サクラさんと古墳の話をしていて、そういえば昭和天皇の墓所ってやっぱり古墳なんだよね?
と、言う会話から急遽八王子市にある「多摩御陵」へウォーキングを兼ねて参拝して参りました。
京王高尾線高尾駅下車 自宅最寄り駅(聖蹟桜ケ丘)からは30分ほどで到着 手軽に行けるのが嬉しい
のどかに流れる南浅川
多摩御陵まではもう少し
古道橋 この橋の北側にかつて旧鎌倉街道山の道があって、古道をイメージした橋なんだとか。
多摩御陵正門 正式には「武蔵陵墓地」と言います。昭和天皇が崩御され「武蔵陵墓地」として改名されたそうです。
もちろん宮内庁の管轄です。大正天皇(多摩陵)・貞明皇后(多摩東陵)・昭和天皇(武蔵野陵)・香淳皇后(武蔵野東陵)の墓所となります。
この日は、小春日和の1日で参道も木漏れ日が刺し木々も輝いておりました。
香淳皇后(武蔵野東陵)
昭和天皇(武蔵野陵)
貞明皇后(多摩東陵)
大正天皇(多摩陵)
墳丘はいずれも「上円下方墳」となります。
実はこの型 全国的にも見ても珍しい型で(5基しか確認されていない)なんと!府中市に2基あります。以前いずれも訪れており当ブログでも取り上げました。
参考記事:三鷹・星と宇宙の日2012@国立天文台三鷹キャンパス
昭和天皇御陵敷地脇にあった石
大正天皇御陵敷地脇にあった石
気になる石が昭和、大正天皇両方の陵墓の脇に「舟型」の巨石が横たわっておりました。
わざわざ、先端を削りだして加工している様ですが、何を意図して置かれているのか気になりました。
多摩武蔵野陵ですがここに葬られている歴代の天皇は大正天皇までで、明治天皇は東京で崩御されているにもかかわらず京都伏見に御陵があります。明治天皇の遺言によるものと伝えられています。原宿にある明治神宮は、拝所としてワザワザ建立させたわけです。
そういえば、関連して最近興味深いエピソードがありました。
天皇の火葬、中世は一般的 葬法、時代の価値観反映か
皇后さまとご一緒に合葬もお望み何だそうです。
火葬となれば、現在の様な巨大御陵の様式にこだわる必要もなくなります。
天皇家の京都移転を検討されているニュースも耳に新しいです。
そして、飛鳥さんによれば、既にカウントダウンが始まっていて時期天皇が即位したのち何かが起こるらしいのですが…。
「そう遠い未来の話ではない」とのことでしたが、果たして…。
さて、多摩御陵をあとにして、昼食を陵南公園にて摂りました。
多摩御陵近くで見かけた道祖神と地蔵尊
ここ綾南公園は、かつて京王帝都電鉄(現、京王電鉄)御陵線の終着駅「多摩御陵駅」があったそうです。
参考:多摩御陵駅WIKI
続いて、少し足を伸ばして高尾梅郷へ向かいました。
しばらく南浅川の川沿いを歩き町田街道から国道20号線をしばらく歩くとJR高尾駅の駅舎が見えます。
そのまま通り過ぎ、浅川の源流と交わる辺りより高尾梅郷が始まります。浅川は小仏まで続きます。
国道脇の梅の木一本が見事に満開に近かったので期待して散策したのですが…。
残念ながらまだまだ蕾は堅いようでした。
小仏峠が源流の浅川
辛うじて、咲いていたのは蝋梅と、ようやくみつけた一輪だけでした。
ここの梅祭は3月9日からでした。まだ開花までは暫くかかりそうです。
帰路は「荒井」から高尾駅までバスを利用し自宅に戻ったのは、午後3時ごろでした。
ここ数年何かと各地の梅を散策する機会が多くなりましたがなぜか「満開」の時期に訪れた事がありません。
昨年もわざわざ青梅の吉野梅郷まで、訪れましたが結局1分咲きくらいでまだまだでした。
今年こそは、満開の時期に何処かの梅園へ訪れてみたいものです。
本日の散策ルートマップ
総歩数:14663歩
総距離:10.25キロ
と、言う会話から急遽八王子市にある「多摩御陵」へウォーキングを兼ねて参拝して参りました。
京王高尾線高尾駅下車 自宅最寄り駅(聖蹟桜ケ丘)からは30分ほどで到着 手軽に行けるのが嬉しい
のどかに流れる南浅川
多摩御陵まではもう少し
古道橋 この橋の北側にかつて旧鎌倉街道山の道があって、古道をイメージした橋なんだとか。
多摩御陵正門 正式には「武蔵陵墓地」と言います。昭和天皇が崩御され「武蔵陵墓地」として改名されたそうです。
もちろん宮内庁の管轄です。大正天皇(多摩陵)・貞明皇后(多摩東陵)・昭和天皇(武蔵野陵)・香淳皇后(武蔵野東陵)の墓所となります。
この日は、小春日和の1日で参道も木漏れ日が刺し木々も輝いておりました。
香淳皇后(武蔵野東陵)
昭和天皇(武蔵野陵)
貞明皇后(多摩東陵)
大正天皇(多摩陵)
墳丘はいずれも「上円下方墳」となります。
実はこの型 全国的にも見ても珍しい型で(5基しか確認されていない)なんと!府中市に2基あります。以前いずれも訪れており当ブログでも取り上げました。
参考記事:三鷹・星と宇宙の日2012@国立天文台三鷹キャンパス
昭和天皇御陵敷地脇にあった石
大正天皇御陵敷地脇にあった石
気になる石が昭和、大正天皇両方の陵墓の脇に「舟型」の巨石が横たわっておりました。
わざわざ、先端を削りだして加工している様ですが、何を意図して置かれているのか気になりました。
多摩武蔵野陵ですがここに葬られている歴代の天皇は大正天皇までで、明治天皇は東京で崩御されているにもかかわらず京都伏見に御陵があります。明治天皇の遺言によるものと伝えられています。原宿にある明治神宮は、拝所としてワザワザ建立させたわけです。
そういえば、関連して最近興味深いエピソードがありました。
天皇の火葬、中世は一般的 葬法、時代の価値観反映か
皇后さまとご一緒に合葬もお望み何だそうです。
火葬となれば、現在の様な巨大御陵の様式にこだわる必要もなくなります。
天皇家の京都移転を検討されているニュースも耳に新しいです。
そして、飛鳥さんによれば、既にカウントダウンが始まっていて時期天皇が即位したのち何かが起こるらしいのですが…。
「そう遠い未来の話ではない」とのことでしたが、果たして…。
さて、多摩御陵をあとにして、昼食を陵南公園にて摂りました。
多摩御陵近くで見かけた道祖神と地蔵尊
ここ綾南公園は、かつて京王帝都電鉄(現、京王電鉄)御陵線の終着駅「多摩御陵駅」があったそうです。
参考:多摩御陵駅WIKI
続いて、少し足を伸ばして高尾梅郷へ向かいました。
しばらく南浅川の川沿いを歩き町田街道から国道20号線をしばらく歩くとJR高尾駅の駅舎が見えます。
そのまま通り過ぎ、浅川の源流と交わる辺りより高尾梅郷が始まります。浅川は小仏まで続きます。
国道脇の梅の木一本が見事に満開に近かったので期待して散策したのですが…。
残念ながらまだまだ蕾は堅いようでした。
小仏峠が源流の浅川
辛うじて、咲いていたのは蝋梅と、ようやくみつけた一輪だけでした。
ここの梅祭は3月9日からでした。まだ開花までは暫くかかりそうです。
帰路は「荒井」から高尾駅までバスを利用し自宅に戻ったのは、午後3時ごろでした。
ここ数年何かと各地の梅を散策する機会が多くなりましたがなぜか「満開」の時期に訪れた事がありません。
昨年もわざわざ青梅の吉野梅郷まで、訪れましたが結局1分咲きくらいでまだまだでした。
今年こそは、満開の時期に何処かの梅園へ訪れてみたいものです。
本日の散策ルートマップ
総歩数:14663歩
総距離:10.25キロ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます