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今日の記憶を一言半句

昭和ノスタルジー

上野で正午過ぎまでコンサートを聴いたあと、横浜まで足を伸ばすことになった。

目的は銀杏並木の黄葉と夜景をみること。

 

横浜は、13年済んだところ。

妻と出会って結婚したところ。

それに、転勤で横浜を離れてからも、妻の実家が磯子だから、ちょいちょい来ることが多かったところ。

 

しかし、妻が逝ってからは、実家の両親や義兄はすでに亡くなり、息子世代に変わってからは、次第に特別な用事以外は遠のいている。

 

特にベイエリアは歩いてどこにでも移動できるし、港街だからいろいろな発祥の地として数が多いこと、和洋、新旧が入りマジり面白く楽しい街だと感じています。

横浜は好きな街です。

今年は5月に、横浜ローズウオーク以来だから半年ぶりでした。

 

50年近く、横浜の変わりようを見てきました。

昭和がほとんどが消えて行き、近代都市そして大都市への変貌を遂げて発展してきた横浜。

今の高層ビル群や商業施設のあるみなとみらい地区は、三菱重工業株式会社横浜造船所でした。

大黒埠頭もなかった。

一番高い建物がマリンタワーでした。

そんななかで、今も昭和のまま残っている幾つかの場所を同行した人たちと歩いてみました。

 

上野から昼食も取らず横浜に直行。

遅い時間になったが、まず腹ごしらえの場所に選んだのが馬車道のカツ専門店「勝烈庵」へ。

 

 

いつもと同じ、カツにキャベツ、大根を細切りした漬物、しじみ汁とご飯の、ごくシンプルな「勝烈庵ヒレカツ定食」を注文。

 

 

変わらぬここだけの味です。

 

この店は版画家の棟方志功と関わりがあり、店内にはさりげなく棟方志功の作品を幾つも展示しています。

 

 

店内は昔と変わらないレイアウトで、絵は幾つも飾られていました。

 

 

食事後は、隣の伊勢佐木町に。

30年前頃までは、横浜随一の繁華街であり盛り場だったところ。

青江三奈でお馴染みの、色気ある悩ましい歌いだしから始まるあの「伊勢佐木町ブルース」はご存知でしょう。

 

今や、みなとみらい地区、山下地区や中華街、元町などの海に近いエリアに観光客が奪われ、昭和の賑わいの面影はないです。

 

牛久で自主コンサートを開く準備の一つ、チケット作成に使う用紙を探しに、本の専門店「有隣堂」へ。

本を買うならここに来ればほとんど見つかったし、無いものをたのべば取り寄せもしてくれた。

本ばかりではなく、事務用品から文房具類も。

 

 

気に入ったチケット用紙が見つかり300券発行分を購入。

 

 

有隣堂のトイレは、各階の階段と階段の踊り場に、男子用と女子用が1階置きにある、

階を違いて女子トイレのドアを明け、トイレを出ようとした女性と鉢合せになった思い出がある。

その女性から、ここは女性トイレですよと言われただけで済みましたが、今なら悲鳴を挙げられて警察沙汰になったかも。

そんなこともあった有隣堂でした。

 

次は、有隣堂の目の前の「文明堂」へ。

今では忘れかけている「カステラ一番電話は二番三時のおやつは文明堂」。

あの「天国と地獄」のメロディーにのせて、クマの人形がラインダンスするテレビCMはお馴染みでしたから、口ずさんだ人も多いはず。

当時の看板に表示してあった電話番号は、ほんとに横浜23局0002番でした。

 

 

店売りの奥に文明堂茶館 ル・カフェがあり、カステラやどら焼き等でコーヒーや煎茶セットを注文し、ここで一休みしたものです。

いつも、妻は「どら焼きに煎茶セット」、私は「ザラメカステラにコーヒセット」でした。

しっとりとしたスポンジにザラメのついたカステラが美味しくて好きです。

今もコーヒーのお代りが自由なのには驚いた。

今時おかわり自由などあまり聞かないですね。

 

 

店内の照明、ステンドグラス、おそらくテーブルも全てがそのまま。

働く店員さんのユニホームが、今も昭和の女給さんスタイルで大きく変わっていない。

変わったのは、ここで働く店員さんだけなのかも。

 

 

いずれの店も、いつまでも残って欲しいものです。

そんな昭和ノスタルジックな店歩きでした。

 

明日は黄葉と夜景を。

 

 

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