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Cafe Ruby@South Australia

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海の外で暮らしてみたら・・・

最近流行の・・・

2006-06-26 | ネフローゼって
ホットヨガに2度ほど通いました。サウナ?とまでは行きませんが、ほぼそれに近いくらいの部屋でヨガをやります。ヨガは今回初めてでしたが、痛気持ち良い・・・状態が病みつきに。体が固いるびーなので、すべて完璧なポーズではありませんが、以前やっていたエアロビクスに比べると、のんびりとした静かな中で行うものなので、最近ののんびりるびーにはすごく合ってる気がします。でもまだまだ授業料も安くはないので、今日は本屋さんで、DVD付き本なんぞを買ってきました。
最近は英語の勉強で頭もお疲れモード。体を動かすのが好きなるびーには、このヨガは当分の間、マイブームになりそうです。

【ネフローゼ症候群】ステロイドが切れて・・・

2006-06-20 | ネフローゼって
2回目の腎生検をやりました。開腹検査でない場合は、背中から針を入れて腎臓の組織をとる検査です。2回目とはいえ、緊張はもちろんのこと、検査とはいえ、組織をとるので、検査後は出血を防ぐため1日絶対安静になります。
麻酔をかけて、ぼっとする中、数人の小児科の先生の立会いのものと、組織がとられました。
その時、長年飲んでいたステロイドが切れました。副作用の多い、ステロイド・・・ステロイド依存性のネフローゼはこのステロイドの薬をなるべく少なく使うというところが、難しい治療法です。子供の場合も、8年間切ることができませんでした。今回、また服用することにはなりましたが、1年間切れていたことは大きな自信になったことは確かです。
まだまだ治療法のないネフローゼ症候群。同じ病気で苦しむ親御さんの気持ちが痛いほどわかります。先の見えない治療・・・副作用の強い薬・・・、たいへんだと思いますが、病気があるのはどうにも動かせない現実。とは言ってもるびーも病気を受け入れるまでに長い間かかりました。病気の現実に目をつぶろうとしなくても、いつか病気を受け入れる時がやってくる、その時はすこしだけ気持ちに余裕ができるはずです。
写真:ネフとは関係ありませんが、疲れたときに空を見上げて雲の流れを見るとほっとする時もあったりして・・・。2004年12月沖縄から東京にくる飛行機の中から見えた雲・・・

【ネフローゼ症候群】小児特定疾患

2006-06-19 | ネフローゼって
昨年、急遽改定になった小児特定疾患医療制度。1年に1回は更新する必要があり、今日はその申請に行かなければなりません
さて、この小児特定疾患医療制度・・・ネフローゼ症候群は国でこの特定疾患に指定されています。数年前までは、この治療に関してはほとんどの都道府県で医療費を負担、また当時住んでいた市では助成金の制度もありました。
残念ながらそれからかなりの制度が変わり、助成金の制度はなくなり、昨年からは一部医療費負担になりました。小児科のドクターもかなり意見を述べてくださり、患者さんも意見書などを上に提出しましたが、この改定で自己負担をせざるえない患者さんが増え、ネフローゼ症候群の中でもランクを決められ、対象からはずされた患者さんがたくさんいるのも事実です。
このネフローゼ症候群は、何年再発しなくても、ある日突然再発・・・(もしかしてお酒がやめられない・・・何年飲んでいなくても飲みたくなると同じ??)というやっかいな疾患。
この制度を作っている何もわからない方々には、病気の根本と治療の難しさが全く理解されていないと思います。
特にステロイド依存性の場合は、3歳前後で発症、それから長い間治療に歳月がかかる場合が多いのも事実。
ステロイド、免疫抑制剤、組織検査、血液検査、尿検査とたくさんの医療費がかかります。そしてるびーにも一部負担がでました。
まだ治療法が確立されていないこの疾患・・・治療をするために必要なのは、やはり治療費。患者が治療に専念できるように考えて欲しいと思います。
予算が削られるのはいつも、老人・病人と弱いもの・・・。日本が福祉国家と呼ばれるにはまだまだ長い歳月がかかると思われます。福祉を勉強する場が少しずつ増え始めて実践され始めていますが、福祉の定義は広く、まだまだ手の届いていないところもたくさんあると思います。

【ネフローゼ症候群】眼圧・・・

2006-06-12 | ネフローゼって
致命的なもの、緑内障がありました。緑内障と言えば、最近は加齢と共に現れる眼疾患として有名ですが、ステロイドの服用により眼圧があがり、緑内障になることもあります。
そう、子供の場合も初発のネフローゼの時に、多量のステロイド服用により急性緑内障を発症しました。この緑内障はかなりの眼圧が上がらないとなかなか自覚症状がわかりにくい、まして子供だとなおさらです。
普段は眼圧の検査だけですが、この眼圧の検査も、白衣を見ると血圧が上がるのと同じように、緊張をすると正確な眼圧を測ることができません。特に子供は眼圧の検査は正確な数字がとりにくい。そんなわけで精密検査のゴールドマン視野検査が威力を発揮します。
ステロイドを服用してた8年間は1年に一度は行っていた検査ですが、昨年ステロイドが切れて以来はする必要もありませんでした。
今回、またステロイドを服用したので、今度のholidayで一時帰国した際に検査を受けようと思い、眼科の主治医のドクターに連絡。予約をいれてもらいました。
これで一安心。とりあえずは今後の治療方針含め、短い間ですが、一時帰国することになります。もっともまずは、今の症状を落ち着かせないと・・・。

【ネフローゼ症候群】再発5日目

2006-06-12 | ネフローゼって
朝の尿ではまだ黄色にはなりません、残念ながら。ご存知のように尿のたんぱくを測る検査紙、陰性だと黄色たんぱく量が多くなるにしたがって濃い緑色に変化します。使い始めは学校の頃やった理科の実験・・・アルカリ性?酸性?を思い出しました。最高が++++まで測れるのですが、その色はもう恐怖というか、谷間のどん底に落とされた気分です。まあこのくらいまでたんぱくがでていると、尿量も減り、その尿もまっ黄色。幸い、ここ何年も見ていませんが。るびーは何回か経験しています。よくわかるどん底に落とされた気持ち。これでもかこれでもかと魔の手が忍び寄る恐怖感そして、ネフローゼの場合は突然・・・そうスコールのように突然現れるので、誰にも予想ができません。その恐怖感でしばらく動けなくなり、数分後に頭を過ぎるのは、再発・・・とにかくこの疾患、初めて罹った時より、再発の時がへこみます、本当に。先の見えない・・・治療、あ~またステロイドが始めから。ムーンフェイス?多毛?食欲増進?情緒不安定?副作用のオンパレード。こんなにいい薬なのに。ていう具合で、気持ちだけはマイナスの世界へと引きずられていきます、そうこうしてネフローゼの罠にはまっていくのです。
るびーも何度も主治医の先生の前で泣きました。まあ泣かれても先生にも先が見えない・・・仕方がないことなんですが。色んな文献を読み、何が原因かなんてことも調べましたが、どうにもならない。原因は不明・・・。しいて言うなら疲れすぎ?風邪を引いた?など腎臓に負担のかかるようなことがまあ原因といえば原因で。じゃあどうしたらいいのかって言うのは腎臓を適度に休ませてあげる。それくらいが関の山。
治療に関してはよくしてくださった前の主治医”一般的には・・・して治療します”って言葉にくってかかり、人間の体を一般論でまとめるな~って、はあ、怒りはしませんが、そんな気持ちをずっとずっとしたためていた謙虚なるびーです
結局、流れに任せていたら、今の主治医のドクターに出会うことになったのですが、それも奇妙な出会い。道端のハンカチを拾ったらっていう程の出会いでした。あれからもう5年の歳月が過ぎました。治療を受けながらの海外遠征・・・好き勝手なことばかりする患者にそれでも優しく丁寧に治療をしてくださるドクターには感謝の言葉以外のなにものでもありません。
写真:昨日の夕食左手前の丸いポテトから時計回りに、お豆腐と野菜の炒め物、わかめとブロッコリーのサラダ、野菜入りチャーハン。使った野菜はニンニク、玉ねぎ、長ネギ、人参、マッシュルーム、ブロッコリー、じゃがいもなど。でもこれでもまだ野菜不足、あと3種類くらい入れたいところ。

【ネフローゼ症候群】薬のこと

2006-06-11 | ネフローゼって
ステロイド:先日行った中学の見学会で、在校生がステロイドに調べてレポートを書いていました。なんと1960年薬として認可されたそうです。結構最近なんだ。人間の体内で日々作られている副腎質ホルモンを薬にしたものです。なので、このホルモンが正常ではないような時にはこのステロイドが魔法の媚薬になるわけです。
よく使われる代表的な疾患としては、ぜんそくやアトピーまだまだ沢山の疾患にこのステロイドが使われています。ただ、副作用も強く、骨を溶かしてしまうなど成長期の子供にとっては致命的な副作用。
そんな副作用をなんとかなくして他の薬ということで、免疫抑制剤が現在の主流になりつつあります。この薬は移植をした時に使う薬。ステロイドと併用、または単独で使います。たまたまネフローゼの患者さんに使ったら効果があったそうです。エスカルゴのような匂いのする独特な薬。腎臓の組織を壊す作用もあるので、2年に一度は腎臓の組織検査をしながら使うことになっています。
ご存知の方も多いかと思いますが、くだもののグレープフルーツ摂取で相乗効果がでてしまい、血中濃度(血液中の薬の濃度)を上げてしまうので注意が必要。薬を買うことのできない後進国では、わずかの薬の血中濃度を上げるためにわざわざグレープフルーツを摂取させるところもあるとか。そう、この免疫抑制剤も大変高価な薬だそうです。
いずれの薬もネフローゼを治す治療薬ではなく、あくまでもホルモンバランスが均一になるまで(たんぱくがでなくなる状態になるまで)の時間稼ぎの薬。風邪を引いた時と同じようにこの疾患にも特効薬なるものはまだないのが現実です。
写真:いつも手放せない三種の神器(左から)尿中のたんぱく量を見る検査紙免疫抑制剤(ネオーラル)ステロイドホルモン(プレドニン)/早く開放されたいなあ・・・

【ネフローゼ症候群】再発4日目

2006-06-11 | ネフローゼって
残念ながらまだ落ち着きません。軽いもののまだでているたんぱく。悪くもならず、よくもならず
このネフローゼで最大の悩み先が見えないこのことが不安を更に増長させます。普段は健康体と同じであるだけに、再発した時の谷間たるもの、深い悲しみ・・・落ち込み。疾患自体はきちんと治療を続ければ健康体の人と同じ生活ができるので、そんなに悪くないと思ってはいるのですが。ステロイド*という魔法の薬がない時代には、運動せずに無塩食、そしてすいか・・・と生活の質より、とにかくたんぱくがでない生活を強いられていたそうですが、薬の開発により、ネフローゼの生活の質はぐんと向上しました。そう、健康体の子供と同じように学習ができる。すばらしい・・・向上です。ただ、再発時のあの何ともいえない落ち込みだけはいつの時代も変わらずだと思うですが。まして軽症のうちは外見ではいつもと変わらない。
スイカを食べさせればいいと言われ、九州からスイカエキスを頼んでみたり、深海ざめエキスがいいといわれればオーダーしたり。友人はついには布団まで実家でそろえたそうです。ネフローゼで何故布団?と思うですが、人間不安になるとさまざまな誘惑の手が多いのも事実。
るびーも今まで何十回となく再発を繰り返してきたはずですが、今までと違うのは主治医のドクターが傍にいない・・・検査ができない・・・。これは不安以上の何ものでもない。時が解決はしてくれるものの、再発すると考えるのはこの先の不安材料になるものを探して更に自分を不安に陥れる・・・それがこのネフローゼの一番の目的?もしかして。いけない、いけない、そんなネフローゼの落としいれ作戦にはまってしまっては・・・。何とか乗り切るしかない。今こうしてブログを読んでいる方の中でもネフローゼで苦しんでいる方も多いかと思います。でも経過は違ってもネフローゼの苦しみは同じようなもの。ネフローゼの罠にはまらないように頑張りましょうね!!
写真:(昨日の夕食)ご飯、お豆腐とほうれん草の炒め物、豚肉のピカタ、ひき肉入りスープ、ウェッジ(ポテトフライのようなもの、手前の白いサワークリームとアジアンによく使うスィートソースをつけて食べます)。よく言えば野菜がもう少し欲しかった。
昔のようにもう塩分量は計測しませんが、一応、減塩にしてあります。でも減塩て美味しくないよね~子供にとっては嬉しくない食事。でも動物性たんぱく質はとても大切なので、減塩ながら取り入れました。

【急性散在性脳脊髄炎】再発の恐れはないものの

2006-06-10 | ネフローゼって
10年近くも薬と定期的な検査が必要になりました。普通の生活でかかるものではないのですが、ある事から発病しました。今のこの時まであまり口にできなかったできごと。ようやく少しずつ話しても大丈夫になりました。そう、あの出来事があってからというもの、るびーは救急車の音にいつもおびえ、体調も少しずつ悪くなり始めました。健康だけが唯一自慢だったるびーの自慢のものがなくなり、自身が病院に行くことも多くなりました。
そう、明日はどうなるかわからない・・・いつもるびーの心にあること。だからこそ今を大切にしたい、そんな気持ちがあります。
尊敬している大親友から言われた言葉・・・健康と笑顔を大切に。本当にそう思います。お金だけでは買うことのできない健康と笑顔。外見はもちろんのこと内面から健康にして毎日を暮らしたいと思います。
悔いなく思い残すことなく、精一杯日々過ごしたいと思う気持ちは、今までの経験上、人一倍強いかもしれません。愛情・友情も大切にして、何事にも一生懸命したいなあと気持ちだけはあるのですが、なぜか勉強だけはどうもしり込みしてしまう・・・。よく頑張りやと言われるのですが、私は頑張りやでも何でもなく後悔したくないからやりたいことをやっているだけ。ただそれだけです

【急性散在性脳脊髄炎】思い出して・・・

2006-06-10 | ネフローゼって
るびーに訪れた危機・・・子供が目の前で呼吸微弱となりました。今でも、思い出すと涙がでるできごと。救急車を呼び待つこと10分。その間にも目の前で呼吸が薄れていく子供。数回にわたり催促の電話をしたのが昨日のようによぎります。救急車に乗せたときに、子供の名前を大声で夜空に叫んでいる自分がいました。すぐ病院に運ばれ、ドラマのように何人ものスタッフが走りより目の前で厚い自動扉が閉まりました。人間の命はこんなことで終わってしまうんだと思った瞬間。ドクターからの説明を受けるまでの数時間、それまで生きてきた中で一番、時の流れが遅かったいや止まったとも思われた時。
頭の中のレントゲン写真を見ながらドクターの診断では、ミトコンドリア脳症・多発性硬化症・(ADEM)急性散在性脳脊髄炎とこの3つでした。いずれも医療に携わったことのないるびーにはすべてが???その後の経過で最後のADEMということになりましたが、その後長い間、薬を服用せざるを得ませんでした。なぜそんなことが起こったのか、文献・学会の報告書・はたまたウェブで脳の研究をしているというドクターに相談だしたり、それはそれは毎日が勉強の日々。当時、在宅でほぼ徹夜の仕事をしていましたが、さすがにこの時はできるような状態ではなく、仕事も打ち切り
るびーの中では、原因はほぼ特定していましたが、公的な機関に持ち込んでも話も聞いてもらえず、最近になって、同じようなケースがあり、公的機関が動き始めたことを知りました。
なんだかいろんな事があった十数年。時は解決してくれたものの、るびーはこの事があってからというもの、日本の救急車のサイレンを聞くと、心臓の鼓動が激しくなり、動くことができなくなりました。そう、道端で立ち止まってしまいます。
命あっての人生・・・後悔したくない、時間は嫌でも過ぎてしまう。一つしかない自分の人生を後悔することなく自分のために生きたいなあと思うこの頃です。