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ロイス・タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

J・D・サリンジャー

2021年12月26日 | 徒然の記


サリンジャーが『ライ麦畑』をリリースした51年のころ、
ニューヨークは、アーリー・ハードバップの熱気を
『ディグ』 などに聴くことが出来る。
そのころ当方は幼稚園にも上がっていなかったのか。
彼は、軍隊でノルマンディ上陸をやっていたとは驚きだ。
日本でその翻訳が初版された1964年は、
マイルスがウエイン・ショーター、H・ハンコック、ロン・カーター、T・ウイリアムスと
ベルリン・ジャズ祭に奔放でスリルなサウンドを聴かせ、
コルトレーンは、マッコイ、ギャリソン、エルビン・ジョーンズと、
『A Love Supreme』 カルテットのピークを演じていた。
本を読んだ当時、鯛焼きが1個10円で、
学校帰りにたまたま一緒に店に入ったは良いが、
「あれっ 」 とサイフを忘れて彼女に払ってもらった。
「その話は100回も聞きました 」
周囲に言われる。
サリンジャーを追悼して1961年3月のマイルスを聴く。
2010.1.29
朝、雪が積っている。
缶コーヒー1個で、高校生が手伝ってくれた
昔もあったわけ。


正月

2021年12月22日 | 徒然の記


森より大きなイノシシは出ない。
もしこの庭にイノシシが現れれば、
それは現実の縮尺で象のような大きさである。
竜安寺を見たとき、こじんまりしたスケールに拍子抜けした。
二千十年の正月、
タンノイのむこうに、百人のオーケストラを感じ、
サラ・ボーンの熱唱を聴けば、
森より大きなイノシシは出る、と
タンノイは言っているのか。
2010.1.1
小説のなかで、ばあやが坊ちゃんに言っている。
「横におなりなさい。からだが安まりますけに 」
はじめて、そのとうりだと思った。
若いときは、睡眠は無駄だと思ったりするからなあ。

年の暮れ

2021年12月22日 | 徒然の記


1990年末、日本の土地の総評価額は2350兆円であった。
現在、1150兆円である。
3メートル四方のミニチュアの箱庭が、だいぶ下落してそこにある。
見ると苔もはえて、眺めるぶんにはけっこうだ。
蜘蛛は4億5千年前に出現して、現在3万5千種識別されたらしいが、
そのうち9種がこの庭に住んでいる。
年末に聴くジャズは何がよいか......。
よいお年を、御迎えください。
2009.12.31
1週間ほど、ドックに入った。
周囲の人々の人間模様が多彩ですばらしく、
まったく退屈がなかったのは予想外であった。

付近にある豊穣の畑地

2021年11月25日 | 徒然の記


畑地を猫が散歩している。
撮師SS氏の眼は逃さずそれを撮って、
「どうぞ 」 と見せてくださったのは先日のことである。
よくみると、うちの庭にも出没するタマ之助であった。
そういえば二十代に住んでいた目黒区碑文谷に、
当時まだ残っていた畑地の景色もこのようであった。
さかのぼって日本の畑のことが最初に文献に現れるのは、
中国の帝室図書館に納められた三国志だろうか。
魏志倭人伝に、次のことがあった。
倭人在帯方東南大海之中依山爲國邑舊百餘國
漢時有朝見者今使早譯所通三十國多竹木叢
林有三千許家差有田地耗田猶不足食亦南北市糴
種禾稻紵麻蠶桑績績出細紵緜出眞珠玉 
其山有丹 其木有豫樟櫪投檀鳥號楓香其竹篠桃支 
有薑橘椒荷不知以爲滋味有雉其人壽考或百年或八九十年
其俗國大人皆四五婦下戸或二三婦婦人不妬
いまとあまり変わっていないような気もするが、
日本人で最初の宇宙人になった秋山某氏は、
何を思われたか地球にもどると、さっそく畑を耕していた。
写真の畑から近い、当方の二メートル四方の庭に遠征したモグラが、
箱庭の核心である自作の枯山水の真ん中に、突然顔を出したのは最近のこと。
2009.12/10
陽気な牛深ハイヤ節とくらべ、島原の子守歌はハワイアンのイメージから遠く意外だ。


秋の便り

2021年10月05日 | 徒然の記


颱風の翌日、ポストに伊達藩一番丁から秋のはがきが届いた。

アーチスト彩花のヴォーカルは、アヴェ・マリアが良かった。

ハゲイトウの花言葉、秦の始皇帝が最後に望んだものである。
2009.10/1


まぼろしの舞草刀

2021年10月03日 | 徒然の記


先日のこと、一関の市街地から北上川にかかる橋をわたると、
美しい円錐形に裾野を伸ばす観音山がどんどん迫ってきたが、
山懐に、日本刀愛好者なら誰でも知る『まぼろしの舞草刀』発祥地がある、
といわれているのを思い出した。
伝統的に定規のように真っすぐだった刀身が、
地名の舞草刀から弓形に反りを見せて、
平安後期の動乱に攻撃的破壊力をもつ新兵器として、
設備を整えた鍛冶工房から量産されていくのであるが、
舞草刀の実物は、だれが持っているのだろう。
実用の刀と、観賞工芸用の美品があるのか、
舞草刀として確認されたものは非常に少なく、
しかしながら、眼力のある人が見ると、それとわかる特徴がある。
いまだに旧家の蔵の中に人知れず眠っているのかもしれない。
里見八犬伝の刀は、鞘を払うとサッと刀身に霜が浮かんで、
先端から雫の玉がこぼれ落ちる、玉散る氷の刃だというので、
そこで上野の博物館に、正宗の名刀というものを見に行った。
正宗は、白さやから抜かれて薄明かりに銀色に輝いていたが、
これに、霜がかかって雫が落ちることがあれば、見ものだ。
タンノイの音も、ふっと霜がかかったように鳴るときがあってちょっと良いが、
ところで、
ナポリで生まれたアルド・チッコリーニの、昔コンクールで一位を取ったコンチェルト1番を、
棚から取り出して、たまには聴く。
2009.9/27
某日、一関博物館で舞草刀展覧会が賑々しく啓かれて、招待状まで戴いた。

2021年09月25日 | 徒然の記


庭の凌霄花を掃き寄せていると、
ポストに夏の到来を告げるハガキが届いた。
3行メッセージがあり、hpをつくられたとのこと。
この万年筆の筆跡であるが、どこかで見たような記憶にうーんと考えると、
泉鏡花の原稿の字が浮かんだ。
ジャズに造詣の深い一番町のまだ行ったことのない店が、
セビルロードにあるような佇まいで、
ベイシー・イン・ロンドンがさりげなく鳴っていたりするのではないか、
などと妄想する。
2009.8/1

風鈴

2021年09月25日 | 徒然の記


廊下の風鈴が揺れて夏が来る。
そういえば、
当方も「ぼっちゃん☆ 」と呼ばれたときのあった昔の夏祭り。
テキヤのオアニイさん連がメインストリートの所場割りも済み、
家の前に金魚すくいの枠が組まれると、
挨拶に来て電気のコードを引いていく。
「ぼっちゃん。ちょっと用事をしてくるから、店番しながら遊んでいて」
数百匹の金魚をおしげもなく中学生の当方に預けると、
ぷいと男は姿を消したのである。
無口な当方は、祭りのゆかた姿の賑わう真昼の大町通りの片側で、
見よう見まねのモナカの皮に金串を刺すと、
金魚すくいというものを心行くまで追求した。
どんどんおかねを受け取って、とれない子にも金魚を渡して、
ふと向かいの日活映画館の新しい看板を見上げると、
裕次郎がマフラーをなびかせ見下ろして笑っていた夏祭り。
福島から北上に帰る客人が立ち寄って、
建築が完工すれば、こんどは花のお江戸に行くかもしれないと。
アルテックのフルレンジを吟味したコンパクトな球アンプで鳴らす
モノラルの音が、旅先の酒の友にぴったりと申される。
芭蕉が、江戸深川の芭蕉庵で鳴らすタンノイを、しばらく考えている。
本居宣長はJBLかもしれないが、芭蕉はやはりタンノイではないか。
行李の中に仕舞えるタンノイ・コアキシャルを、弁当缶のような
シングルアンプで鳴らす、旅籠の夕涼み。
宮城の角田市に『エヴァンス』という喫茶店があって、
良い音で鳴っているそうである。
ソニー・クラークとチェインバースとJジョーンズ、トリオの
I DIDONT KNOW WHAT TIME IT WASを涼しく想像してみた。
2009.7/24

桜山

2021年09月11日 | 徒然の記


桜山に、小学生の時遠足で登ったが、
平安朝の当時、北上川の対岸の柳の御所から
桜で埋まった山容を眺めた西行の視界を、
いま見ることはできない。
西行は桜山を見る前に、旅の途中鎌倉に立ち寄って
頼朝と対面していると歴史書にある。
互いに深い意図を隠して、相手の持つオーディオ装置の鳴りを、
たしかめたと思われる。
やがて遠路を平泉の柳の御所に入った西行は、
あるじ秀衡に、頼朝の音響装置の鳴り具合を話題にして、
かわらけをかたむけ東北の酒をくみかわしたのか。
柳の御所から見た当時の桜山は、満開に咲き誇って、
有名な歌を西行に詠まれている。
百人一首の西行をみると、なかなか闊達な日常をうかがわせるが、
数百年の後、芭蕉は、西行の道をたどってこの地に立ち、
頼朝の攻略ですでに滅んだ平泉都を見た。
これから5月の連休に、西行と芭蕉の歌枕に立って、
のんびりと北上川に映る桜山を観光するのはすばらしい。
秀衡も、西行も、芭蕉も、メメントモリの象徴のような桜を、
現代の人とは違った感性で眺めていた。

ジェツト機の翼に点滅するランプは...
ⅢLZで聴いて以来の番組が、突然ナレーションの交代に、
スピーカーのエッジが壊れたかと、驚いた。
名調子の、深夜ラジオのナレーターが代わったことに気が付いた。
007ショーンコネリーの吹替え若山弦蔵と天下を二分した城達也は、
良かった。
ズート・シムスとアル・コーンはYOU’D BE SO NICE TO COME HOME TOを
ソロで交代するが、意外や両者の技倆を違えていたと、気が付いた。
ユードビソゥ...はヘレンメリルの唄が♀の心をのぞかせて、
いったい誰の演奏が真に迫っている、
コルトレーンなど聴いてみたい。
2009.4/27

郵便受け

2021年09月09日 | 徒然の記


春江潮水連海平

衣装棚から、あつらえた服を選ぶと、
陽気の春に繰り出すハガキは、
伊達藩一番町の、ジャズを着る店。

おや、ポストにもうひとつ、めずらしく封書が.....。
山形のO氏が、先日のご来訪の思い出を、したためてくださった。
2009.4/2

歌謡曲

2021年09月07日 | 徒然の記


ラジオから「若原一郎」の歌が流れて、ふと思い出した。
詰め襟の時代はおそるべき、
お隣のパチンコ店の軍艦マーチを363日聴いていたが、
或る日、一方のお隣の旅館に若原一郎が泊まるといい、
街路は前日からなんとなく騒がしかった。
人口比を都会に当てはめると、日本に現れたポール・マッカートニーか
はたまたイブ・モンタンの騒ぎかな。
日曜の朝、二階の窓から通りを見おろすと、
すでに一台のタクシーがスタンバイしており、
集まった女性たちが十重二十重に今や遅しと主役を待ちかまえている。
周囲の空気が熱く、そこに質感のリアリズムさえただよっていた。
真っ白いマスクで顔を覆ったスターが、
コートを翻してタクシーに三歩で吸いこまれると、
歓声とともに女性の人垣は、うねって車を取り囲んだ。
一瞬の顔は、りりしい眉の下の眼がちょっと笑って、
かくありたい余裕が人気の証明である。
当方は、歌謡曲では若原もよいが、
やはり上原敏の『流転』のほうを、タンノイで聴きたい。
2009.3/8
現在、拝聴すると、あらためて凄い時代だ。
タンノイも顔色が無い。

MEMORISE OF BILL EVANS

2021年07月23日 | 徒然の記


水面を境に、両側の世界で人と魚が対峙している。
子供の時、近所の名人の自転車の荷台にゆられ、
何処とも知れない遠くに行った。
曇り空の、林の中を蛇行してネズミ色の深い川が流れている。
落ちないように茂みに掴まって、無言で糸を垂らす男の真剣な眼と、
アゴに少々残っているヒゲを見上げ、それから流れの白いうきを見る。
目が回りそうになり、あわてて林の遠くを見た。
魚がいっぱい棲んでいそうな川に見えるが、なかなか釣れなかった。
やがて、雨が降ってきた。
大きな木の葉で頭を覆いながら、雨脚をやり過ごす場所を探していると、
古びた小さな神社があった。
駆け込んで、背後にあった池に、
釣り糸を垂らしてみるからと雨の中を男は行った。
大人の手のひらのような大きさで、白い鱗を光らせた魚が、
次々と釣り上げられて、あっけなく釣りは終わった。
雨も上がって、木洩れ日の差し始めた帰り道を、
自転車を引く男の眼は複雑にやわらかである。
いま、川はいったいどこを流れてるのか、わからないのが妙だ。
ジャズを聴く客で、釣りをする人を大勢知っているが、
そのとき音楽と釣りは別である。
水面下の世界を考えに考えて糸を垂らし、
二つの次元の一瞬の接点に気を集中させる、
苦行のような緊張を楽しむあまり、音楽どころではないだろう。
茶道でも、静かな緊張の持続にBGMは流れない。
緊張の緩んだビレッジ・ヴァンガードの休憩コーナーで、
オリン・キープニュース氏はエヴァンス・トリオに話しかけていた。
画面左のキープニュース氏はリヴァーサイド・レーベルプロデューサーで、
「どうかね、WALTZ FOR DEBBYを、あと3テイク入れておきたいのだが 」
と言っている、あの日曜日だろうか。
ラファロは 「おい、マジかよ」 という顔だ。
このLPには、ヴァンガードの未発表テイクが一曲収められている。
2008.10/15
そろそろ40億人が眺める聖火がともる頃だが、
夜道を車が4台走っている。
おや、テレビがボードに点いているゼヨ。

特別機で

2021年07月23日 | 徒然の記


秋の行楽に、ジャズを着る店
『ブリック・メンズ』さんは、伊達藩の一番町にある。
裏庭の落葉掃きをしているとき。ハガキが届いた。
拾った落葉を画面にあしらいつつ思う。
笑顔で着ればベスト・ドレッサー、とはビサルノのフレーズだが、
一番町かス○トに、ヘリコプターでいつか行くのが楽しみだ。
いくつか座席は余っている所属はまさか?。
それにつけても、絵のズボンの折返しに注目して、
いかにも伊達男
2008.10/12


目黒駅界隈

2021年07月16日 | 徒然の記


花のお江戸に、霊峰富士の見えるなごりの地名が今も残ったが、
高層建築が静かに増殖して変容する大都会には、消える風景がある。
パイ○ニアのビルディングが、なだらかな目黒の丘に、
突如周囲を圧倒してそびえ立つころ、
遠く駿河の富士まで見通せる最上階の眺望は、
初めて見るものに息を呑む絶景である。
ビルディングから道路を隔てた斜向かいに、同じころ出現した、
『ガス・アンプジラ』『スレッショルド』など当代の名器を壁一面に
蒐集展示する豪華なショールーム喫茶は、
粋人が再生音楽の頂点を蒐めようとした一つの眺望であった。
ホテルのロビーを思わせるガラス張りの壁と、タイル模様の豪華な床の
オーディオ店にめずらしい右手に2人の受付嬢が起立して、
左手にはレコードの輸入盤を陳列したケースが並んでいる。
観葉植物の向こうに、ガラステーブルと皮張りのソフアがゆったりと置かれて、
正面のスピ-カーが、これから鳴り響く音を約束しているようだ。
お目当ての音、『ガス・アンプジラ』を聴かせてください、
紅茶などを注文しながら希望を伝えると、まもなく広い空間が骨太の立体感と、
毅然とした音で飽和し、タンノイとは違うサウンドといえども、栄華を楽しむひとときである。
紅茶は、妙なガラス壷から注いで、まだ少し残っているからゆっくりしよう。
このような空間は、いつまでも存在するだけでありがたかったのに、
気が付いたときにはいずこへか消えていたのが残念だ。
ガス・アンプジラで空間に鳴り響いた『ウイスパー・ノット』が、
いまはなつかしい記憶となった。
2008.7/21
国民が全員注射が済めば、最後の一人はやらなくてよい。
この計算、合っている?
最後の一人は、誰かな。

HaNG ON RAMSeY!

2021年07月16日 | 徒然の記


渋谷と横浜を結ぶ東横線は、そのころ地面の高さを走っていて、
踏切だらけの沿線は信号機の音が喧しかった。
駅前通りの某『古書店』をのぞくと、たまにレコードもあり、
ついでに買ったLPが『HaNG ON RAMSeY!』である。
古書店であろうが、昔のLPカッティングはすばらしい。
店のちょうど目の高さにあった古代船の高額なイラスト図鑑が気になって、
ふと手にとっては満足していたのであるが。
あるとき、裏表紙に貼った値段が下がっている、
と気が付いたが、予算というものがある。
なんというのか見るたびに値段は下がっていて、
いささか気を回した当方、最初の値段から半値になったところで
店主の前に図鑑を差し出した。
大勢の客の出入りに忙しいなかで、謹厳なメガネの店主は、
どこを見ているのかわからないような人であったが、
多様な書物の陳列が倦きさせなかった。
1965年、ラムゼイ・ルイス・トリオによる、ハーモサ・ビーチのナイトクラブで、
客の入れ換えも出来ないありさまの熱狂の演奏をたまに聴くと、
その古書店を思い出す。
2008.7/18