ブラジル人だからといって、揃いも揃ってサンバが好きで、ダンスが好きで、カーニバルの熱狂が好きというわけではない。高級住宅地レブロンに住む年金暮らしの友人セルソは、カーニバルが始まっても決して彼の生活スタイルを変えることはない。
すなわち、昼間はイパネマのビーチでバレーボールに興じ、ビールやカイピヴォチカ(カイピリーニャはサトウキビの焼酎ピンガに柑橘果汁と砂糖を入れた国民的カクテルだが、カイピヴォチカはピンガの代わりにウォッカを入れたもの。口当たりがマイルドだがとても強い)を呑みながら友人達と歓談し、陽が傾く頃に自宅に戻り愛犬ラッキーを散歩に連れて行き、夜、パーティの約束がある日はそれに備えて一眠りし、無い日は酔いつぶれるまでウィスキーコークを呑む。
それが彼の日常で、カーニバルであろうとなかろうと変わらない。それにしても、ほんの数行で書き尽くしてしまう彼の生活は、カリオカにとっての理想であるかもしれないが、日本人にとっては理想といえるかどうか。
おおむね白人系の人達の中に、サンバにさほど興味を示さず、カーニバルの到来にも醒めた顔をする者がいる一方、黒人系の人達の中から、それらを好まない人を見つけるのは難しいだろう。
サンバは奴隷制廃止後、奴隷貿易の中心地であったバイア地方からリオ・デ・ジャネイロに移り住んだ黒人達が持ち込んだ音楽が変化して生まれたものであり、リオのカーニバルは、20世紀初めに黒人居住区のパレードが規模を広げ、豪華絢爛な仮装行列エスコーラ・デ・サンバ、その舞台であるサンボードロモと呼ばれる巨大な直線型のスタジアムの登場と、現在に至るスタイルを創り上げるに至った。サンバとリオのカーニバル、このふたつはリオの黒人の誇りであり、黒人としての意識の表現形態である。(※)
大家のスエリーが、サンボードロモでエスコーラ・デ・サンバの予行パレードがあるから見に行かないかと、彼女の電話を受けた従姉妹のクリスチーナが私に伝えた。大晦日3日前の金曜日のことである。
昨今、私は金欠のため出不精になっていて、週末になるとスエリーから踊りに行こうという誘いを何度か受けたが、全て断っていた。今回その気になったのは、エスコーラ・デ・サンバの予行パレードが入場料無料で観覧できると聞いたからだ。彼女達はその後踊りに行くだろうが、私はパレードだけ見て帰るつもりで、クリスチーナに私も同行すると伝えた。
スエリーが勤め先から帰ってくる間、クリスチーナは鏡に向かって入念に髪を整え、丹念に化粧を施している。まるで革靴を磨けば磨くほど輝きが増していくように、彼女の姿が徐々に艶やかになってゆく。
おそらく1時間以上費やしただろう。ようやく完成したと見えて、彼女は鏡から離れ、私の方に身体を向けた。背が高く、スタイルは良いのだが、顔の輪郭が強いので、素顔だと男性的な印象を受けていたが、化粧によって彫りの深い容姿が華やぎ、いっそう端整になった。
「リュウイチ、どう私?」とクリスチーナは単刀直入に尋ねる。「ベレーザ(美しい)!」と私は大仰に答える。彼女ははちきれんばかりに笑みを浮かべ、ありがとうといいながら私に抱きつく。単純である。
ボーイハントの予行演習のつもりか、彼女は白のショートパンツをはいたお尻を揺すりながらリズミカルに歩く。黒い肌を露出したふくらはぎ、腿、腹、肩、そして顔には銀色のラメが光っている。
「君とすれ違う男が皆振り向くよ」と私がお追従を言うと、彼女はハスキーな声をくぐもらせ、「私は男に見られるのは好きではないのよ」と言う。可笑しさあほらしさで舌がにゅうと伸びそうになったので、それ以上からかうのを止めて部屋に引っ込んだ。
スエリーが戻った頃には辺りも薄暗くなっていた。今度は彼女のお手入れの番かと覚悟したが、彼女はさほど化粧には関心が無いようで、黒く縮れた髪を整えたに留まった。
とはいえ彼女も自分のアピール・ポイントを心得ていた。小柄で痩せ型の彼女は、普段のGパンにTシャツ姿では人目を引くタイプではないが、短い丈のシャツとショートパンツに着替えた彼女は、ジムで締まった腹を露出し、ぴっちりした紺のパンツは玉のようなお尻の輪郭をなぞっていた。
「イエーイ、サンバ!」と腰を振ってはしゃぐスエリーのお尻はなるほど可愛らしい。ブラジル男性がもっとも重視する女性の外見はお尻であり、それは女性とすれ違う際に視線をお尻に定めて振り返る男性が多いことで証明されるが、スエリーのお尻を見ながら、私もブラジル男性に共感を覚え始めた。
彼女たちふたりとスエリーの友人のベルギー人ペーターを加えた4人で出発するはずが、私がトイレに入っている間に彼らは先に出かけてしまった。そういえばスエリーに私も同行するということを伝えていなかった。
だが、クリスチーナは私が行くということは知っている筈なので、彼女に対して腹が立つとともに、自分の語学力の欠如から、全てが曖昧のままに進行するこの世界に腹が立った。
幸いバス停で彼らに追いついたので、私はクリスチーナを一喝し、それで気持ちを切り替えることにした。ブラジルで暮らしながらいつまでも根にもっても仕方がない。クリスチーナも他のメンバーも初めは気を使っていたようだが、すぐにそんな気配は霧消し、ざっくばらんな雰囲気の中、バスは目的地へと向かった。
ところが、大勢の観客で賑わっているはずのサンボードロモに人影は無かった。今日パレードがあるというスエリーの情報はガセネタだったようだ。私としても、ここで皆と別れるわけにはいかないので、呑みに行く分には付き合うことにした。
フェリーの船着場があるプラサ・キンゼは、港湾都市リオ・デ・ジャネイロの発祥ともいえる場所で、界隈の車歩道は石畳が敷かれ、石造りの古い建物が軒を連ねている。夜になると車は通行禁止となり、バーのテーブルと椅子が車道を占領する。我々はそんなバーの一軒に入り、ビールを呑んだ。
週末なので、周囲は若者を中心とした客で賑わっていたが、皆ビールをひたすら呑み、声高に仲間としゃべっている。カリオカはおつまみなしで酒を呑む者が多い。ビールで私の腹は水っぽくなり、こんなときに、酒のつまみに事欠かない日本が懐かしくなる。
バーを後にし、4人ともほろ酔い気分でシャッターの閉じた大通りを歩いていると、加速しながら我々の傍らを走り抜けていったタクシーが、我々の50メートル程先で急ブレーキの大きな音を立てたかと思うと、一人の男が車の正面で跳ね飛ばされ、路上をうめきながら悶絶している姿が見えた。
運転手がドアを開けて男に駆け寄ったと同時に、暗く人気のない通りのどこに隠れていたのかと思うほど大勢の人が事故現場の回りに集まり出した。
スエリーとクリスチーナは生々しい光景に度を失い、私やペーターの腕にすがりついたが、私は一大事が起こったという感情が湧かず、この事故が日常の光景の延長のように感じられた。それはこの事故が、ひょっとしたら被害者が金目当てで故意に仕掛けたかもしれないという疑念が生じていたからだ。
『これまでの長い人生で2度しか事故の瞬間を目撃していないのに、リオに来て1年と少しでそのような偶然に出くわすものだろうか。偶然の確率を高める要素が働いているのではないか。それは、この街でよくあることだが、狙われたということではないか。あたかも私が強盗に狙われたように、あのタクシーも狙われたのだ。』という思いが、そのときは漠然とではあるが浮かんでいた。
むろん私には真相は分からないし、事故に遭遇した私が、偶然という受け入れ難いものに対して、無意識につじつま合わせをしたのかもしれないけれど。
ビルの谷間を抜けると、ひときわ広い空間と、おびただしい人の群れが我々の視界に飛び込み、我々は先ほどの事故のことなど脳みそから消し飛んだ。ラパに来た。
かつてのラパは高級住宅街であったが、20世紀に入りスラム化が進むとともに、金持ちの住人は他に移ってしまい、街はさびれた。しかしながら近年、古い建物を改装してサンバや若者向けの音楽を流すクラブやバーが現れ、忘れ去られた街は一躍音楽と踊りが好きな若者達の聖地となった。今でも決して治安が良いとはいえないが、週末は真夜中であっても真昼のショッピングセンターのように若者で賑わう。
人の波をかき分け、我々は路地裏の一軒のスタンドバーに立ち寄り、ビールを注文した。椅子もなく、軽食を置いたショーケースがせり出した狭苦しい店内に人々がぎっしり詰まっており、人垣の向こうに楽器を持ったバンドがサンバを演奏している。息をするのも苦労するような狭い空間の中でも、集まった人達は思い思いに身体を揺すらせ、サンバを踊っている。
クリスチーナとペーターはまるで鎖から解き放たれたかのようにショーケースの前で踊り始めた。黒い肌のクリスチーナがハイヒールを履いた足を小刻みに動かし、お尻を揺すらせるその姿は、サンバの女王の称号を贈りたくなるほど堂に入っている。
ところが彼女を上回るダイナミックな踊りで人々の注目集めたのはベルギー人のペーターであった。彼は休暇となれば必ずブラジルを訪れ余暇を過ごす、この国の魅力に取り付かれた男である。ブラジルを楽しむには女と踊りが欠かせないことを彼は十分に心得ている。だから彼にはブラジル人の彼女もいる。彼を見ていると、いったい何のために私がこの国に居るのか分からなくなる。
と、男の二人連れが近づいてきて、そのうちのひとりがショーケース越しに店主に何か注文しようとしたが、我々のダンスに遮られて注文ができない。残ったひとりが何か叫びながら手でこっちに来いというしぐさをする。
てっきり我々が彼らの注文の邪魔になるのでショーケースから離れろと言っているのだと思い、私は横に退いたが、ペーターとクリスチーナはかまわず踊っている。どうなるのかと思い様子を伺っていると、実は手で呼び戻したのは彼の相棒の方で、踊りの邪魔になるから離れろということらしい。ダンスが全てに優先する国、ブラジルである。
ひとしきり踊り、呑み、串肉を食べた後、彼らはサンバクラブに行くことになった。彼らにとってのメイン・ディッシュである。そして私にとっての宴の終わりである。
ふと気付くと、私の持っていたずた袋が軽い。調べてみると一箇所大きく切り裂かれており、中身を調べると手帳がなくなっていた。おそらく誰かが手帳を財布だと思い、ナイフを使って盗んだに違いない。現金は取られなかった。
それでもこまごまとしたことを書き留めていた手帳を失った無念さと、酔いで注意力が散漫になっていた自分の迂闊さに対する後悔と、もしかすると私がカモにしやすいアジア人であるために狙われたのかも知れぬという屈辱が、静かに私の横腹に染み出してきた。
彼らと別れ、ひとりで人々がたむろする広場を徘徊しつつ、酔った頭で「来るなら来い、相手になってやるぞ」と二の腕をまくり、周囲を見回した。
(※)参考文献 ブラジル日本商工会議所編 現代ブラジル事典
すなわち、昼間はイパネマのビーチでバレーボールに興じ、ビールやカイピヴォチカ(カイピリーニャはサトウキビの焼酎ピンガに柑橘果汁と砂糖を入れた国民的カクテルだが、カイピヴォチカはピンガの代わりにウォッカを入れたもの。口当たりがマイルドだがとても強い)を呑みながら友人達と歓談し、陽が傾く頃に自宅に戻り愛犬ラッキーを散歩に連れて行き、夜、パーティの約束がある日はそれに備えて一眠りし、無い日は酔いつぶれるまでウィスキーコークを呑む。
それが彼の日常で、カーニバルであろうとなかろうと変わらない。それにしても、ほんの数行で書き尽くしてしまう彼の生活は、カリオカにとっての理想であるかもしれないが、日本人にとっては理想といえるかどうか。
おおむね白人系の人達の中に、サンバにさほど興味を示さず、カーニバルの到来にも醒めた顔をする者がいる一方、黒人系の人達の中から、それらを好まない人を見つけるのは難しいだろう。
サンバは奴隷制廃止後、奴隷貿易の中心地であったバイア地方からリオ・デ・ジャネイロに移り住んだ黒人達が持ち込んだ音楽が変化して生まれたものであり、リオのカーニバルは、20世紀初めに黒人居住区のパレードが規模を広げ、豪華絢爛な仮装行列エスコーラ・デ・サンバ、その舞台であるサンボードロモと呼ばれる巨大な直線型のスタジアムの登場と、現在に至るスタイルを創り上げるに至った。サンバとリオのカーニバル、このふたつはリオの黒人の誇りであり、黒人としての意識の表現形態である。(※)
大家のスエリーが、サンボードロモでエスコーラ・デ・サンバの予行パレードがあるから見に行かないかと、彼女の電話を受けた従姉妹のクリスチーナが私に伝えた。大晦日3日前の金曜日のことである。
昨今、私は金欠のため出不精になっていて、週末になるとスエリーから踊りに行こうという誘いを何度か受けたが、全て断っていた。今回その気になったのは、エスコーラ・デ・サンバの予行パレードが入場料無料で観覧できると聞いたからだ。彼女達はその後踊りに行くだろうが、私はパレードだけ見て帰るつもりで、クリスチーナに私も同行すると伝えた。
スエリーが勤め先から帰ってくる間、クリスチーナは鏡に向かって入念に髪を整え、丹念に化粧を施している。まるで革靴を磨けば磨くほど輝きが増していくように、彼女の姿が徐々に艶やかになってゆく。
おそらく1時間以上費やしただろう。ようやく完成したと見えて、彼女は鏡から離れ、私の方に身体を向けた。背が高く、スタイルは良いのだが、顔の輪郭が強いので、素顔だと男性的な印象を受けていたが、化粧によって彫りの深い容姿が華やぎ、いっそう端整になった。
「リュウイチ、どう私?」とクリスチーナは単刀直入に尋ねる。「ベレーザ(美しい)!」と私は大仰に答える。彼女ははちきれんばかりに笑みを浮かべ、ありがとうといいながら私に抱きつく。単純である。
ボーイハントの予行演習のつもりか、彼女は白のショートパンツをはいたお尻を揺すりながらリズミカルに歩く。黒い肌を露出したふくらはぎ、腿、腹、肩、そして顔には銀色のラメが光っている。
「君とすれ違う男が皆振り向くよ」と私がお追従を言うと、彼女はハスキーな声をくぐもらせ、「私は男に見られるのは好きではないのよ」と言う。可笑しさあほらしさで舌がにゅうと伸びそうになったので、それ以上からかうのを止めて部屋に引っ込んだ。
スエリーが戻った頃には辺りも薄暗くなっていた。今度は彼女のお手入れの番かと覚悟したが、彼女はさほど化粧には関心が無いようで、黒く縮れた髪を整えたに留まった。
とはいえ彼女も自分のアピール・ポイントを心得ていた。小柄で痩せ型の彼女は、普段のGパンにTシャツ姿では人目を引くタイプではないが、短い丈のシャツとショートパンツに着替えた彼女は、ジムで締まった腹を露出し、ぴっちりした紺のパンツは玉のようなお尻の輪郭をなぞっていた。
「イエーイ、サンバ!」と腰を振ってはしゃぐスエリーのお尻はなるほど可愛らしい。ブラジル男性がもっとも重視する女性の外見はお尻であり、それは女性とすれ違う際に視線をお尻に定めて振り返る男性が多いことで証明されるが、スエリーのお尻を見ながら、私もブラジル男性に共感を覚え始めた。
彼女たちふたりとスエリーの友人のベルギー人ペーターを加えた4人で出発するはずが、私がトイレに入っている間に彼らは先に出かけてしまった。そういえばスエリーに私も同行するということを伝えていなかった。
だが、クリスチーナは私が行くということは知っている筈なので、彼女に対して腹が立つとともに、自分の語学力の欠如から、全てが曖昧のままに進行するこの世界に腹が立った。
幸いバス停で彼らに追いついたので、私はクリスチーナを一喝し、それで気持ちを切り替えることにした。ブラジルで暮らしながらいつまでも根にもっても仕方がない。クリスチーナも他のメンバーも初めは気を使っていたようだが、すぐにそんな気配は霧消し、ざっくばらんな雰囲気の中、バスは目的地へと向かった。
ところが、大勢の観客で賑わっているはずのサンボードロモに人影は無かった。今日パレードがあるというスエリーの情報はガセネタだったようだ。私としても、ここで皆と別れるわけにはいかないので、呑みに行く分には付き合うことにした。
フェリーの船着場があるプラサ・キンゼは、港湾都市リオ・デ・ジャネイロの発祥ともいえる場所で、界隈の車歩道は石畳が敷かれ、石造りの古い建物が軒を連ねている。夜になると車は通行禁止となり、バーのテーブルと椅子が車道を占領する。我々はそんなバーの一軒に入り、ビールを呑んだ。
週末なので、周囲は若者を中心とした客で賑わっていたが、皆ビールをひたすら呑み、声高に仲間としゃべっている。カリオカはおつまみなしで酒を呑む者が多い。ビールで私の腹は水っぽくなり、こんなときに、酒のつまみに事欠かない日本が懐かしくなる。
バーを後にし、4人ともほろ酔い気分でシャッターの閉じた大通りを歩いていると、加速しながら我々の傍らを走り抜けていったタクシーが、我々の50メートル程先で急ブレーキの大きな音を立てたかと思うと、一人の男が車の正面で跳ね飛ばされ、路上をうめきながら悶絶している姿が見えた。
運転手がドアを開けて男に駆け寄ったと同時に、暗く人気のない通りのどこに隠れていたのかと思うほど大勢の人が事故現場の回りに集まり出した。
スエリーとクリスチーナは生々しい光景に度を失い、私やペーターの腕にすがりついたが、私は一大事が起こったという感情が湧かず、この事故が日常の光景の延長のように感じられた。それはこの事故が、ひょっとしたら被害者が金目当てで故意に仕掛けたかもしれないという疑念が生じていたからだ。
『これまでの長い人生で2度しか事故の瞬間を目撃していないのに、リオに来て1年と少しでそのような偶然に出くわすものだろうか。偶然の確率を高める要素が働いているのではないか。それは、この街でよくあることだが、狙われたということではないか。あたかも私が強盗に狙われたように、あのタクシーも狙われたのだ。』という思いが、そのときは漠然とではあるが浮かんでいた。
むろん私には真相は分からないし、事故に遭遇した私が、偶然という受け入れ難いものに対して、無意識につじつま合わせをしたのかもしれないけれど。
ビルの谷間を抜けると、ひときわ広い空間と、おびただしい人の群れが我々の視界に飛び込み、我々は先ほどの事故のことなど脳みそから消し飛んだ。ラパに来た。
かつてのラパは高級住宅街であったが、20世紀に入りスラム化が進むとともに、金持ちの住人は他に移ってしまい、街はさびれた。しかしながら近年、古い建物を改装してサンバや若者向けの音楽を流すクラブやバーが現れ、忘れ去られた街は一躍音楽と踊りが好きな若者達の聖地となった。今でも決して治安が良いとはいえないが、週末は真夜中であっても真昼のショッピングセンターのように若者で賑わう。
人の波をかき分け、我々は路地裏の一軒のスタンドバーに立ち寄り、ビールを注文した。椅子もなく、軽食を置いたショーケースがせり出した狭苦しい店内に人々がぎっしり詰まっており、人垣の向こうに楽器を持ったバンドがサンバを演奏している。息をするのも苦労するような狭い空間の中でも、集まった人達は思い思いに身体を揺すらせ、サンバを踊っている。
クリスチーナとペーターはまるで鎖から解き放たれたかのようにショーケースの前で踊り始めた。黒い肌のクリスチーナがハイヒールを履いた足を小刻みに動かし、お尻を揺すらせるその姿は、サンバの女王の称号を贈りたくなるほど堂に入っている。
ところが彼女を上回るダイナミックな踊りで人々の注目集めたのはベルギー人のペーターであった。彼は休暇となれば必ずブラジルを訪れ余暇を過ごす、この国の魅力に取り付かれた男である。ブラジルを楽しむには女と踊りが欠かせないことを彼は十分に心得ている。だから彼にはブラジル人の彼女もいる。彼を見ていると、いったい何のために私がこの国に居るのか分からなくなる。
と、男の二人連れが近づいてきて、そのうちのひとりがショーケース越しに店主に何か注文しようとしたが、我々のダンスに遮られて注文ができない。残ったひとりが何か叫びながら手でこっちに来いというしぐさをする。
てっきり我々が彼らの注文の邪魔になるのでショーケースから離れろと言っているのだと思い、私は横に退いたが、ペーターとクリスチーナはかまわず踊っている。どうなるのかと思い様子を伺っていると、実は手で呼び戻したのは彼の相棒の方で、踊りの邪魔になるから離れろということらしい。ダンスが全てに優先する国、ブラジルである。
ひとしきり踊り、呑み、串肉を食べた後、彼らはサンバクラブに行くことになった。彼らにとってのメイン・ディッシュである。そして私にとっての宴の終わりである。
ふと気付くと、私の持っていたずた袋が軽い。調べてみると一箇所大きく切り裂かれており、中身を調べると手帳がなくなっていた。おそらく誰かが手帳を財布だと思い、ナイフを使って盗んだに違いない。現金は取られなかった。
それでもこまごまとしたことを書き留めていた手帳を失った無念さと、酔いで注意力が散漫になっていた自分の迂闊さに対する後悔と、もしかすると私がカモにしやすいアジア人であるために狙われたのかも知れぬという屈辱が、静かに私の横腹に染み出してきた。
彼らと別れ、ひとりで人々がたむろする広場を徘徊しつつ、酔った頭で「来るなら来い、相手になってやるぞ」と二の腕をまくり、周囲を見回した。
(※)参考文献 ブラジル日本商工会議所編 現代ブラジル事典