何かとてつもないことが起こるのではないかと懸念されていたリオのオリンピック・パラリンピックも大事なく終了した。「つつがなく」終了とは言い切れないが、テロ、暴動のような大規模な騒乱はなく、リオでは日常茶飯事である散発的な強盗事件に邦人を含む観光客が遭遇した程度で、国を挙げての治安対策が功を奏したのか、それとも単に運が良かっただけなのかは定かではないが、ともあれ、大会は終了し、リオは再びカリオカ達の生活で満たされた。
開幕前のしらけムードに影響されてか、当初は私も競技に対してあまり興味を持たず、入場券を買ってまで観戦しようとは思っていなかったが、フタを開けたとたんの盛り上がりにあっさりと触発され、いそいそとネットで前売券を探した。日本人出場でメダルが有力視される競技をと目論んだ結果、オリンピック4連覇を目指す伊調馨の出場する女子レスリングに決めた。このときに伊調を含む3名の日本人選手が金メダルを独占することになるとは思いもよらないどころか、会場に入るまで、登坂、土性両選手の存在すら知らなかった。
8月17日の試合当日、入場券に記された番号に従い着席しようと席を探すが、今ひとつはっきりしない。周囲の席は7分方埋まっており、大半が日本人だ。位置を確認しようと体育教師を匂わせる年配の日本人女性に「今座ってらっしゃる席は何番に当たりますか」と尋ねると、「知人に案内されただけなので分かりません」と突き放すように言う。連れとおぼしき周囲の日本人も知らん顔である。話す手がかりを失い立ち去ろうとすると、目の前に座っていた日本人男性が席を立ち、自分は別の場所があるからと席を譲ってくれた。どうやらここにいる多くは決められた番号に着席していないようだ。
隣り合わせた30代前半の男性に状況を尋ね、初めて伊調の他にも日本人選手が出場し、しかも皆決勝進出を決めたことを知った。もう少しいろいろ聞きたかったが、その男性の事務的な応答に、あまり馴れ馴れしく質問を続けるのを憚られるような壁を感じた。仲間同士の会話から醸し出される空気との違いに、ブラジルに住んで以来久しく味わうことのなかった疎外感を覚えたのは、他者との垣根が低いブラジル人との生活に染まっている証であろうか。
空気が違うといえば、この付近一帯を陣取っている日本人応援団の雰囲気がどうにも近寄りがたい。応援団の中に赤いトレーナー姿が目に付くが、そこには「至学館」と書かれている。調べてみると、出場選手は全員この大学の在学生か卒業生ではないか。となると、この一団は選手達の関係者ということになりそうだ。体育会系独特の精神性を帯びた一体感が会場の1ブロックを占拠している。試合前の選手入場時に、出場選手とは関係のないインドの国旗を持ったグループが手すり越しに旗をなびかせると、くだんの年配の女性が厳しい声で、そういうことをしてはいけない、下がりなさい、と叱り付ける。他人を叱るという習慣の薄いブラジルでは、ときにはもっと社会の目が厳しくてもいいのではないかと思うことも度々だが、試合前のちょっとした観客のパフォーマンスくらい大目に見なさいよ、ここはブラジルなんだから、と思ったりする。
登坂選手が勝利し、金メダルを獲得した。歓声とともに、「おめでとうございます」の声が次々と上がる。登坂選手の両親が応援団の一員として観戦していたようだ。たちまち報道陣による円陣ができた。
その他の結果は、ご承知の通り伊調、土性両選手も逆転勝ちを収め、おかげで歴史的な勝利に立ち会うことができた。
試合結果には最高の満足を得られた反面、心に一抹の淋しさが引っ掛かっている。会場には祖国の同胞がたくさん居たにもかかわらず、疎外感を味わった。家には友人が待っているが、彼等と喜びを分かち合うことはできない。祝杯を共にする家族や友人は隣に居らず、ひとりでしみじみと喜びを咀嚼するよりない ―
と、この日はやや複雑な胸中となったが、実はこれに先立ち、ブラジル人の友人ジョゼに誘われバレーボール観戦を行っていた。日本‐アルゼンチンとブラジル‐ロシアの二本立てで、入場券は彼が私の分まで用意してくれた。試合は日本とブラジルが共に勝ち、購入の際に長蛇の列を忍ばざるを得なかったとはいえ、ビールをたらふく呑みながらの陽気な観戦であった。試合後は彼のアパートメントへ行き、ワインで祝杯を挙げた。何のことはない、日本人にこだわらなければ、日本に居る時と同じ振る舞いである。
パラリンピックが閉会し、祭りは終わった。日常が街を包み、私のそれは祭り同様、酒を呑むことである。一杯引っ掛けた後の帰りのバスはひどく混んでいて、なかなか車内の奥に進めない。後続の乗客が前に進めと私を促す。とっさに「ちょっと待った!」と英語で叫んでしまった。ブラジル人よ、オリンピックで外国人観光客をもてなした「こころ」をもう一度私に、というビジター願望が酔いの勢いも手伝い迸った。すると、席に座っていた男性から、バッグを持ちましょうと声が掛かる。効果てきめん、もう成りきるしかない。返事は全部英語で返す。目的地が近づき、男性に英語で礼を言いバッグを受け取り、降車ドアに近づく。すぐ後ろの女性が、「あなたも降りるの?」と尋ねる。「YES」。すると、どこかで会った気がする別の女性が、「彼はここに住んでいるのよ。この前のフェスタでサンバを踊っていたわ」「・・・」「SIM・・・」。
もはや日本人に戻ることは諦めた方がよさそうだ。
開幕前のしらけムードに影響されてか、当初は私も競技に対してあまり興味を持たず、入場券を買ってまで観戦しようとは思っていなかったが、フタを開けたとたんの盛り上がりにあっさりと触発され、いそいそとネットで前売券を探した。日本人出場でメダルが有力視される競技をと目論んだ結果、オリンピック4連覇を目指す伊調馨の出場する女子レスリングに決めた。このときに伊調を含む3名の日本人選手が金メダルを独占することになるとは思いもよらないどころか、会場に入るまで、登坂、土性両選手の存在すら知らなかった。
8月17日の試合当日、入場券に記された番号に従い着席しようと席を探すが、今ひとつはっきりしない。周囲の席は7分方埋まっており、大半が日本人だ。位置を確認しようと体育教師を匂わせる年配の日本人女性に「今座ってらっしゃる席は何番に当たりますか」と尋ねると、「知人に案内されただけなので分かりません」と突き放すように言う。連れとおぼしき周囲の日本人も知らん顔である。話す手がかりを失い立ち去ろうとすると、目の前に座っていた日本人男性が席を立ち、自分は別の場所があるからと席を譲ってくれた。どうやらここにいる多くは決められた番号に着席していないようだ。
隣り合わせた30代前半の男性に状況を尋ね、初めて伊調の他にも日本人選手が出場し、しかも皆決勝進出を決めたことを知った。もう少しいろいろ聞きたかったが、その男性の事務的な応答に、あまり馴れ馴れしく質問を続けるのを憚られるような壁を感じた。仲間同士の会話から醸し出される空気との違いに、ブラジルに住んで以来久しく味わうことのなかった疎外感を覚えたのは、他者との垣根が低いブラジル人との生活に染まっている証であろうか。
空気が違うといえば、この付近一帯を陣取っている日本人応援団の雰囲気がどうにも近寄りがたい。応援団の中に赤いトレーナー姿が目に付くが、そこには「至学館」と書かれている。調べてみると、出場選手は全員この大学の在学生か卒業生ではないか。となると、この一団は選手達の関係者ということになりそうだ。体育会系独特の精神性を帯びた一体感が会場の1ブロックを占拠している。試合前の選手入場時に、出場選手とは関係のないインドの国旗を持ったグループが手すり越しに旗をなびかせると、くだんの年配の女性が厳しい声で、そういうことをしてはいけない、下がりなさい、と叱り付ける。他人を叱るという習慣の薄いブラジルでは、ときにはもっと社会の目が厳しくてもいいのではないかと思うことも度々だが、試合前のちょっとした観客のパフォーマンスくらい大目に見なさいよ、ここはブラジルなんだから、と思ったりする。
登坂選手が勝利し、金メダルを獲得した。歓声とともに、「おめでとうございます」の声が次々と上がる。登坂選手の両親が応援団の一員として観戦していたようだ。たちまち報道陣による円陣ができた。
その他の結果は、ご承知の通り伊調、土性両選手も逆転勝ちを収め、おかげで歴史的な勝利に立ち会うことができた。
試合結果には最高の満足を得られた反面、心に一抹の淋しさが引っ掛かっている。会場には祖国の同胞がたくさん居たにもかかわらず、疎外感を味わった。家には友人が待っているが、彼等と喜びを分かち合うことはできない。祝杯を共にする家族や友人は隣に居らず、ひとりでしみじみと喜びを咀嚼するよりない ―
と、この日はやや複雑な胸中となったが、実はこれに先立ち、ブラジル人の友人ジョゼに誘われバレーボール観戦を行っていた。日本‐アルゼンチンとブラジル‐ロシアの二本立てで、入場券は彼が私の分まで用意してくれた。試合は日本とブラジルが共に勝ち、購入の際に長蛇の列を忍ばざるを得なかったとはいえ、ビールをたらふく呑みながらの陽気な観戦であった。試合後は彼のアパートメントへ行き、ワインで祝杯を挙げた。何のことはない、日本人にこだわらなければ、日本に居る時と同じ振る舞いである。
パラリンピックが閉会し、祭りは終わった。日常が街を包み、私のそれは祭り同様、酒を呑むことである。一杯引っ掛けた後の帰りのバスはひどく混んでいて、なかなか車内の奥に進めない。後続の乗客が前に進めと私を促す。とっさに「ちょっと待った!」と英語で叫んでしまった。ブラジル人よ、オリンピックで外国人観光客をもてなした「こころ」をもう一度私に、というビジター願望が酔いの勢いも手伝い迸った。すると、席に座っていた男性から、バッグを持ちましょうと声が掛かる。効果てきめん、もう成りきるしかない。返事は全部英語で返す。目的地が近づき、男性に英語で礼を言いバッグを受け取り、降車ドアに近づく。すぐ後ろの女性が、「あなたも降りるの?」と尋ねる。「YES」。すると、どこかで会った気がする別の女性が、「彼はここに住んでいるのよ。この前のフェスタでサンバを踊っていたわ」「・・・」「SIM・・・」。
もはや日本人に戻ることは諦めた方がよさそうだ。