4月になっての初めの週末にかけ諏訪方面の散策に出かけて参りました。
今回まず初めに紹介するのは、JR上諏訪駅より東へ直線距離4キロ。歩いて10分ほどの高台に鎮座する手長神社です。
手長神社とは、また珍しい社名ですが実は同じ諏訪市に足長神社と言うお社もあって諏訪地方に伝わる興味深い伝説が残されているお社です。
手長神社三の鳥居 実は、この手前へと上諏訪駅方向へ参道階段が伸びており一の鳥居は、この先170mほど下になります。
手長神社一の鳥居 参道階段の先に二の鳥居が見えます。(Googleストリートビューより)
狛犬一対
幣拝殿 規模こそ小さいですが諏訪大社と同じ社殿の造りと彫刻が見事です。
諏訪造りの独特な様式の社殿が左右に連なります。
手長宮の額装 古くは、手長宮・手長大明神とも称されていました。かつては諏訪大社上社の境外末社でした。
回廊の天井には、荒縄が収納されていました。ここでも行われている御柱祭に使われるのでしょう。
旧本殿 彌榮(ヤサカ・イヤサカ)神社
社殿の背後にある現在の本殿は、拝殿に隠れて望めませんでしたが旧本殿だった彌榮神社が境内右手に連なる摂・末社と共に鎮座しています。
手長神社 祭祀:手摩乳命 (テナヅチノミコト)別名:手長彦神
(後述する足長神社に祀られている足摩乳命(アシナヅチノミコト)とは兄妹で夫婦関係)
古事記では手名椎命で妃神として、日本書記では手摩乳命と表記されています。オオヤマツミの御子神となります。
夫のアシナヅチとの間に8人の娘がいてその末娘がクシナダヒメです。ヤマタノオロチ神話で、クシナダヒメの命を助けるためスサノオの嫁へと差し出す条件でオロチ退治を任せます。
彌榮(やさか)神社 祭祀:六柱神社、八意思兼命、北野社を合祀
手長神社・彌榮神社 由緒
手長神社は下桑原(大和・小和田を除く上諏訪地区)の氏神、手摩乳神(てなづちのかみ)をお祀りする古社です。
ご鎮座の起源は古く詳らかではありませんが、諏訪湖の東側一帯は旧石器・縄文時代の遺跡が点在しており、いにしえ人の生活、土地の神に祈りを捧げてきた信仰をほうふつさせます。
神社の鎮座地は『茶臼山(ちゃうすやま)』といいます。手摩乳神は古くから手長の丘を治めておりましたが、建御名方神(たけみなかたのかみ=諏訪神)が来られてからはその力に従い、共に諏訪の国造りに尽くされました。
(公式ページより)
また、神社の位置が諏訪高島城の鬼門(北東)にあたることから諏訪藩家中の総鎮守とされました。
全国には手長足長と言う巨人伝説がありますが、ここ手長神社の祭神が諏訪明神の家来の手長足長という大男で、この手長足長はデイラボッチ・デイダラボッチとも呼ばれていたという伝説があります。
(☞関連リンク) 諏訪の事始め
州羽神系図(写真クリックで拡大) 諏訪地方ならではの神系図です。諏訪の建御名方神の祖先が手名雅神(手摩乳命)足名雅神(足摩乳命)であった事が分かります。つまり建御名方神が諏訪に来る以前からこの地に坐していた土着神という事になります。
境内末社 それぞれの小さな祠にも御柱が建てられているのが諏訪らしいところ
ケヤキの大木の前にも祠と御柱
摂社 龍王大明神
【マップ】
※本来は、一の鳥居を潜り参拝したいところですが下から登るとなると参道の石段が結構大変です。ここは、三の鳥居横に駐車スペースがありますので、そこから参拝することをお勧めします。
※御朱印は、手長神社と旧本殿の弥栄神社のものを授与して頂けます。足長神社の御朱印は、こちらで頂けるような情報がありますが現在は、八剱神社(後日報告予定)で授与して頂けます。
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