
(31歳のテンテンちゃん。覚えていますか?テレビより)
テンテンちゃん。この名前を聞いてピンと来る人は35~40歳ぐらいではないだろうか。台湾映画の『幽幻道士(原題:殭屍小子)』シリーズ(1986年から1988年)で子役を演じ、日本で大変な人気となった。死人が生き返ってピョンピョン跳ねながら人を襲う、あのキョンシーの映画だ。日本の映画雑誌『ロードショー』は当時、毎月男優・女優の人気投票を行っていて、ブルース・リーの映画に出演していたノラ・ミャオや、まだ世界的に知名度の低かったジェニファー・コネリーなどが女優で1位になるなど、日本独自のランキングになっていたのが面白かった。このランキングでもテンテンちゃんは一時期、トップになる。『幽幻道士』シリーズが軒並みヒット、日本のテレビ局が制作費を出してわざわざ台湾に作らせたテレビシリーズ『来来!キョンシーズ』(1988年)は日本の子供たちの必見番組となった。
(バラエティ番組で登場した際の紹介。『幽幻道士』シリーズで日本でスターになったと説明されている。テレビより)
ちなみに『幽幻道士』の一作目、原題『殭屍小子』は、子供たちに心理的な悪影響を及ぼすと言う理由で行政院新聞局が二度にわたって上映禁止にしたという作品。李登輝氏が総統になる前であり、かなりお堅い時代だったのだろう。また、同作品でテンテンちゃんに恋をする「スイカ頭」という役は実兄、劉至翰が演じていた。劉至翰は妹相手に好意を示すストーリーに困ったと後に話している。
(ホットパンツ姿でセクシーさも漂わせるテンテンちゃん。右はオン・ツイピン。テレビより)
テンテンちゃんの本名は劉致という。テンテンちゃんというのは映画の中の役名が、恬恬といったからではないか。標準中国語では「ティエンティエン」という発音で、これを「テンテン」と取ったのか、それとも日本語の音読みで「テンテン」としたのかは定かでない。誕生日が10月10日(中華民国の双十国慶節!)であることから、英語のテン(10)を繰り返したとの説もあるがこれはかなり無理があると思う。とにもかくにも劉致は日本では「テンテンちゃん」となった。
1978年生まれでキョンシーブームの時は8歳から10歳。ブームはあっと言う間に去ったが、テンテンちゃんは日本の横浜中華学院に入って日本の芸能界で活動した。だから日本語が達者である。1990年代半ばには台湾に戻って日本語を生かして就職、2000年以降は芸能界カムバックのニュースが時々出ながらも大きな動きは見せていなかった。日本での作品は映画『着信アリ2』(2005年)とドラマ『上海タイフーン』(2008年)程度。台湾でも特に話題に上ることは無い。
(日本時代のことを楽しそうに話すテンテンちゃん。こんな表情は昔と変わらない。考えてみれば小学生の時からすごい経験をしている。ユニークなキャリアを生かして台湾と日本の交流に一役買ってほしい。テレビより)
(こういう表情は大人っぽくなったね。「日本のファンからはよく初恋の相手だったと言われた」とちょっぴり自慢げに話していた。テレビより)
そんなテンテンちゃんが最近、テレビのバラエティ番組に出演しているのを偶然発見。ずっと後だが、やはり日本で活躍した台湾出身のタレント、オン・ツイピン(温翠蘋)らと、海外での芸能活動の苦労や思い出を話していた。今では31歳のテンテンちゃん。すっかり大人の雰囲気だとは言え、やはり当時の面影は残る。日本語も上手で日本の芸能界の習慣や作業の進め方なども学んでいるので、また台湾と日本をつなぐ役割を担って欲しいと思った。また、台湾では「テンテンちゃん」より、『新十二生肖』(1990年 日本未公開)』の「貝瑪(ベイマー)」として覚えている人の方が多いことも記しておこう。(U)
(右から二人目がテンテンちゃん。ううむ・・・、やはり少女っぽい面影が。テレビより)
※ 『幽幻道士』でのテンテンちゃんの動画はこちら
http://www.youtube.com/watch?v=H4SkIOZsIqI&feature=related
日本ではシャドウ・リュウの名前で出ています。
数年前に在留許可が延長されなくて台湾に戻るとブログに書いていました。
本人はテンテンという名前はあまり好きではないようです。
ブログを見ている限り台湾の様子もわかります。
今の韓流と違い、テレビではそれほど話題にならなかったけど、本当に流行りましたね。
アレを本当のブームと言うんだと思います。
兵庫県から応援してます。
俺は、今年も沢山絵を描きます。
絵描きで売れたいww