首里城正殿のような柱の多い立派な建物があったと考えられる。 らしい。

 二の曲輪


勝連城跡からは、

宋・元・明代の中国陶磁器や、東南アジアの陶器、日本や高麗系の瓦、

中国や日本の古銭、玉類、銅製品、鉄製品、甲冑片が発掘されている事から、

勝連は、海外貿易の中心地として栄えたと考えられる。 らしい。

 グスクからの眺め

駐車場にある休憩所では、

売店や、畳間があって、ゆっくり休めるし、Wi-Fiも繋げられて、便利だし、

 休憩所

“ 東江ツルおばあちゃん ” が、びっくりさせてもくれる。 

 本物かと思った! 










首里城

2014年04月27日 08時55分01秒 | 琉球王国のグスク及び関連遺産群
お正月に、首里城公園の年間パスポート↓ を作ってたので、



再度、首里城を訪れた。



今回は、1月24日から一般公開されている、

「黄金御殿(くがにうどぅん)」「奥書院」「近習詰所」「寄満(ゆいんち)」の四つの建物を中心に、

無料ガイドを利用して、案内してもらった。





ここは、国王のプライベートな生活空間で、

黄金御殿は、国王の寝室、

奥書院は国王が執務の合間に休憩した所、

近習詰所は国王の身の回りの世話役20人余りが詰めた控室、

寄満は王族の調理場だった。 らしい。

正殿裏の「御内原(おうちばら)」と呼ばれる場所にあって、

男子禁制だった。 らしい。


全員に、イヤホンマイクが渡されて、城内を見学したので、

 イヤホンマイク

人混みの中でも、ガイドさんの声が、はっきり聞こえて、わかりやすかった。

それから、

同じグループに、車椅子のおばあちゃん一家も参加されていたんだけど、



首里城内は、

車椅子用エレベーター、リフト、







スロープ、専用トイレ等が完備されてて、

琉装の職員が、サポートしてくれたので、

スムーズに移動できて、家族で楽しめてた。みたい。


見学後には、琉球石灰岩の庭園を眺めながら、

鎖之間でのんびりとお茶とお菓子を頂いて、

 琉球菓子4種 お茶おかわり自由で 320円

“ あ~ 首里城が復元できて、ほんとに良かった ” って、

しみじみ思った。 














尚巴志王

2014年02月17日 08時29分48秒 | 琉球王国のグスク及び関連遺産群
琉球王国最初の統一王朝を成立させた、第一尚氏・第2代 尚巴志王 のお墓は、 

読谷村伊良皆の佐敷森(さしきむい)と呼ばれる森の中にあった。

ここは、米軍の黙認耕作地エリアになっているらしく、

草が刈り取られた歩きやすい道が続いていて、

途中に、「尚巴志之墓」と書かれた石標がある。





さらに奥に入ると、

大きな岩の洞穴を利用した陵墓があった。







ここには、尚巴志王と、

第3代 尚忠王

第4代 尚思達王 が葬られている。 


尚巴志の墓は、もとは、首里の 天山陵 にあったが、

金丸(第二尚氏・尚円王)派によって起こったクーデターにより、

天山陵が焼き討ちにあった時、

忠臣の平田之子と、屋比久之子が、遺骨を持って読谷村に逃げ、

ここに安置したといわれている。 









佐敷ようどれ

2014年02月08日 08時49分02秒 | 琉球王国のグスク及び関連遺産群
佐敷ようどれ をお参りした。 

佐敷ようどれは、第一尚氏王統・第1代、尚思紹王が葬られている墓。

南城市佐敷、航空自衛隊知念分屯基地内にあった。

基地ゲートで、名前と住所を記入すると、



若い自衛隊員が案内してくれた。

佐敷ようどれは、ゲートから200メートル程歩いた所にあった。







佐敷ようどれは、

最初、佐敷城近くの崖下にあったが、風雨による損壊が目立ったので、

1764年、ここに移築されたらしい。



尚思紹夫妻ら家族7人の遺骨が安置されている。 らしい。

琉球石灰岩を用いて建造され、屋根は、半円形、駕篭(かご)型の独特な形をしている。




尚思紹王は、

三山(南山 中山 北山)を滅ぼし、

琉球王国最初の統一王朝を成立させた、尚巴志(第2代王) の父。

尚巴志は、第一尚氏王統・第1代王に父である尚思紹を即位させた。 らしい。













牧港 テラブのガマ

2014年02月03日 08時21分45秒 | 琉球王国のグスク及び関連遺産群
牧港の “ テラブのガマ ” に行った。

前に、浦添市文化財ガイドブック “ ぶらり浦添歴史の散歩道 ” を頼りに、

あっちこっち歩いて探したんだけど見つけきれなくて、

浦添市教育委員会に電話をかけて、詳しく場所を教えてもらってた。。


テラブのガマは、

牧港のマクドナルドの駐車場の上の、



植栽の中にあった。





階段を降りると、ガマの入り口があって、



中は、琉球石灰岩の自然洞窟になっていた。





つらら状の鍾乳石があった。





都心の国道沿いののこんな所に、ガマがあるなんて、思いもよらなかった。


テラブのガマには、“ 為朝伝説 ” がある。 (中山世鑑より)

伝説に依ると、

1165年に今帰仁の運天港に漂着した源為朝は、大里按司の妹を妻に迎え、男子をもうけた。 

しかし、為朝は浦添から出航し帰郷。残された妻子はこの洞穴で為朝を待ちわびた。

以来この地はマチナト(牧港)と呼ばれるようになったという。
その子の名は、尊敦と言い、後の 舜天王 である。 
 らしい。

これによると、琉球の歴史の最初の王統の始祖、舜天は、

源氏の子孫って事になるのか?