今回は、ブドウ畑の片隅に鎮座する“獅子岩”を紹介します。
場所は、甲斐国一之宮浅間神社より北東へ1キロほどのブドウ畑の一画にあります。
この巨石には、興味深い伝承があり以下にご紹介します。
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むかし、昔、国中地方に今までに無い大雨が降ったときの話です。
そのころ甲府盆地東の山すそに展けた一宮の里には、見渡す限り黄金色の稲田が続き、村人たちは近づく秋のとり入れを楽しみに、田圃の仕事に精を出していました。
ところがある日、突然に降りだした雨は三日たっても四日たっても一向に止まず、ますます激しさを増すばかりでした。
そのため、中尾集落の中ほどを流れる田草川の水はみるみる水かさを増し、濁った川底を流れる大木や、大きな石のぶつかり合う音が、人々の心を一層不安にかりたてました。
雨が降り始めてから丁度六日目の朝、
「ドドドーーー」
という大音響とともに京戸の山がくずれ出し、どっと流れ出した濁流は一気に野呂、中尾方面に押し寄せてきました。
その時、田草川の濁流の中から大きな石が「むっく」と立ち上がり、その流れにさからうような形で立ちふさがりました。
石に打ち当たるすざましい水音は、まるで獅子が「ウオー、ウオー」と、力一杯吠えさけんでいるかのように、村人たちに聞こえてきました。
すると不思議なことに、今にも野呂、中尾集落を呑みこむかに見えた泥の流れは次第に弱まり、向きを南に変えたかと思うとあの激しかった雨もいつの間にか止んで、二つの集落は無事に救われました。
不安の残る一夜が明けて、村人たちが穴地蔵さんの西に行ってみると、獅子が体をまるくして座ったような形の大きな石が、まるで昨日の疲れをいやしているかのように、ぽつんと一つありました。
その後村人たちは、集落を救ってくれたこの石を、誰言うとなく「獅子石」と呼び、後の世に洪水のときのことを言い伝えるようになりました。
そのころ甲府盆地東の山すそに展けた一宮の里には、見渡す限り黄金色の稲田が続き、村人たちは近づく秋のとり入れを楽しみに、田圃の仕事に精を出していました。
ところがある日、突然に降りだした雨は三日たっても四日たっても一向に止まず、ますます激しさを増すばかりでした。
そのため、中尾集落の中ほどを流れる田草川の水はみるみる水かさを増し、濁った川底を流れる大木や、大きな石のぶつかり合う音が、人々の心を一層不安にかりたてました。
雨が降り始めてから丁度六日目の朝、
「ドドドーーー」
という大音響とともに京戸の山がくずれ出し、どっと流れ出した濁流は一気に野呂、中尾方面に押し寄せてきました。
その時、田草川の濁流の中から大きな石が「むっく」と立ち上がり、その流れにさからうような形で立ちふさがりました。
石に打ち当たるすざましい水音は、まるで獅子が「ウオー、ウオー」と、力一杯吠えさけんでいるかのように、村人たちに聞こえてきました。
すると不思議なことに、今にも野呂、中尾集落を呑みこむかに見えた泥の流れは次第に弱まり、向きを南に変えたかと思うとあの激しかった雨もいつの間にか止んで、二つの集落は無事に救われました。
不安の残る一夜が明けて、村人たちが穴地蔵さんの西に行ってみると、獅子が体をまるくして座ったような形の大きな石が、まるで昨日の疲れをいやしているかのように、ぽつんと一つありました。
その後村人たちは、集落を救ってくれたこの石を、誰言うとなく「獅子石」と呼び、後の世に洪水のときのことを言い伝えるようになりました。
一宮町山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」(こちらより転載)
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山梨県には、各地域で水害に纏わる多くの伝承がありますが、ここもそんな伝承の残る場所でした。
古代より豊かな水は、大地を潤し豊かな実りをもたらせてくれる反面ときに牙を向け人々に襲い掛かかるその繰り返しでした。
将来起こりうる水害に対しての現在も続けられている各地の治水工事は、過去の教訓から学んだものです。
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