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Cafe Ruby@South Australia

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海の外で暮らしてみたら・・・

【ネフローゼ症候群】相変わらず・・・

2006-06-10 | ネフローゼって
今回は軽症で、テープもそんなに色濃くなりませんでした。今までの再発記録も日本において来てるし、病院に行かれないので、正確なデーターも手元になく、頼りになるのは色と泡・・・検査紙のみ。プレドニンの量は日本のドクターとメールでやり取りしながらの投与。今回は常用しているネオーラル50mgに加え、プレドニン30mgの追加。まあ30mgなので、目立つようなムーンフェイスにはならず。昨年6月に7年ぶりに切れたプレドニンの再開となりました。このプレドニン・・・ご存知のようにステロイドの一種ですが、薬の中でも一番苦いと言われているとか。幸いるびーは口にしたことはないのですが、それでも皮膚には塗ったことがあります。このストレスの多い世の中、使った方も多いかと思います。まずいまずい薬です。何かと常用になりやすい薬の一種。
さて、今回の再発、水分だけは十分に摂取し、それでも食事はじゃっかん塩分少なめで良質のたんぱく質のものを取り入れと思うものの、調味料は日本のように減塩でもすばらしい味のものはなく、普段使っている調味料を少なめにという調節しかできないのです。
海外でやはり困るのは病気・・・。まして持病があると一番の不安の材料。
るびーもなんで持病があるのにこんな危険な橋を渡らせるんだろうと思ったこともありました(数年再発していなかったし、まさかの再発だったので、事実、今回の再発ではかなりめげた)。でも一番大切なのは本人の希望・努力・自信だと思ったから今こうして海外にいます。もちろんその3要素をかなえるためには本人だけでなく周囲の協力があってこそなのですが。特に自信は・・・病気があると、何かとそれだけで引いてしまう。でも病気があってもやればできることが証明できれば本人の自信につながるのかなと思っています。でも、今回は本人もちょっとショックだったよう。仕方ない、よく風邪を引く腎臓を持っているのだから。普通の生活で少し気をつければいいとるびーは思っています。ネフローゼで悩んでいる方もたくさんいらっしゃると思います。長期の治療にわたる場合も多く、何度も挫折感を味わう疾患の一つだと思います。でも時が解決してくれる・・・出口が見えなくても時間は過ぎてる・・・だから諦めずに頑張りたいと思います。
今日は大学病院のドクターと話ができ、とりあえず、一喜一憂しなくても大丈夫だからと慰められました。そう、ネフローゼは何が問題かというと、検査紙で一喜一憂してしまう・・・これが一番いけないことなんですけどね、本当は。

冷えちゃいけない人間の体

2006-06-09 | ネフローゼって
冷えが対敵。血液が流れている人間の体は冷えると血液の循環が悪くなるので、いろいろな所が故障してきます。年をとると、故障が多くなってくるのも加齢と共に血液循環が悪くなってくるから。
今考えると若い頃・・・(今でも若いけど)、このるびーも一応、ミニをはき、ダイエットもし、若い子が目覚めるようなことを一通りやってきましたが、その時はまだ若さで血液循環もよかったので、故障はしませんでした。ところが加齢とともにその頃の跳ね返りが来るようになりました。部活、仕事で徹夜もなんのその、明け方まで同僚と飲んでも翌日平気だったのが、今ではもうそんなことをしようものなら1ヶ月は寝込んでしまう・・・。
そう人間は、加齢には勝つことができないのです
薄着はもちろんのこと、過重なストレスや食生活も血液循環を悪くする一因になります。本当のことをいうならば、ステロイドも体を冷やす薬の一種。でも、ステロイドを飲まなくてはならないのだとしたら、他に温めるように心がければいいと思います。腎臓にいいものは、かぼちゃやにんじんなど緑黄色の野菜、小豆や黒米など色の濃いものは体を温め、皮膚や筋肉に包まれた腎臓をも温めます。腎臓の周りに走っている血流をよくすることで腎機能も回復または、いいように働くはずです。健康は食生活、ストレス改善または、上手なストレス発散でいくらでも手に入るものだと思います。ネフローゼだととかく塩分制限だけに気をとらわれがちですが、塩分制限だけでなく、温野菜を取ることで内面から改善していくものと思いますが、いかがでしょうか?

【ネフローゼ症候群】再発 2日目

2006-06-09 | ネフローゼって
再発とのたたかい・・・一番最初に診断された時にドクターから言われた言葉を思い出しました。
また、人によって症状のでかたも様々。まだこれといった治療法はなくて、ステロイドの副作用と戦いながら、とりあえず、一時的な症状を抑えるくらいが関の山。最近は免疫抑制剤が主流になりつつありますが、これも長期間にわたっては使えない薬、服用している間は定期的に腎臓の組織検査も必要になります。
公的な補助も少しずつなくなり、我が家も家計に大きな負担が押し寄せ始めています
もうすぐこの病気と向き合い10年。長いようで早い日々でした。思い起こせば救急車で運ばれたあの時・・・即入院になり、無塩食と1日コップ1/4の水分制限・運動制限。喉の渇きをうがいでごまかす、そんな日々でした。でもそれよりつらかったのは、始めの再発。最初の5年は再発のたびに、病院でドクターに涙を流したものでした。学会の報告書を読んだり、薬のことをネットで調べたり、毎日、仕事をしながら、そんなことばかりの毎日。お陰で薬については・・詳しいるびー。病気を受け入れるまで長い時間がかかりました。すごく大変な時にネフローゼの先輩から言われた言葉腎臓が風邪をひいたんだよこの一言がどんなに癒されたかわかりません。
再発と再発の間隔が開いてきたので、安心していたのですが、何もこの海外に来てと・・・少しネガティブ。いけない、いけない。乗り越えなくては。日本から忙しいのにたびたびメールをくださるドクターには本当に感謝する日々です。アナログのるびーですが、やはりデジタルには感謝です。
写真:昨年、沖縄の海・・・

【ネフローゼ症候群】再発???

2006-06-08 | ネフローゼって
病気ですが、悲しくも再発しました、今日の朝。せっかくいい調子でステロイドも切れて、残るは免疫抑制剤でのコントロールだけになっていた矢先のこと。まあ、完治するには長い間かかると聞いていたし、再発もかなりの確率であるので、またかといった感じです。ここまで免疫抑制剤も減っていたので再発も仕方がないのかもしれません。
まずは小学校にお休みの連絡。AUでドクターにかかろうとも思ったのですが、まだビザの切り替え中の身・・・健康診断も終わっていないし、今後のビザのことを考えるとこちらで病院にはかなりたくない
朝一で東京の大学病院へ電話を入れると運良く、当直の先生が以前、生検に立ち会ってくださった先生で相談した結果、今回はステロイドを追加することになりました。同時に主治医のドクターにもメールで相談。軽症だから様子をみることになりました。でも、ドクターから言われたステロイドを飲ませていると来週早々その薬がなくなることに気がつきました。薬は家族が取りに行って航空便で送ってもらうことに。
でも考えたら今東京にいる家族は薬を始めて海外に送る・・・。通関書類、処方箋など、海外に薬を送るときは思いがけずに色々な書類を作る必要があり、私はその書類をWebでダウンロードして記入・・・そして必要事項を入れて、家族にメールという作業。家族はそのメールをプリントアウトして薬に添付と思っていたのですが、ふと考えたら、AUは週末から月曜日まで公休日。今日航空便で出してもらっても、薬がなくなるまでは、とても間に合わない・・・もう半分パニックになりながら、でも自分で考えないとどうにもならない状況、涙をふきふき、胸に手を当て落ち着くようにして・・・考えたら、ちょうど日曜日に日本からこちらに来る方のことを思い出し。運のいいことに連絡がとれて、明日には病院でもらった薬をその方に送ってもらい、AUに持ってきてもらうことにしました。
なんだか朝から電話をしたり、インターネットで検索したり、ばたばたした1日です。こうして病気と向き合うと健康であることの幸せをあらためて感じます。特に再発するような疾患があるとなかなかやりたいことができなかったり、前進する気持ちが失われたりしがちですが、
大丈夫・・・どこの国にもある病気だから、どこにいても治療はできる。大切なのは再発しないように気をつけること、万が一再発しても恐れないこととは、今回協力してくださった大学病院のドクターの言葉。
何でも諦めることは簡単。遣り通すことは難しいけど、大切。一度しかない人生だから。遣り通した後の達成感は苦労した分、人一倍感じることだと思っています。皆さんの力を借りながら日々過ごしているるびーです。
ネフローゼで悩んでいる方も多いかと思います。るびーも病気を受けれいるまでにすごく長い時間かかりました。治療中は前が見えず悲しい思いもたくさんあると思いますが、きっと出口があるって思って頑張って欲しいなあと思います。

後悔したくない生き方

2006-05-09 | ネフローゼって
日本にいると(なのかどうか、わからないけど)どうしても、周りの声や人の評価を気にしてしまう自分。欲しいのに自分のためではなく、周りの声が嫌で我慢したり、つい過去を思い出して、できないことを人のせいにしたり。自分ではすごく嫌だった。
3年前海外にでて、私は少しずつ変わり始めた。自分が大切・・・。人のためでもなく自分のしたいことをかなえようと思い始めた。でもそれがなかなかできない。そんな時に手にした本の数々。そこにはやりたい気持ち、欲しい気持ちと努力が必要とかかれてあった。なるほど。私には努力が足りなかった。一生懸命しているつもりがいつも空回り。そして、できないことを人のせいにして・・・。
今、このアデレードに来て、静かに時間の流れる中で自分の心の声を聞く、今何が欲しいのか、何がしたいのか、忘れかけていた大切なこと。この心の声を大切にしたいと思うこの頃・・・。自分の心の声と努力・・・。
写真:秋のある日のバンクーバーのオフィス街の街並み


ようやく・・・

2006-04-11 | ネフローゼって
ご無沙汰しておりました。
と、いってもたかが1週間ですが、この1週間が私には1ヶ月にも半年にも思えるほど長い時間でした。いつも愛読してくださっている方々、ご心配おかけしました。更新もないのに、アクセス数は相変わらず多くて、しかも友人たちからは心配のメール。ありがたいことです。
まだまだ頂点に達したわけではないのですが、少しずつ歩き始めたので、また応援してください。
ここまで来るのにも、友情と愛情・・・励まし、そうたくさんの財産を手にしました。
誰でも人間落ち込むのは当然・・・と友達。でもなかなか這い上がることができず、それでも子供がいたりすると、どんなに重い体でも鞭を打ってでも外にでなきゃいけないこともあったり。つらかったけど、ずっと支えてくれた友人には本当に感謝の他、言葉はありません。人間1人で生きているんじゃないんだなあと思える瞬間。
桜満開に間に合って、私は空を見上げることができてよかったと思います。
もし、落ち込んでいてこれを読む人がいたら、静かに時間をすごしてください。どんなに落ち込んでいても時間は流れる。そしてその時間は2度と戻らないことを思い出してください。少しだけでも外にでる元気が残っているのなら、外にでてください。たくさんの緑や花、空、自然を感じるはず。もしかしたら、たくさんのビルかもしれませんが。どんなに悩んでも人間は生きているわけじゃなくて、自然の中で生かされている。たくさんの山があっても時に川が流れていたり、草原があったり。だから人間の心にもたくさんの山があって、当然。山に登るときに、チョコレートとおにぎり、そしてお塩を持っていくと何かの時に役にたつ、というのはスキーで先輩たちから得た知識。心の山も登るときに、たいへんだったらちょっとチョコレートを頬張る気持ちの休息で、目の前にそびえたつ山もきっと登れるはず。いいえ、登れることを信じて。
いつもいつもがんばらなくても大丈夫だと私はようやく改心しました。また色々書きますので、どうぞお付き合いください。

写真
カナダ・ノースバンクーバーにあるグラウスマウンテンで
水しぶきから見えた虹



【続】小さい頃の環境

2006-03-31 | ネフローゼって
今の自分を変えるには過去にさかのぼる・・・。
内観法というやり方なのですが、このやり方は時に残酷。過去に少しずつさかのぼり自分のつらいことを正面から見つめ直すという作業をことをしなければならないそうです(経験者談)。
自分の過去があるから、今の私があるけれど、消してしまいたいこともたくさんあります。今、私はまだ過去の本当のつらいことまでにはたどりつけていないのです。きっとこの過去をきちんと見て正面からぶつかった時、私は山を少しだけ登ることができるのだと思っています。
息子にはそんな思いはさせたくないとある意味親とは違うやり方で子育てをしたり、私自身がトラウマになってしまったことに注意をしています、が息子の本当のところの気持ちは私にもわかりません。人間を育てるってある意味たいへんなことだなあって感じるこの頃です。

小さい頃の環境

2006-03-30 | ネフローゼって
私は小さい頃にあることに対してのトラブルがあり、その時はそんなに感じなかったことが最近トラウマとして私の前に現れるようになりました。極度に不安を抱えてしまうこと。これが私のストレスの根源だと思っています。本当にここまで生きてきてようやく判明。
この不安を上手に解消してくれるのはもちろん私ではなくて、周りの友人達。でもそれもたまに不安になることがあります。その友人達がふっと目の前からいなくなるような、あなたなんか大嫌いと言って去っていくような錯覚にさえ陥ります。そして、その去っていく原因がすべて私にあるって自分だけで相手のことを勝手に考えて責任を背負い込んでしまうこと。
そもそもこのトラウマはどこでできあがってしまったんだろうと自分なりに考えました。小さい頃の親との関係、中学校での友人の間での関係。あ~いやだいやだ、当時のいろいろなことが頭の中をぐるぐると回り始めました
いつかは変わらなくちゃと思いながら、変われない自分に腹を立ててみたり
でもようやく、すべてを受け止めてくれる大切な友人にであいました。不安を抱えなくてもすむってことがこんなに楽なのかと思うようになりとても安心できるように。今までの私の人生で不安がないときはなかったので(でも、たまにこの友人さえ、私の前からいなくなってしまいそうで不安になる時も。友人君、ごめんね、私は決して信頼していないわけじゃないの。)こんな不安を抱えて付き合う相手はたまったもんじゃないって思うときもあります。信頼していないわけじゃない、私は常にマリッジブルーの状態。

心を変えるにはまず健康から

2006-03-23 | ネフローゼって
私が愛用しているお灸
です。以前、かかっていた鍼灸の先生から譲り受けたもの。あまり熱過ぎずほどよく体を芯から温めてくれる、そして、お灸の香りで癒される、心とともに元気になる優れものです。というわけで、今日の話題は健康!
これは健康だけがとりえだった私が息子を育てたり、自身の体に変調があらわれてから思うようになったことです。そして、健康であれば、心も変わる、逆もありで、心が変われば健康にもなるということです。
というわけで、今日はちょっと健康の話。
最近よく聞く免疫力。この免疫力にはリンパ球の働きが大きくかかわってきます。免疫力が下がるとよく病気になるというのは、このリンパ球が減ってくるから。このことは体の自己防衛が弱くなることを意味しています。
自然界にはたくさんの菌がいて、この菌が人間の体内に入ってもリンパ球が日夜戦ってくれているから元気でいられるというわけです。
私は決して医療従事者ではないので、正確なことが書けないのですが、とにかく免疫力が下がることは体の防衛作用が落ちてしまうということを意味しています。
この免疫力を下げない為には、血液をサラサラにしておく、そして、サラサラにするためには、ストレスを上手に発散する、体を温めるなどがあります。
体を温めることで、血液の循環がよくなるのはよく言われ事ですが、このことが健康に大きく左右します。
温めることを例にとると、息子は胃腸が弱いので、最近は寝る前にお灸をしてやります。やり始めの頃は、熱い、くすぐったいの連発でしたが、最近はこれをやらないと気持ちいよく寝付けないとか。
やってあげる私は、毎日やっているとツボも自分なりに読めてきて、お灸をする前とやった後では、体の中の炎症の具合まで触っただけでわかるようになりました。お灸の熱で体内の血液の循環がよくなり炎症も一時的に改善されます。継続は力なりで、継続してやっていくことで炎症反応も小さくなりやがて改善へと向かいます。
若い時に冷やしてしまった体のしっぺ返しは、やがて、体力の落ちてくる中高年へ突入するときからやってきます、それも結構、ある日突然。長い間、じわじわと攻めてきた敵をやっつけるそして、元に戻すためには何倍もの時間と労力がかかります。
若い頃には感じないかも知れなけれど、それに早く気づけば気づくほど、歳とともに感じる疲労度も早く回復します。人間にはある程度の体温が必要だということをお忘れなく!!

新たな土地で慣れるまで

2006-03-22 | ネフローゼって
今まで引越しはあまりしたことがなかったのですが、
(それでも4回はありましたが、いずれも近場)3年前カナダに出てからは、その後、沖縄に行き、そして、東京へとりあえず戻っています。
人間の心理とは不思議なもので、新たな一歩にはかならず、不安と期待が入り混じります。結婚前でいうとマリッジブルーと呼ばれるものですね
自分の心を振り返ってみると、どこかに行く前期待と不安、到着した後孤独感、、離れる前別れのつらさ、離れた後懐かしさ、なんだかすごい山がありました。いずれの山もたいへん険しいのですが、それも時間の経過とともにだんだん低くなってきました。でもきれいな思い出というのはよく残るもので、どこの土地でもかなりたいへんな時もあったのに、思い出すのは、友達のこと、遊びにいったこと、苦労したことも今にして思うと結構、笑えたりして。
でもどこに行く時も、自分の中でやろうと決めていることは無理せずにその土地のことや人、歴史、文化を知ろうとすることです。まったく環境や風習の違うところなのですから、初めからその土地の人になりきろうとすればするほど、疲れてしまうし、かといって引きこもっているといつまでたってもその地域にはなじめない。大切なのは、前向きにその地域に溶け込もうとする心だと思います。今はこんなこと言っていますが、本当に最初は悲惨なものでした
沖縄は特に心を開くととても溶け込みやすかった、私はそうでした。でも決して、私はナイチャー(本土からの人)とも、ウチナンチュー(沖縄県人)とも言わなかった、その状況にもよりますが、滞在後半はハーフウチナンチューで通していました。
始めの半年は居心地がいいとはいえない生活が続きましたが、カナダでも沖縄でも最後は友人たちと涙の別れ。たくさんの元気と勇気をもらいました。これはお金では買えない大切な宝物です。