典型的?B型の日記

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くすのき幼稚園 園長先生へ  

2020年04月23日 04時33分34秒 | 日記
恒松園長先生へ
すみません、やっぱり通夜にも葬儀にも行けませんでした。
自分にとってあなたは大きすぎる、偉大な園長先生だったから
(今は理事長らしいけど)

時に母親のようでときに父親のようで
色々な先生に会ってきたけれど

自分自身は小学校2年までの記憶は
ほとんど残ってないけど

園長先生、くすのき幼稚園の存在は自分にとって大きい

先生の言葉
「ちゃんとしないといい大人になれないよ。」
「お母さんがあなたのためだけに一生懸命作ってくれたんだから。」

絵本を読むことも弁当を食べることも大っ嫌い
そもそも幼稚園に行くことも最初は嫌で嫌でしょうがなかったらしい

そんな小さかったおいらに先生はいっぱい愛情をくれたと思う
母親から聞かされたことではあるが
入園後しばらくおんぶして登園してくれていた

家を引っ越してバスに乗れなくなった時は
わざわざ園長先生が家まで送ってくれた
何度か幼稚園の横の自宅に行ったこともあったように思う
でっかいシェパードとシャムネコ

なんでかは覚えてないが、おいらたち数人に
絵本をよく読んでくれていたような気がする

たぶん手のかかる子だったのだろう
だからこそいろいろかかわってもらえたから
なのかとも思ったが

妹も先生の記憶はすごくあると言っていた

大人になりまさか仕事場で先生に会えるとは思わなかった
その身体は子どもの頃の記憶とは違って

小さく白髪だったけど
子供らをまとめる様子は記憶通りだった

うん十年ぶりの園長先生との話は
なぜか固まって話を聞いていましたよ(笑)

園長先生もおいらの記憶はあったのでしょう
ある時 卒園するときにあなたが言った書類?(文集?)
が残ってましたよ。見せてあげようか?
あの時は恥ずかしくてお断りさせていただきましたが
今思えば見せてもらいに行けばよかった。

っていうか開園当時からのものがずっとあるってことでしょう

その後あまり幼稚園にいないと聞きました
その後、園児の一人がなくなるという痛ましい事故が起きてしまいました
本当に苦しかったでしょうね
園長先生は子どもが大好きだったから
おいらみたいな子でも今期強く接していた園長先生だから
そんな中息子さんが亡くなられ

それでも園長先生は毅然とふるまわれていたことと
思います。

いろいろ気にはなっていましたが
顔一つ見にも行けませんでしたよ

そして 突然の

結局おいらはいけませんでした
園長からいただいた大きな愛情は
一生忘れないでしょう

いい大人になるため

本当にご冥福をお祈りいたします。